今までの中から印象的であったものを2週間ほどリバイバルします。
原本:2014年2月19日
私たちの住んでいる富田林市周辺には、お相撲さんのお墓がたくさんあります。
古くから存在する村の墓地に、さりげなくまたは目立って存在するお相撲さんのお墓は、かつて大坂相撲またはその下部組織の相撲興行がさかんな土地柄であったことを意味しています。
2014.2.7. 南大伴町墓地にて
大坂相撲は江戸・元禄期の頃から、 昭和2年(1927)まで存続し、東京相撲と統合し、大日本相撲協会が発足し、現在の日本相撲協会に至っています。
文久3年(1863)に大坂北新地で壬生浪士組(後の新撰組)と大げんかし、死傷事件を起こした大坂相撲の力士さんたちのお話は有名で、また現在でも時津風や三保ヶ関などの年寄名跡(俗に年寄株、親方株)の名前や、後援者を指す「タニマチ」などの隠語にそのなごりを残していますね。(参照:ウィキペディア)
*「タニマチ(谷町)」:相撲界の隠語で、ひいきにしてくれるお客さん、または後援してくれる人・団体、無償スポンサーのこと。
「タニマチ」の語源は諸説あります。江戸時代、あるいは明治の初期に大阪の谷町(たにまち、現在の大阪市中央区)で開業していた医者が大の相撲好きで、力士が診察に訪れた際に治療費を受け取らなかったことから来ている、という話が有名です。(参照:ウィキペディア)
大相撲三月場所では、その期間大阪府下のあちこちで各部屋の力士さん・親方が、タニマチのお寺や会社の一画を借りて寝泊り・稽古をします。よく、近鉄電車でもお相撲さんを、みかけますよね~!
2010.3.22.11:05 大相撲三月場所、大阪会場にて
間もなく、3月9日~23日に大相撲三月場所(大阪場所・春場所)が大阪会場、大阪府立体育会館にて開催されますね。
私は2000円の会場販売、大人自由席を早くから並んで買いますが、幕内が始まる前の力士さんのお相撲も結構おもしろいので、好んで観覧しています。途中1回だけ途中退出できるので、お昼ご飯や周辺散歩に出かけます。序の口や序二段の力士さんは、まだ体重も軽いので、上記の写真のようなおもわぬ名場面が撮れることがあります。このあと、どっちが勝ったんでしょう?忘れました。
「力辰」
地上高3mもある巨大な墓碑。大正14年10月建立。
大阪角力頭取(=親方) 朝日山、高田川、時津風、三保ヶ関、横綱 宮城山の名前もみえます。
「港岩」
港岩 奈良吉 昭和10年11月3日建之。 基礎正面に「大伴内 門弟中」
*お相撲さんの墓は、同じ部屋の仲間で建之し、「門弟中」と基礎正面に刻まれることが多いです。「大伴内」はこの地域に、同じ仲間(部屋)の集まりか、大阪相撲(建立年では大日本相撲協会)の下部の興行があったことを示していると思われます。
「 荒熊 」
荒熊 九平 明治35年12月建之 猫足、基礎正面に、「門弟中」
「都石」
都石三良吉 大正15年9月25日建之 「大伴内門弟中」
そのほか、四股名は墓碑には書かれていませんが、角力関係者とおもわれる基礎段のお墓のありました。
南大伴墓地についても、ご紹介します
墓地は南大伴集落の東側、千早川のほとりにあります
墓地の中央に大きな木があり、石仏様がおられます。
井戸があり、現在も使われています。
江戸中期に民衆(一般の農民)に現在のような墓碑が広まるまでの間、きっとこのような川原石を集めたようなお墓があったのでしょうか。
南大伴町墓地には、いくつかこのような墓碑の原型ともいうべきお墓が存在します。関係するお家のお墓の中にあり、今もお参りされておられます。
撮影:2014.2.7. 富田林市南大伴町3丁目 南大伴町墓地にて
*お墓の写真は、貴重な歴史的文化財として撮影させていただきました。
〈参考文献:大西 英利 「河内相撲研究」 河内相撲史談会 発行 2000.11.〉
2014.2.19. 林 保夫 (HN:アブラコウモリH )
これからも「みじかなすごいもの」を紹介していきたいと思います。