〈リバイバル・アーカイブス〉2024.1.15~1.29
原本:2021年2月7日
2021年1月30日 狭山池&博物館ツアーが開催されました。
昨年に続き、2度目の池底ツアーが今年も開催されました。
寒かったですが、今年もいい天気に恵まれました。抽選で選ばれた114人の方が非日常の体験をされました。応募は倍以上の361人もあったそうです。
干上がった南側の池底 人工のわんどを見入る見学者。
各班に分かれ、ボランティアガイドさんの詳しい解説を聴き入る参加者のみなさん。
西除川(天野川)の流入する干上がった南側の池底を歩きます。
ややふんわりしていますが、砂質の歩きやすい池底です。
池底では道案内のガイドさんの案内で、定点解説のボランティアガイドのお話を聞きました。
一番南側の少し高まった池底には河岸段丘堆積物と思われるしっかりした未固結堆積物があります。
西除川(天野川)流入部は蛇行しながら50cmほど削られています。
遠くみる龍神社
6mほど水面が下がっているのがわかります。
ここでも道案内のガイドさんに従い、見学しています。普段は入ることのできないエリアです。
定点ガイドさんのお話を聞きました。今回ボランティアの方は総勢71名。
事前の草刈りや池の清掃をはじめ、準備委員会、下見会など多くの方の協力が支えとなりました。
当日もいくつもの団体やボランティアの方の協力で、コロナ対策をしながらの開催でした。
天守閣ほどもある、堅牢な龍神社の石積み
近くで見るとこんなに大きい。
龍神社の創建ははっきりしませんが、水の神様である龍神を池の周りで祀られていたようです。
幕末の安政年間の改修で、池の中に石積みの祠を設け「善女大龍王(雌の龍神)」を祀ったとあります。異説に大蛇という説もあります。
そして手前の龍神淵には雄の龍神が、これが富田林の粟が池の龍神という言い伝えがあるそうです。
こんなお話です。
狭山池の龍神伝説
夫婦である2匹の龍神(大蛇という説もある)は雄が粟が池(富田林市)、雌は狭山池と夫婦別々で住んでいました。
雌の龍神が毎夜、夫のもとに通うのですが、その巨体で田畑の作物はなぎ倒され、運悪くそこに居合わせた人や牛馬を丸呑みにしながら行くので、人々は困り果てていました。
村人たちは話し合いの末、夫の龍神を狭山池に迎えて一緒に住んでもらおうということになりました。
そして、狭山池に祠を建て、粟が池の龍神をそこに導きました。
その祠が、龍神社で狭山池の雌の龍神が住み、雄の龍神が住んでいたのは龍神淵だという伝説です。
龍神淵は直径27m、深さ5mもあるすり鉢状のくぼみで、安政の改修で作られ、平成の大改修でもこのように整備された人工の土孔です。平成工事でこの窪みの底に陶器の壺(高さ21cm×口径20cm)が発見されました。その中にはご神体が入っていたという事です。それ以前は、池の外の西除の滝口にあったようです。
また、この龍神淵は池干しや池さらえした時の龍神の避難所でもあるそうです。
この後、狭山池博物館に移動し、館内のボランティアガイドさんの詳しい狭山池のお話を聞きました。
関連記事:狭山池 池底ツアー 2020.2.5
撮影:2021年1月30日
2021年2月7日 (HN:アブラコウモリH )
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