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<知ってるようでよく知らない言葉・モノ・コト> 春節

2025-01-28 11:06:54 | 知ってるようでよく知らない言葉・モノ・コト

 「春節」

 2025年の中国の春節(旧正月)休暇が1月28日~2月4日でスタート!8連休の大型連休で訪日観光も人気 24.11.15

 中国の2025年の春節に伴う連休が2025年1月28日(火)から2025年2月4日(火)となることが、2024年11月12日に中華人民共和国中央人民政府より発表されました。それに伴い、1月26日(日)と2月8日(土)が平日となり、8連休の大型連休となります。

 春節とは
 春節とは、中国における最も重要な伝統的な祝祭であり、旧暦の新年を祝う行事です。春節は通常、家族が集まり、先祖を敬うための特別な時間として過ごされます。春節は中国以外の国でも祝われていて、特に、中国系のコミュニティが存在する国々、例えばシンガポールやマレーシア、ベトナムなどでは、春節が重要な祝祭として広く祝われています。

 この期間中、人々は新年の挨拶を交わし、親戚や友人と共に食事を楽しみます。特に、餃子や魚料理などの縁起の良い食べ物が振る舞われ、新しい年の幸福と繁栄を願います。また、春節には爆竹や花火が打ち上げられ、悪霊を追い払うとともに、賑やかな雰囲気を作り出します。このように、春節は単なる休日ではなく、家族の絆を深め、文化的な伝統を次世代に伝える大切な機会となっています。

 旧暦に基づき、月の満ち欠けに従って日付が決まることから春節の日程は毎年異なります。

 春節の大型連休の日程は、中華人民共和国中央人民政府より毎年11月上旬に発表されますが、2025年の春節は2025年1月28日~2月4日になると発表されました。

 1月26日(日)、2月8日(土)は振替出勤日となります。

 2024年春節期間の訪日中国人客はコロナ禍前の64%まで回復
 2024年の春節は2024年2月10日~17日の8日間の大型連休でした。

 日本政府観光局(JNTO)によると。2024年2月の訪日中国人客数は72万3,617人とコロナ禍前の64%まで回復しています。

 参考:【図解】訪日外国人数、2024年2月は278万8,000人と2月過去最高を大きく更新!2019年同月比7.1%増-日本政府観光局(速報)

 

 馬蜂窩のビッグデータによると、2024年の春節連休で最も中国人に人気のあった海外旅行先はタイで、次に日本がランクインしていました。2024年から始まったタイと中国の30日内のビザ相互免除による影響でタイは人気の旅行先となっています。日本と中国は2020年3月まではビザが免除されていましたが、コロナ禍をきっかけに免除措置が停止。現在も出入国にはビザが必要となっていることも日本が2位になっている要因の1つです。

 また中国文化観光省によると中国国内を旅行した人は延べ4億7,400万人で前年比34.3%増、国内観光収入は6,327億人民元(約12.7兆円:1元20円で算出)で前年比47.3%増加しました。

 また、出入国管理局によると、この連休期間中の出入国者数は約1,352万人で前年比2.8倍となりました。

 まとめ
 2025年の春節は8連休となることから、2024年同様に日本に向けて多くの訪日中国人旅行客が訪れることが予想されます。多くの訪日インバウンドビジネス、帰国後の越境EC利用にチャンスがあると思われます。ECビジネスをお持ちの皆様は、今から準備して当日を迎えましょう

*https://www.worldshopping.biz/blog/china-lunarnewyear-202501 より

 

 春節(しゅんせつ、簡体字: 春节; 繁体字: 春節; 拼音: Chūnjié<チュエンジェー>; 注音: ㄔㄨㄣㄐㄧㄝˊ)とは、中国・中華圏における旧暦(時憲暦)の正月(旧正月)である。中華圏で最も重要とされる祝祭日であり、新暦の正月に比べ盛大に祝賀され、中国やシンガポールなど12か国・地域では数日間の祝日が設定されている。

 この項目では主に中華圏での旧正月としての春節を取り上げ、その他の地域での旧正月については旧正月の項目を参照。

 表現
 春節は中国では過年とも表現され混同されているが、民間での習慣では過年は旧暦12月23日の祭竈(一部地方では旧暦12月8日の臘祭ろうさい)から旧暦正月15日の元宵節までの期間を示すものである。

 春節は正月初一を示す言葉であり、古代においては元旦と称されていた。元とは頭(=始まり)の意味であり、旦とは朝(=始まり)を意味することから、元旦は一年の最初の日、すなわち正月を示す言葉となった。

 また春節は年、月、日の始まりであることから「三元」とも、それぞれの最初の朝であることから「三朝」とも称されることがある。

 由来
 古代中国では年末年初に臘祭を行い先祖や衆神への祭祀が行われ、合わせて豊作を祈念することが一般的に行われていた。

 『書経』には舜が正月に臣下を率いて天を祭祀したことを記す。伝説では正月がいつであるかは王朝によって異なり、夏代は夏暦の元月を正月としていたが、殷代になると夏暦の十二月を正月とされ、周代になると十一月を正月としたという。秦代になり十月を瑞月(始皇帝の名の政と同音の「正」を避諱して「瑞」に改めた)とした。前漢の武帝の代に行われた太初改暦の際に夏暦の元月を正月に定められ、それは清滅亡まで続いた。

 清滅亡後に成立した中華民国では暦法に西洋諸国と同じグレゴリオ暦が採用され、1912年1月1日を民国元年1月1日とする暦法が採用された。その後の国共内戦を経て中華人民共和国が成立する直前の1949年9月27日、中国人民政治協商会議第一次全体会議において、新中国成立の際にはグレゴリオ暦を採用することが決定され、新暦の1月1日を元旦、旧暦の正月初一を春節とすることが決定され現在に至っている。

 伝承
 春節の来歴に関しては、万年という人物の伝承が民間に伝わっている。

 勤労かつ善良な少年であった万年は、生活の中で樹木の陰影が時期により移動することや水滴の滴る様を見て、時間に対する規律性を発見した。当時の民衆は時間に対する規律性を知らなかったために、農業などで大きな不便を感じていた。万年はこれらの事象から四季を区別し、草暦を編み出した。草暦を知った天子はこれを賞賛し春を一年の最初とし、春節と名付けることを命じた。

 その後、万年は不完全であった草暦を完全なものとするため研究を続け、老人になり更に正確な暦を作成。その功労として天子により、それは万年暦と命名され、万年は寿星に封じられた。人々は春節を迎えることを過年と表現し、家々では寿星図を準備して万年の功績を偲んだとされる。

 習慣
 伝統的には、春節に先立つ行事として旧暦12月24日(23日とも)に大掃除をして、竈の神を祭る(祭竈)。

 春節の前日を除夕と呼び、特別な食事を食べる。一般に鶏(「吉」と同音)や魚(「余」と同音で、「年年有余」を意味する)を食べるとされるが、中国大陸は広大なため、地方により正月料理も大きく異なる。例えば香港ではエビが活力の象徴として食べる。北方では餃子を食べることが知られており、南方では一年が甘くなるようにとの願いを込めて糖蓮子(中国語版)や湯円を食べる習慣がある。日本で餅を食べるように、東アジアの大体の地域では年糕という餅を食べる。ほか、春巻や湯円なども食す。

 家の入り口には春聯や年画などを貼り、また窓などに剪紙(切り絵)を貼る。厄除けあるいは神を迎えるため、爆竹を盛大に鳴らし、花火打ち上げる。これは中華圏の春節の特徴である。香港などの南部では金運にいいとされるキンカンの鉢植えまたは満開の花の木の鉢植えを家に置く習慣がある。芸能としては獅子舞が踊られる。

 春節での習慣としては、起床後に年配者に対して長寿を祝う言葉を述べ、その後、近隣住民や知人と春節を祝う言葉を述べ合うものがある(拝年)。子供には赤い袋(お年玉袋、紅包(中国語版))にはいった圧歳銭(お年玉)を渡す。

 家庭では春節用の衣装を用意し、新年の華やかさを演出するだけでなく、新年に幸運をもたらす意味を持たせている。

 春節では家族の団欒が重んじられるため、春節前後は帰省者によって交通量が極端に増える。これを春運と呼ぶ。一方、春節の休暇期間を利用して観光旅行をする人々も多い。日本でも2010年代頃から中国人を中心に同時期の訪日観光客が増え、爆買いからインバウンド消費に貢献した。2月単月で1百万人を超え、航空券やホテル代などの高騰が見られた。スカイスキャナージャパン株式会社の調査によれば、人気急上昇の旅行先は1位は熊本県、2位は愛媛県、3位は香川県、4位は宮城県、5位は宮崎県という(2019年の春節期間)。

 上記の拝年は近年、相手を直接訪ねるのでなく電話やインターネット(電子メールや微博など)で代用する人も多い。さらに企業が拝年と称してネット広告を配信したり、中国共産党の中央・地方指導者がテレビで挨拶を放映したりするようになっている。

 その他の習慣に関しては関連項目も参照のこと。

 中国の春節は、2024年にユネスコの無形文化遺産として登録された。

*Wikipedia より

 

 2025年の春節にインバウンドは盛り上がるか 2025.01.06 SOMPOインスティテュート・プラス

 正月休みも終わり、今日から仕事始めという人も多いかと思われるが、中国においては旧正月である春節が最も重要な祝祭日とされている。2025年における春節の連休期間は1月28日から2月4日までの8日間となっており、中国から日本へのインバウンドの増加も期待される。
 まず、中国人の訪日客数については、一定程度の増加が見込まれる。コロナ前の2019年比でみると、中国以外の訪日客が+56.2%と大きく伸びているのに対して、中国人の訪日客は▲27.3%と他の国と比較して遅れと停滞感がみられているが(図表1)、伸びしろは大きい。こうした中、日中両国によるビザ緩和を含めた日中関係の改善は訪日中国人数の押し上げ効果をもたらすと考えられる。昨今の日中の接近については賛否あるものの、少なくとも訪日中国人数の増加にとっては追い風になるものと考えられる。
 一方で、中国人観光客の消費単価について、大きな期待をすることは難しい。観光庁が公表するインバウンド消費動向調査によると、取得できる最新のデータである2024年7-9月期において中国人の1人当たり旅行支出は、2019年比で+26.6%に止まっている。伸びていることは事実であるが、円安の進行によって日本のモノやサービスが割安となる状況においては物足りない伸び率であり、伸び率自体も縮小傾向が続いている(2024年1-3月期:同+36.0%→4-6月期:同+26.7%→7-9月期:同+26.6%)。他国と比較してみても、中国の消費単価は、米国(同+51.1%)や英国(同+85.5%)、シンガポール(同+77.1%)における消費単価の伸びに大きく劣後している。背景にあるのは、中国経済の減速だ。不動産不況の強い下押し圧力等によって中国経済は低迷が続いており(図表2)、旅行消費に向かう余力が小さくなっているものと考えられる。とりわけ、旅行消費額の中での買い物代は2024年7-9月期で2019年比▲19.2%となっており、かつて爆買いという言葉が流行した時の中国の姿は無い。中国人訪日客の旅行単価上昇にはしばらく時間がかかるだろう。
 こうした中、懸念されるのが人手不足だ。日銀短観の雇用人員判断DIを確認すると、宿泊・飲食サービスにおいて人手不足が深刻化していることが示されている(図表3)。宿泊・飲食サービスはインバウンドにおいて需要が増加する産業の代表格であり、急速に需要が増加する中で、供給が追いつかず、受け入れは困難な状況だ。短期的には需要超過の中で単価を引き上げ、中長期的には省力投資や人材確保といった供給力増強によって収益を確保することが一つの対応策として考えられる。しかし、今の段階での中国人観光客の増加は、収益確保に結びつかない可能性が懸念され、オーバーツーリズムを悪化させることにもなりかねない。早急に供給力を増強し、需要増に対応する必要があるだろう。

*https://www.sompo-ri.co.jp/topics_plus/20250106-15626/ より

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<社名の由来> パイン

2025-01-28 10:23:21 | 社名の由来

 「パイン」

 パイン株式会社(Pine Co.,Ltd.)は、大阪府大阪市天王寺区に本社を置く、飴を中心とする菓子メーカー。1948年創業。

 会社概要
 関西を地盤とする菓子メーカーの一つ。1951年に発売され、パイナップルの味と形を模し、穴のあいた「パインアメ」は同社を代表するロングセラー商品として知られる。

*Wikipedia より

 沿革
 1948年 - 創業。
 1951年 - 株式会社業平製菓として設立。
 1952年 - 本社・工場を天王寺区上本町へ移転すると共に、「パインアメ」の第一号を販売。
 1956年 - パイン製菓株式会社へ商号変更。
 1963年 - 本社社屋を天王寺区上本町から生玉寺町に移転。
 1964年 - 滋賀県草津市の名神高速道路沿いに工場を建設。大阪市内の工場は電電公社の施設建設により土地の買収を受ける。
 1966年 - チョコレート内蔵キャンディの特許権を取得。
 1980年 - キャンディガム(どんぐりガム)を商品化。
 1981年 - パイン株式会社に商号変更。

*Wikipedia より

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< 郷土料理 > 長野 たなばたほうとう

2025-01-28 10:16:25 | 郷土料理

 「たなばたほうとう 」

 主な伝承地域 松本地域

 主な使用食材 中力 粉、小豆、ごま、きなこ 

 歴史・由来・関連行事
 西に北アルプス、東に美ヶ原高原が望める松本市は、長野県のほぼ真ん中に位置する山岳都市。松本城の城下町として栄え、歴史を感じる風情ある街並みは、「松本市景観百選」にも選ばれている。街と田舎がほど良く共存する松本市は、街中から少し離れればのどかな田畑が広がる。山を見つめ、自然のうつろいを感じながら暮らす長野県では、年間行事が月遅れや旧暦でおこなわれることが多い。松本地域では、七夕行事は月遅れの8月7日におこなわれており、厄払いを意味する紙や着物でつくられた七夕人形を縁側に吊るし、ほうとうやまんじゅうを供える風習が江戸時代頃から続いている。松本地域周辺では、以前はどこの農家でも小麦をつくっていたもので、原料の小麦がとれる時期がちょうど七夕と重なっていたことから、七夕につくって供えるようになったといわれている。「七夕ほうとう」は、ほうとうと呼ばれる小麦粉でつくった太い麺に小豆あんやきなこを和えたもので、松本地域では、この時だけの特別な料理として食べられている。また、「七夕まんじゅう」は、月遅れの七夕に供える風習が安曇野地域でも残っており、小豆あんを包んだ新小麦でつくった七夕まんじゅうをつくって神様に供える。

 食習の機会や時季
 月遅れ8月7日の七夕料理として食べられている。人形に着物を着せて軒下に吊るし、収穫した野菜や果物などと一緒に、ほうとうやまんじゅうを供えて食べる風習がある。

 飲食方法
 練った小麦粉をのばして麺状にし、小豆あんやきなこをまぶしていただく。ほうとうは、よもぎが入ったものもあり、おやつとして食べる。

 保存・継承の取組(伝承者の概要、保存会、SNSの活用、商品化等現代的な取組等について)
 今も七夕の季節には家庭でつくられている。七夕の季節になると、ほうとうがスーパーマーケットに並び、保育園の七夕行事におやつで出されることもある。松本市では月遅れの8月7日に七夕のまつりが開催され、街中が七夕一色になる。

*https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/tanabata_houtou_nagano.html より

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<B級ご当地グルメ> 福岡 天窓

2025-01-28 09:53:26 | B級ご当地グルメ

 「天窓」

 『天窓』は福岡県北九州市のご当地グルメ
 天窓(てんまど)と読み、焼きうどん・焼きそばの真ん中に卵を落として焼いた料理です。

 枠にはまった卵が、天窓から月を見た時の様子に似ていることからの命名で、北九州市では一般的です。 

 麺を焼いた後にくぼみを作って、水で溶いた小麦粉を少し落として卵が流れ出ないようにしてから、卵を1個落として全体を返します。
 目玉焼きが半熟になる頃にもう一度ひっくりかえして皿に盛ります。

*https://b9navi.com/%e5%a4%a9%e7%aa%93/ より

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うまいッ! NHK 「“幻の魚”極上の味わいを作り出せ!養殖いわな〜宮城・大和町〜」

2025-01-28 08:07:44 | うまいッ!NHK

 「“幻の魚”極上の味わいを作り出せ!養殖いわな〜宮城・大和町〜」 2024年6月16日

 清らかな渓流にすみめったに姿を見せない幻の魚「いわな」、その養殖が宮城県で行われています。天然物と比べ重さは何と8倍以上!大きさも味も絶品の養殖いわなをご紹介!

 食材ハンターのユージさんが訪ねたのは奥羽山脈の山懐、宮城県大和町にある「いわな」の養殖場。通常のいわなが100gほどなのに対しここで育てられているのは800g以上の超大物!宮城県が開発した最先端の養殖技術と生産者の長年の試行錯誤によって10年ほど前に生まれました。淡水魚ながらタイやヒラメに似た極上の味は地元で人気上昇中!生でも焼いても揚げてもおいしい養殖いわな、その魅力をとことん味わい尽くします!

「うまいッ!」の秘密
いわなを大きくするために欠かせない餌やり。しかし警戒心の強いいわなの稚魚は、餌を与えてもなかなか食べてくれず、慣れるまでに1ヶ月以上を要するという。餌を餌だと認識させ、食べるようになるまで粘り強く与え続ける。

いわなを育てる最適水温は12~13℃。水温が上がる夏にはいわなの引っ越しが行われる。大和町から標高の高い蔵王町の池へ移す「池繰り」という作業だ。水温が下がる9月まで避暑をし、年中快適な水温で飼育されている。

 「いわなを使った料理レシピ」について
 「いわなの香草パン粉焼き」
 <材料>1人分
 ・養殖いわな:1/2匹
 ・乾燥パン粉:30g
 ・大葉、チャービル、パクチー:それぞれ2g
 ・塩、こしょう:適量
 ・オリーブ油:適量
 ・にんにく:1片
 (タルタルソース) 
 ・卵黄(M):1個・塩、こしょう:少々・サラダ油:150ml・オリーブ油:100ml
 ・ワインビネガー:5ml・レモン汁:5ml・砂糖:10ml
 ・新玉ねぎ(みじん切り):30g・ゆでたまご(みじん切り):1/2個分
 ・パセリ(みじん切り):適量

 ・飾り野菜(お好みのもの):適量
 <作り方>
 1) 乾燥パン粉をナイロン袋に入れ、すり棒で細かくすりつぶす。
 2) 大葉、チャービル、パクチーをそれぞれみじん切りにして1)と合わせる。
 3) いわなは3枚におろして腹骨、小骨を抜いて4等分に切り、塩こしょうをして小麦粉、卵白、2)の順につけていく。
 4) フライパンに多めのオリーブ油を入れ、にんにくを炒めてから3)を皮目を下にして中火で2 ~3分。ひっくり返して2分ほど焼く。
 5) タルタルソースを作る。ボウルに卵黄、塩、こしょうを入れてかき混ぜ、サラダ油、オリーブ油を少しずつ入れて混ぜ合わせる。ワインビネガー、レモン汁、砂糖を加えて味を調える。
 6) 新玉ねぎをみじん切りにしてさっと水で洗ってから水気を絞る。5)に加え、ゆで卵、パセリも加えて混ぜる。
 7) 皿に4)のいわなを盛り、お好みの野菜、タルタルソースを乗せる。

 「いわなの唐揚げあんかけ」
 <材料>1人分
 ・養殖いわな:1/2匹
 ・塩:少々 
 ・かたくり粉:適量
 ・合わせたれ(だし汁6:濃口しょうゆ1:みりん1の割合でまぜたもの):300ml
 ・たけのこ(水煮)細切り:30g
 ・まいたけ:20g
 ・しめじ:20g
 ・なめこ:20g
 ・ごま油:5ml
 ・パプリカ(赤・黄)千切り:適量
 ・水溶きかたくり粉:少々
 ・ごま油:少々
 ・揚げ油:適量
 ・白髪ねぎ:1/4本分
 木の芽:1枚
 <作り方>
 1) いわなは3枚におろし、3~4mmくらいの間隔で皮を残すように切れ目を入れ、4等分に切ってから軽く塩をして30分ほど寝かせる。
 2) かたくり粉を1)に刷毛でまんべんなく付けてから余計な粉を取り除く。
 3) 170℃くらいの油で2)を3~4分ほど、最後強火にして20~30秒軽く色づく程度まで揚げる。
 4) 合わせだれを鍋に入れて火にかけ、たけのこを入れる。沸騰したら手で割いたきのこを入れ、再度沸騰したら弱火で1分ほど煮る。最後に水溶きかたくり粉、ごま油を加える。
 5) 皿に3)を乗せて4)の餡をかけ、素揚げしたパプリカ、白髪ねぎ、木の芽を添える。

*https://www.nhk.jp/p/umai/ts/P7R4N8K39M/episode/te/D9NML7J29Y/ より

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<異名-スポーツ選手> イル・プリンチペ

2025-01-28 07:56:45 | 異名

 「イル・プリンチペ フランチェスコ・トッティ」

 フランチェスコ・トッティ(Francesco Totti, detto anche er pupone, イタリア語発音: [franˈtʃesko ˈtɔtti], 1976年9月27日 - )は、イタリア・ラツィオ州ローマ県ローマ出身の元サッカー選手。元イタリア代表。現役時代のポジションはミッドフィールダー。

 約25年間に亘ってASローマ一筋でプレーしたバンディエラであり、キャプテンも務めた。同クラブの歴代通算最多出場(786試合)および歴代通算最多得点(316得点)の記録を持つ。在籍中セリエAを1度、コッパ・イタリアを2度、スーペルコッパ・イタリアーナを2度それぞれ制覇した経験を持つ。セリエAにおける通算得点数は歴代2位の250得点、通算出場数は歴代3位の619試合を記録している。

 創造性豊かなプレービジョンと優れた技術、高い得点力で知られたトッティは、ASローマにおける史上最高の選手にして、イタリア史上最も偉大なサッカー選手の一人であると見なされている。トッティはイタリアサッカー選手協会が主催する、毎年活躍した選手に表彰される賞であるオスカル・デル・カルチョにおいて、セリエA最優秀選手に2回、イタリア人最優秀選手に5回などにそれぞれ選出されている。

 イタリア代表においては2007年7月20日に代表引退を表明するまでに計58試合に出場し、準優勝となったUEFA EURO 2000、優勝した2006 FIFAワールドカップではそれぞれ大会選定のオールスターチームにも選ばれた。2004年には、ペレが選んだ世界の偉大なサッカー選手100人のリストであるFIFA 100にもノミネートされた。2006年にはイタリア共和国功労勲章を受賞。2011年の国際サッカー歴史統計連盟の発表では、トッティはヨーロッパで最も人気のある選手に認定された。

 愛称 イル・プリンチペ(王子様)、エル・プポーネ(大きな赤ちゃん)、エル・ビンボ・デ・オロ(ゴールデン・ベイビー)、第8代ローマ王、イル・カピターノ(偉大なるキャプテン)、イル・グラディアトレ(偉大なグラディエーター)等

*Wikipedia より

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<慣用句・諺> 羽を並ぶ など

2025-01-28 07:47:44 | 慣用句・諺

 「羽を並ぶ」

 1 《中国の、比翼の鳥の伝説から》男女・夫婦がこまやかな愛情で結ばれる。羽を交わす。

 2 臣下が協力して主君を助ける。

 

 「羽を伸ばす」

 束縛するものがなくなって、のびのびと自由に振る舞う。

 

 「歯の抜けたよう」

 まばらで、ふぞろいなさま。また、あるべきものが欠けて、寂しいさま。

 

 「歯の根が合わない」

 寒さや恐ろしさのためにひどくふるえる。

 

*goo辞書 より

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<日本酒メーカー> 新潟 猪又酒造

2025-01-28 07:38:27 | 日本酒

 「猪又酒造」

 猪又酒造株式会社(いのまたしゅぞう)は、新潟県糸魚川市の造り酒屋である。

 沿革
 1890年(明治23年) - 創業
 1927年(昭和2年) - 『月不見の池』(つきみずのいけ)発売
 1953年(昭和28年) - 現在の「猪又酒造株式会社」を設立
 1964年(昭和39年) - 県内では先駆けて純米酒造りに着手
 1965年(昭和40年) - 純米吟醸『奴奈姫』(ぬなひめ)発売
 1979年(昭和54年) - 醸造用糖類の無添加開始
 月不見の池
 火打山、焼山を源流とする早川に由来し、藤の名所である早川谷「月不見の池」と同水系の伏流水を用いた、その名所にふさわしい酒として知られる。原料米は60%精白した地元産の五百万石や山田錦など。平成7、8、12、13、16年度の「全国新酒鑑評会」で金賞受賞。大吟醸酒、純米吟醸酒、純米酒、本醸造酒、普通酒がある。麹造りに重きを置き、『越乃寒梅』の麹室の設計者に指導を受け、麹室を作り換えた。

 奴奈姫
 地元に残る奴奈川姫伝説から名付けた純米吟醸酒。原料米には五百万石と山田錦を用い、精米歩合50%で仕込む。仕込み水には上記「月不見の池」と同じ伏流水を用いている。

 その他の銘柄
 『大地の虎』『大地の翠』という銘柄も醸造している(外部での販売)。

 猪又酒造株式会社 新潟県糸魚川市新町71-1

*Wikipedia より

 代表銘柄

純米吟醸 月不見の池

瓶火入れ急冷し貯蔵する瓶囲いです。熟成させたのち醸造年度別に出荷します。五百万石が熟した香りと、軽快で円やかな熟味とキレが魅力のお酒です。「こういう 純吟がいい」自信を持っておすすめできる純吟です。

精米歩合 50%
アルコール分 15.8%
日本酒度 +3
酸度 1.4
原料米 五百万石

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<日本の名水百選> 新潟 荒川

2025-01-28 07:32:50 | 名水百選

 「荒川」

 荒川(あらかわ)は、山形県および新潟県を流れる河川。一級水系の本流である。国土交通省による平成15年水質調査では、日本一きれいな一級河川のひとつと評価された。

 名前の由来は字の通り「荒ぶる川」に由来し、昔からよく水害を起こす川である。

*Wikipedia より

 きらめく清流 「荒川」 更新日:2021年6月15日更新
 関川村、村上市及び胎内市を流れる清流「荒川」は、3年連続で水質日本一に輝き、平成20年6月に環境省が発表した『平成の名水百選』に選定されました。
 荒川の周辺には、五感を通じてその優れた水環境を感じることのできるイベントや場所が満載です。
 あなたも荒川を訪ね、そこで行われる「守り」、「育て」、「活かす」取り組みに参加し、清流「荒川」のきらめきを感じませんか!
 アクセス

 JR新潟駅(羽越線)→坂町駅(米坂線)→越後下関駅〔約1時間30分〕
 東北自動車道「福島飯坂IC」→国道13号(南陽市)→国道113号〔東京から約7時間、約386km〕
 関越自動車道→日本海東北自動車道「荒川胎内IC」→国道7号(村上市坂町)→国道113号〔東京から約6時間、約382km〕

 新寫きらめく清流「荒川」
 清らかな流れ・美しい景観
 夏の清流・荒川

 荒川は、国土交通省の調査において3年連続(平成15年から17年)できれいな水質ランキングで日本一を記録し、同ランキングでは常に上位を維持しています。また、2県をまたぐ1級河川で県境から河口までの全川が最もきれいな水質環境基準AA類型となっていることも、「荒川」の清らかさを示しています。
 荒川流域には、上流域に磐梯朝日国立公園があるなど、荒川本川の以外にも大小数多くの支川が流れ、豊かな水辺環境が広がっています。中でも、景観の美しい「荒川峡もみじライン」や「高瀬の桜づつみ」、新潟景勝100選と新潟の橋50橋にも選定されている「鷹の巣つり橋」など、見どころがたくさんあります。

 たくさんのイベント・おいしい“食”
 親子カジカとりまつり(大石川)

 荒川流域には、「えちごせきかわ水辺プラザ」「ふるさとトンボ池」(以上、関川村)、「金屋水辺の楽校」、「神林水辺の楽校」(以上、村上市)といった親水公園が整備されており、子どもでも容易に川や自然の生き物と親しむことができます。また、多くの魚を育む荒川は、年2回180人が参加するアユ釣り大会や支川の大石川で毎年千人の参加がある「カジカとりまつり」などのイベントも行われ、交流の場にもなっています。
 自然豊かな荒川流域ならではの山、川、海と揃う地域の食材を使った四季の料理をぜひ、ご堪能ください。
 豊富な水量・様々な生き物
 生息するカジカガエル(荒沢川)

 荒川の水は、古くからかんがい用水として、新潟県を代表する銘柄米「岩船産コシヒカリ」の生産に利用されているほか、水道水源やダム(大石ダム、横川ダム他)で発電用に利用され、地域住民の生活を支えています。
 このほか、魚類では代表種であるサケ、サクラマス、アユをはじめ、ヤマメ、イワナ、カジカなど、多様な水生生物が生息しています。
 清流に住むカジカガエルは、その鳴き声の美しさから、古くは平安時代から、その鳴き声を愉しんだと言われています。湯沢温泉から歩いてほど近い支流で、散歩がてら涼しげな鳴き声を鑑賞してみませんか。
 清流「荒川」には、守り育て、活かす取組を行っています
 清流を守り、清流を育てる
 1000人クリーン大作戦

 “清流”荒川を考える流域ワークショップ(民間団体)が主体となり、荒川流域2市村(村上市・関川村)と共同で、平成18年から「荒川1000人クリーン大作戦」と名付けた1000人規模の清掃活動を毎年4月に実施しています。
 河川の水質状況を把握するため、荒川水系水質保全連絡協議会が昭和59年から毎年水生生物調査を実施しており、毎年、荒川流域の小・中学校が参加しています。
 清流を活かす
 サケ稚魚の放流

 荒川漁業協同組合では、漁業資源の保護を目的に、サケやマスの稚魚の放流を行っています。春には、地域の幼稚園児による稚魚放流式を開催し、小学校ではサケの採卵実習や飼育による生態観察も実施するなど、「荒川」が地域の自然や産業を学ぶ教材となっています。
 「大石・山と川に親しむ会」(民間団体)では、荒川支流の大石川で地元小学生とともに水芭蕉等の植栽などの美化活動を行っています。会では、このほかに「大石どもんこまつり」※や水源地のブナ林を訪ねるツアーなど、自然環境を利用した多彩な活動を展開しています。
(※「どもんこ」は、雪のかまくらのことです。)

 サケ釣獲調査

 荒川では、平成19年から「サケ釣獲調査」が実施され、全国各地から1600人を超える釣り客が訪れています。川の水面幅が100mを超える大河でのサケ釣りは全国的にも珍しく、大好評を得ています。
 山形県境の荒川上流部は、美しい渓谷美が自慢。車や汽車の車窓から眺めるだけでなく、目線をぐっと落とした水面から眺める荒川渓谷はまた絶品。カヌー体験では清流を肌で感じることができます。

*https://www.pref.niigata.lg.jp/sec/kankyotaisaku/1282680045069.html より

 由来・歴史
 関川村に昔から言い伝えられている大里峠伝説という大蛇の話と昭和42年8月28日に発生した羽越大水害、この2つをテーマに昭和63年から「大したもん蛇まつり」を村全体あげて毎年行っている。竹とワラで作った長さ82.8m、重さ2トンの大蛇は村民の手作りで、世界一長い蛇としてギネスブックにも認定されている。
 水質保全活動
 民間団体が主体となり、荒川流域3町村(関川村・荒川町・神林村)と共同で、「荒川1000人クリーン作戦」という名の清掃活動を年一回6箇所で実施している。
 その他には、3町村の老人クラブ連合会主体で荒川の清掃活動を毎年行っており、また、荒川堤防には、障害者の方が花文字「きれいなあらかわ」を植樹し、河川愛護を呼びかけている。

 周辺の自然環境-「3年連続水質日本一」の記録をもち、地域の貴重な資源として、流域市村をはじめ多様な人々が保全活動に関わっている。古くから生活に密着しており、鮎釣りをはじめカジカ採りなど親子で水に親しめる憩いの場として活用されている。
 利用状況-水稲のかんがい用水や水道水源、また、水力発電所を2カ所するなど、地域住民の生活を支えている。
 また、年2回180人が参加するアユ釣り大会、支川大石川で毎年千人の参加がある「カジカ採り祭り」、全国各地から1,200人余りが参加した「サケ釣獲調査」などのイベントを通じて、地域外との交流の場ともなっている。

*https://water-pub.env.go.jp/water-pub/mizu-site/newmeisui/data/index.asp?info=28 より

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<知ってるようでよく知らない言葉・モノ・コト> メガバンク

2025-01-27 09:01:20 | 知ってるようでよく知らない言葉・モノ・コト

 「メガバンク」

 メガバンク(英語: megabank, mega bank)は、巨大な収益規模や資産を有する銀行・銀行グループ、あるいは1兆ドル以上の総資産を持つ銀行グループのことである。統合・合併で誕生した巨大銀行(きょだいぎんこう)を指す場合もある。

 日本のメガバンク
 明確な定義づけがされていない一方で、日本のメガバンクは、三菱銀行を元にする三菱UFJ銀行、住友銀行を元にする三井住友銀行、富士銀行を元にするみずほ銀行の3行であり、これらは都市銀行の合従連衡によって生まれた。

 バブル景気が崩壊した1990年代以降、日本では銀行(邦銀)はいずれも過剰融資による不良債権で急速に体力を失っていった。また同時に、総会屋に対する利益供与事件(小池隆一事件)が明らかになったり、その不透明な融資体制、護送船団方式により喪失した国際競争力などもあり、こうした問題の解決に迫られた。

 これらの諸問題の包括的な是正のため1996年、第2次橋本内閣はその政策の柱に「金融制度改革」いわゆる金融ビッグバンを提唱。1998年には私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律(独占禁止法)が改正され持株会社の設立が可能になり、統合のための制度的環境が整備された。

 一方で1997年には北海道拓殖銀行と山一證券が、翌1998年には日本長期信用銀行と日本債券信用銀行が破綻し、社会からの金融に対する信頼は大きく低下。「銀行が潰れる」という事態が現実のものとなり、その他の大手銀行にも経営不安がささやかれるようになる。

 こうした危機感の中、銀行の統合による規模の経済性、多角化による経済性、コスト削減効果等により見込まれる経営改善効果を期待した邦銀は、1999年以降雪崩を打って再編へ走り出す。こうして1970年代から1980年代に「都銀13行」「大手20行」と呼ばれた各行は、段階的な合併劇を繰り返した末、2006年には三大メガバンク(三菱UFJフィナンシャル・グループ、三井住友フィナンシャルグループ、みずほフィナンシャルグループ)、四大銀行(三菱UFJ銀行、三井住友銀行、みずほ銀行、りそな銀行)体制に落ち着いた。盤石と思われていた一流銀行の統合劇は、日本国民にも大きな衝撃を与えた。

 企業の株式持ち合いなど日本独自の慣行を取っており、メガバンクは2015年6月時点で株を合計6兆5000億円(取得原価ベース)も保有していたが、アベノミクスの成長戦略の中の企業統治強化に伴い、金融庁から持ち合い株売却の規制を受けている。

 三菱UFJフィナンシャル・グループ

 三菱UFJ銀行にいたるまでの主要な合併
 前身の1つ、三菱東京フィナンシャル・グループは、1996年に三菱銀行と東京銀行の合併によって生まれた東京三菱銀行を中核としたグループである。三菱銀行時代から「官僚的な行風」とされ効率性には乏しい反面、堅実な財務体質で知られ、「安定性」が何より重視された金融不安の時期には最優良都銀と目された。他行の金融持株会社による多角化に触発され、2001年、系列の三菱信託銀行、日本信託銀行とともに「三菱東京」を設立した。

 一方もう1つの前身、UFJホールディングスは、UFJ銀行を中核としたグループである。もとは東海銀行とあさひ銀行の合併が構想されていたのだが、ここに上位都銀では再編出遅れ組だった三和銀行が参加。当初東海・あさひが地域密着型でリテール中心の事業モデルを志向していたのに対し、三和はコーポレートファイナンスや海外業務も総合的に手がける「マネーセンターバンク」を目指す。こうした意見の相違や、埼玉銀行を前身とするあさひが、大阪地盤の三和に主導権を取られることを嫌ったこともあり、最終的にあさひは計画から離脱。三和系列の東洋信託銀行を交え、2001年「UFJ」を旗揚げした。

 しかしながら、積極的な体質の三和がバブル期に築いた不良債権は大きく(とくにダイエーに対する融資に関してはUFJ成立後1兆円超となってしまう)、更には合併相手である東海銀行陣営を冷遇した事による紛争が勃発、他のメガバンクが経営改善を進める中、紛争が響き後れを取ってしまい、積極的な資本増強策を行っていなかったためか取り残された状態となる(不良債権解消は行ってはいたが金融庁から業務改善命令を出されるなど選択肢が制限されていた上、現金資産が上昇した訳でもなかった)。更には2003年には金融庁検査における不良債権隠しが発覚し、兼ねてから旧大蔵省に対して強みを持っていた当時の副頭取であった岡崎により議事録改竄などの挑発行動に出た結果、東海陣営からの内部告発による全容発覚を含め金融庁の逆鱗に触れてしまった(UFJ銀行#金融庁との対立と特別検査も参照)。結果UFJに対する風当たりは厳しくなり、不良債権の引き当てなどで4,000億円の赤字を抱え込む事になってしまったため、傘下のUFJ信託銀行を住友信託銀行に売却すると発表。それでもなお解決は見込めず、三菱東京に救済合併される形となった。UFJの救済役には後から三井住友フィナンシャルグループも名乗りを上げたが、競り負けた。

 この結果、総資産で当時世界最大の三菱UFJ銀行が誕生した。旧東京三菱・UFJがそれぞれ首都圏・東海圏・近畿圏を地盤とした三大都市圏をカバーする一方、三和が得意としていた海外業務にも力を持ち、全体的なバランスは優れる。反面、行風も地盤もまったく異なる銀行同士の寄り合い所帯とも言え、これらがどのように融和されるかが課題である。また、傘下の三菱UFJ証券の投資銀行部門の強化も課題である。三菱UFJ銀行、三菱UFJ信託銀行、三菱UFJ証券ホールディングス、三菱HCキャピタル、三菱UFJニコスなど主要5社が中核となり、世界屈指の総合金融グループを目指している。

 三井住友フィナンシャルグループ

 2002年発足。2001年の住友グループの住友銀行と三井グループのさくら銀行の合併による三井住友銀行を中核としたグループ。

 さくら銀行は1990年、三井銀行と太陽神戸銀行(太陽銀行と神戸銀行が1973年に合併)が合併し「太陽神戸三井銀行」として誕生、1992年に改名したもの。三井銀行は三井グループの中核だったが、戦後まもない帝国銀行の再分割で他の財閥系銀行に比べて規模が小さく、三井グループの金庫番としての機能を十分果たせなかった。そこで業容拡大のため、中位行ながら多くの店舗を持っていた太陽神戸銀行と合併した。当初は合併効果が期待されたが、合併直後のバブル崩壊に加え、太陽神戸銀行時代から続く旧行出身者間の対立に三井銀行が加わったことによって非効率な経営がとられ、実力はほとんど発揮されなかった。

 1997年の金融危機では、経営危機がささやかれ、巨額の公的資金注入を受けたほか、トヨタ自動車や三井グループ各社などへ増資を要請する事態にまで陥った。製造業が一社単独で銀行支援に動くというのは異例の事態であった。こうしてさくら銀行は当面の危機を脱したが、これを機に旧三井が経営の主導権を握るようになった。

 一方、住友銀行は長らく大阪を拠点とする住友グループの中核で、先進的・効率的経営の一方、取引先企業の経営が傾き始めると容赦なく融資を引き上げるので「逃げの住友」と批判され、経済誌の顧客イメージランキングでは、常に他行の後塵を拝していた。利益第一主義の体質ゆえバブル期の積極融資によってバブル崩壊で膨大な不良債権を生み出すことになり、さらに暴力団・総会屋絡みの不正融資である"イトマン事件"、光進事件の1つ"蛇の目ミシン恐喝事件"等の不祥事が続発し、もはや住銀単独では処理が不可能であった。そこで、さくら銀行との合併を決断する。

 2002年、持株会社「SMFG」を設立。この背景は財務状況の改善がある。続いて2003年、第二地方銀行のわかしお銀行を存続会社として合併し、三井住友銀行に改称。これは有価証券の含み損を解消するためであった。

 3大メガバンクの中ではもっとも営業経費が少ないため、利益率・収益力の高い銀行である。カードローン、インターネットバンキング、各種リスク性商品販売などリテール・コンサルティング戦略に強みがある。米シティグループ傘下の日興コーディアル証券を傘下に収めるなど、アライアンスの強化で法人・個人両面で営業力の強化を目指している。かつては傘下に信託銀行を持たなかった点などグループの総合力で遅れを取っており、米国金融持株会社(FHC)の資格取得、ニューヨーク証券取引所(NYSE)への上場を含め総合力の強化が課題であったが、ニューヨーク証券取引所へは2011年11月1日付けで上場。これに伴いFHCに関しても規制厳格化後に取得出来る事から、規制上のフリーハンドマージンが期待出来る。今後の課題としては、従来サポートが弱いとされていたリテール業務への強化に関し、日興コーディアル証券を買収し発足したSMBC日興証券がサポート出来るかが課題となる。

 メガバンクの中では、唯一全国銀行協会の持株会社会員に加盟していない。

 みずほフィナンシャルグループ

 みずほ銀行を中核とするグループ。第一勧業銀行、富士銀行、日本興業銀行を前身とする。

 第一勧業銀行は1971年、第一銀行と日本勧業銀行の合併で誕生した。第一勧銀グループの中核企業である。当時日本最大の総資産を誇った富士銀行を抜き、規模では都銀首位となったが、旧第一派と旧勧銀派の融和は進まなかった。「対等合併」を気にする余り、非効率的な人事や経営方針が取られ、その体力は規模ほどには強くなかった。1997年には野村證券とともに、総会屋への利益供与事件で本店が家宅捜索を受け、社会的イメージは決定的に悪化してしまった。

 富士銀行は安田財閥の中心であった安田銀行が、戦後の解体で改名したもの。芙蓉グループの中核企業であり、長らく都銀の名門であったが、1970年代から地盤沈下が始まる。営業を積極的に押し進める住友銀行に対抗し、「FS戦争」(「富士住友戦争」ともいう)と呼ばれる熾烈な貸出競争に走ったが、最終的にはほぼ敗北。その上、これがバブル期に重なり、多額の不良債権ばかりが残る結果となった。

 加えて同時期、親密だった山一證券が破綻、系列の安田信託銀行も経営が不安定となる。安田信託を子会社化し再建を図るが、富士独力では限界があり、第一勧銀傘下の第一勧業信託銀行と富士傘下の富士信託銀行が合併。これに安田信託銀行の業務の一部を譲渡した。ここで第一勧銀と富士に関係が生まれ、みずほフィナンシャルグループ誕生の契機となる。

 1999年、この2行に日本興業銀行が加わり、みずほフィナンシャルグループの設立が発表された。興銀は長期信用銀行の雄として名を馳せ、バブル期には日本企業の時価総額で第1位(すなわち全世界で時価総額第1位)の座にあった。しかし、その重厚長大産業を主要顧客とした長期融資の時代はもはや終わりを告げ、野村證券との提携で投資銀行への転換を図るが、同じく長信銀の日本長期信用銀行(長銀)、日本債券信用銀行(日債銀)は既に破綻。予断を許さない状況の中、政府金融当局の意向も働いたとされ、第一勧銀・富士に身を委ねる形となった。

 参加行に注入された公的資金は3兆円近くに達し、2002年のみずほ銀行発足直後にATM障害が発生、総会屋事件を引きずる顧客情報流出など、当初のイメージは芳しくなかった。りそな・UFJとともに国有化が噂され、取引企業を引受先とする1兆円の巨額増資を行い、2002年から2003年にかけ冬の時代であった。しかし結果的に増資は功を奏し、株価は底値から18倍近く上昇し、2006年には公的資金を完済、財務は三菱UFJ以上の優良体質となった。しかし、2008年以降の世界的な金融危機の中で投資銀行部門の損失が拡大、メガバンクの中で中核的自己資本比率の引き上げを求める新BIS規制への対応が最も遅れているなど、経営基盤が盤石とは言い難い。また、商業銀行部門だけでなく証券業務(新みずほ証券+みずほインベスターズ証券)でも融合が進まず効率性の点にも課題があり、2013年初頭に証券部門を統一(みずほ証券+みずほインベスターズ証券の合併)により一層の強化を図っている。

 東証1部上場企業の7割と取引を持っており、旧興銀のノウハウを活かしたコーポレートファイナンスに強みを持つ。一方、リテールの収益性が依然として低いのが課題である。また2011年には東日本大震災の募金が原因で再びシステム障害を発生させ、信頼が再度低下。信頼回復も課題となり、2013年7月にみずほコーポレート銀行と合併、中核はみずほ銀行に一本化された。

 2019年に新システム「MINORI」への移行が完了したとされるが、みずほ銀行はこれまでに、特に2021年以降、ATMの停止など、立て続けにシステムのトラブルを引き起こしている。これは合併の際に合併前の3行の全く別々のシステムのうち、いずれか1つのシステムのみを採用すべきところを、3つのシステムを無理やり統合するという不適切な方法を取ったことがそもそもの原因との指摘があり、古いコンピュータシステムの開発者の退職や死去、システム構造のブラックボックス化もあって、ITの同業者からも、システムの根本的な修正はもはや不可能との指摘がある。

*Wikipedia より

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