2023年1月28日 15:43 南河内郡河南町寛弘寺 寛弘寺古墳群
ここからの金剛山の眺めは雄大できれいですが、雲に隠れて頂上付近は見えませんでした。
頂上付近はマイナス6度 天候は雪 積雪15cmでした。(「金剛山積雪情報」HPより)
大和葛城山も雪雲に被われています。
1月31日 15:55 富田林市東板持 国道309号バイパス 板持トンネル過ぎたあたり
晴れの日にもう一度見に行きました。頂上付近にさらに積雪があり25cmに、頂上気温マイナス7度。
山腹の雪は解けてしまいましたが...
頂上付近はしっかりと冠雪が見られます。
頂上付近は霧氷も見られます。
1月25日に大寒波がやって来て、頂上付近の気温がマイナス10度まで下がりました。
頂上付近がマイナス10度になるのは1年に1度あるかないかくらいです。その後寒波が続きました。
2~3日前は大和葛城山全体が真っ白でしたが、すぐに溶けてしまいました。
寛弘寺神山(こやま)墓地から見た金剛山。
手前の小山が墓地です。鎌倉後期 正和四年(1315)銘の花崗岩製石造五輪塔が頂上付近にあります。
こちらは古墳。寛弘寺古墳群の「ツギノ山古墳群 5号墳」です。2段築成の直径30mの円墳。寛弘寺古墳公園として整備され、見学できます。
造り出しがある円墳は珍しいと思います。円筒埴輪列があり船型埴輪が出土しました。
埋葬施設は未調査なので詳しい内容は解りませんが、5世紀頃の中期古墳と考えられています。
時期からして竪穴式石室が眠っているようです。
これは5号墳の東側の崖際にある6号墳。墳丘長22mの方墳です。この古墳も5世紀中頃の中期古墳と言われています。
実は寛弘寺古墳群は前期から終末期まで連綿として築造された貴重な古墳群です。(現地の案内板より)
古墳時代に東側を流れる千早川流域に有力な豪族、おそらく紺口県主(こむくのあがたぬし)の一族が永続的住んでいた根拠となる貴重な古墳群です。その総数はなんと92基、大和王権との連合の証しの前方後円墳がないのがすこし気になるところです。
残念ながら圃場整備で古墳公園の4・5・6・7号墳の「ツギノ山支群」以外は田んぼに替わり、消滅しました。
一部40・41・42号墳の横穴式石室は近つ飛鳥風土記の丘に保存されています。
東にそびえる二上山と方墳の6号墳。
手前は5号墳の墳丘と「自由の女神像」のように手をあげている私の陰。
南側の見晴らし。金剛山と和泉山脈が見える。
標高97mの高台にあり南側の圃場(標高83.5m)との比高は13.5mあります。
東側の崖下の寛弘寺の集落(標高74m 府道705号付近)との比高は23mもあります。千早川(標高66.3m)との比高は30.7mです。
古墳公園から見た「ワールド牧場」。
上弦の月がきれいでした。
関連記事:雪の金剛山―富田林じないまちより 2018.1.7
金剛山の冠雪(2013.11.29.14時) 2013.11.30
撮影:2023年1月27日、28日、31日
2023年2月3日 (HN:アブラコウモリH )
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