〈リバイバル・アーカイブス〉2022.8.8~8.22
原本:2018年11月13日
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2018年10月28日(日) 9:30 近鉄長野線 汐ノ宮駅より汐ノ宮公園に集合し、まずは近くの千代田橋を渡り、越えた橋の右より川に降りる階段を下りて上流に140m行ったところに、汐ノ宮火山岩露頭「横山潮湧(しおわき)石」があります。
コースとしては、このあと西野々古墳群(富田林市伏見堂)→立木化石群(錦織東二丁目)→浅川堤(富田林市甲田)→足跡化石(川向町)と進み、最後にTopic富田林市きらめき創造館(常盤町)にて企画展示「100万年 人と自然の石川谷」の展示会見学となっています。
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横山潮湧石(汐ノ宮火山岩) 富田林市横山
石川の河川敷に汐ノ宮火山岩(安山岩)が露出していて、柱状節理になっています。また、冷泉が川の脇から湧いていて、ブクブクと泡を出していて、回りがオレンジ色に変色しています。
千代田橋からみた横山潮湧石
2018.10.28.10:17 横山潮湧石(汐ノ宮火山岩)
60人近い参加者がありました。ご家族で参加の方もおられます。
これが安山岩の柱状節理 約1500万年前に噴出した溶岩です。溶けていた溶岩が急に固まる時に、体積が小さくなるので五角形あるいは六角形の柱のような縦に長い割れ目ができます。
川原から突き出た岩の山、まさに奇勝というべき光景です。
柱が左側(上流の方、南側)に傾いています。これは本来溶岩の底から垂直に柱状節理ができるので、ここの場合斜めに傾いているということは、溶岩が左側に斜めに流れ出したということになります。溶岩が厚いほど柱の長さは長くなるそうです。
【パノラマ撮影】上流より見た柱状節理
写真のようにすぐ上流で石川が大きく蛇行します。そして柱状節理の先端が川の攻撃面になっています。
拡大してみると、二つに分かれた節理がみえますが、川底でつながっているものと思われます。
汐ノ宮火山岩は安山岩(SiO2=56wt.%)でマグネシウム成分が特別多く含まれています。(MgO=7wt.%)嶽山山頂部にも同じ性質の火山岩(高マグネシア安山岩)が分布するそうです。石器の原料でも有名なサヌカイトに近い種類なのでサヌキトイドと呼ぶこともあります。
高マグネシア安山岩は上部マントルの水を含んだカンラン岩が部分溶融してできたマグマが,直接上昇固結したためにできたとされています。マントルと直結した非常に深いところで形成された溶岩が地表または地上近くで冷えて固まったものだと解ってきました。
担当者の説明の後、多くの参加者が思い思いに柱状節理を観察しています。質問をされている方も多くおられました。
同じ場所で冷泉が湧出しています。
「血の池地獄」のようになっていて、参加された方もびっくり。
湧出地点。現在川の水がほとんど流入していないので、湧出しているのがよくわかります。口に含むと、炭酸水のような発砲性があり、硫化物含んだ臭いがあり、すこし塩辛い感じでした。
波紋をつくり、湧き出す冷泉。
このように波紋をつくり、ブクブクと湧いています。
オレンジ色の湧出物のようなものは、実は鉄バクテリア(細菌)が作り上げた酸化第二鉄(赤さび、FeO2)の色で、水底に沈殿しています。つまり、鉄分が多く溶けていて、出ていることが解ります。冷泉の成分に鉄成分が含まれているということになります。要は「鉄気水」とか「かなけ水」とか言われているものです。
みなさんも造成地の法面の配水口や湿原、山あいの田んぼの用水路などで赤茶けたこれを見かけられたことはありませんか?
鉄バクテリア(細菌)というのは、別に珍しいものではなく広く土壌に存在しています。
Fe2+ → Fe3+ + e- という反応の際に生成される電子(e-)を取得して生活する化学合成の無機栄養の土壌微生物の総称で、e-は鉄バクテリアの生活するエネルギーとして使います。
水に溶けた鉄は、Fe2+ + 2OH- →Fe(OH)2で、水酸化第一鉄(水酸化鉄Ⅱ)になります。
水酸化第一鉄に対して、鉄バクテリアは、Fe(OH)2 + OH- → Fe(OH)3 (水酸化鉄Ⅲ)+ e-
このように鉄を酸化させ、その時に出てくる電子を活動のためのエネルギー源として受け取ります。できた生成物は水酸化第二鉄(水酸化鉄Ⅲ、赤さび)となり沈殿します。このようなメカニズムかと思われます。
湧出口ではブクブクとかなりの量が出ているようです。このブクブクの正体は炭酸水を作っている二酸化炭素です。他に風のない日に硫黄の臭いもするので、硫化水素性のガスも出ているかと思われます。
実はこの川原の横には、昭和期に温泉がありました。明治40年(1907)に明治政府の「合祀令」により多くの村の鎮守が近くの大きな神社に合祀されてしまいました。湧出地のすぐ横にあった「汐ノ宮天満宮(横山天神社)」も例外でなく、彼方(おちかた)の春日神社に合祀されています。
その後明治43年(1910)、跡地に「錦川館(きんせんかん)」が営業し、大正12年(1923)大阪鉄道(現近鉄)が電化-滝谷不動~河内長野駅間は明治35年(1902)河南鉄道により伸延、明治44年(1911)「汐ノ宮駅」新設。-した時に、回りの土地を購入し、現阪急の「宝塚温泉」を模範として、「汐ノ宮温泉」として温泉経営に乗り出しました。
経営は順調ではなかったようですが、昭和10年(1935)に施設を改装して大きく打ち出しました。昭和11年(1936)10月1日の大鐵新聞には大鐵電車指定旅館料理店として6軒の旅館の名前が挙がっています。戦前の最盛期には16軒の温泉旅館があったということです。そして戦後もしばらくは営業していたようです。汐ノ宮駅の東の石川河畔にこのような旅館群が80年前にあったわけですが、今想像できないですね。
唯一大鐵電車が経営していた「汐ノ宮温泉」の跡地には、現在民間の「汐由温泉研修センター」があり、この冷泉を温めた温泉浴場があります。(会員制) 赤茶けた泉質で川原の色とほぼ同じ色をしています。
湧出量174リットル/分、ph値7.2
知覚的試験:「微黄褐色、微混濁を呈し強い塩味、苦味を有する。」
泉質:「ナトリウム塩化物強塩泉(高張性ー中性ー冷鉱泉、炭酸塩類栓泉)」
写真をよくご覧いただきますと、池の向こう側の岩の左側と右側では岩質と色が違っているのがおわかりでしょうか?
右側はサヌキトイド(高マグネシア安山岩)の柱状節理(1500万年前)、左側はそれより古い2000万年位前の甘南備累層といわれる花崗岩の巨石を含む礫岩の堆積層で、もともとこの層に溶岩が貫入し急激に冷えて固まったのが右側の柱状節理です。
別の方向から見た溶岩の貫入跡
自然の力はすごいですね。
江戸時代 嘉永六年(1853)出版の「西国三十三所名所図会」にも紹介された潮湧石。
「潮湧岩」の近くに「天神祠」とあるのが、明治末期まで存在した「汐ノ宮天満宮」です。明治44年(1911)年に開設された「汐ノ宮」駅の名前はここから来ています。
「西国三十三所名所図会」第4巻 暁鐘成
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写真撮影:2018年10月28日、11月4日
参考文献:近鉄長野線とその付近の名所旧蹟について 松本 弘(裕之) 2018年8月
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2018年11月13日 (HN:アブラコウモリH )
また、学術調査での施錠解除については、市に依頼すれば、関係部署をご紹介してくれると思います。
私たちがグループで入る時は、富田林市にお願いしています。
ゲートのない南側から入ることもできます。手すりがなく、危険が伴います。自己責任で...