富田林百景+ 「とんだばやし」とその周辺の魅力を発信!「ええとこ富田林」

大阪の東南部に位置する人口10万ちょっとのごく普通の町、富田林。その魅力を、市民の手で発見していきます。

廿山北古墳

2023年02月17日 | 古墳

2023年2月2日16:40 富田林市津々山台三丁目6 廿山北古墳

これまで雑草や雑木、篠竹が覆っていて墳丘までたどり着けませんでした。現在廿山北古墳の雑木が刈られ、墳丘に登れるようになっています。

周りには「立入禁止」の掲示はありません。富田林市の文化財課に聞いてみたら「立入禁止」にはしていないということで、下草のない今なら古墳の墳丘をじっくり観察できます。

 

北から見た墳丘。方墳のように見えます。

 

津々山台の住宅地の真ん中にあります。

 

周りは公園になっています。上空から見ても方墳らしく見えます。

 

一辺32mの比較的大きい方墳ですが、それ以外のことは良く解りません。ある意味、「謎の古墳」です。発掘調査がされていないので、石室が竪穴なのか横穴なのかも不明です。よって、いつごろ造られたものかが良く解りません。埴輪片なし、葺石なし、内部構造や出土物も不明のため、果たして古墳なのかどうもはっきりしません。

 

宅地造成前には周濠があったようにも見えます。

方形と言う人為的な形状、周濠と思われるような跡、2段になった形状から古墳と判断されているようです。

周辺には前期古墳と後期古墳があります。前方後円墳(廿山古墳 前期)、円墳(廿山南・小金平古墳 後期)、方墳(宮林古墳 前期)です。

 

この辺では一番高い標高132mに位置します。そのことも古墳と認識されている要因と思われます。

墳丘長からは大阪湾生駒・高安・信貴山、二上山、大和葛城・金剛山、和泉山脈が木立の間から見え隠れします。

 

廿山北古墳と周辺の古墳

 

廿山北古墳と周辺の古墳の位置

 

2段に築成されたような形状です。

 

ここも2段になっています。

 

東斜面に現状2段の築成はなく、急斜面で立っていられません。

 

東斜面からは甲田の集落が直視できるので、もしかしてここに横穴石室の入口があれば後期古墳ということになります。

 

東側の急斜面の中腹に版築されたような硬くしまった人為的な土の層があるように見えます。

 

硬い10cm位の穴が空いていて、非常に不自然です。

 

カメラを突っ込んでフラッシュ撮影しましたが、良く解りません。

わたしはこちら側に羨道の閉塞部分があるとにらんでいるのですが、糸口が見つかりません。

 

反対側の斜面は地山のようです。この黄色い帯は火山灰層の可能性があります。

 

墳丘の上は平らでになっています。

 

 

南南東方向に金剛・葛城連山。右の薄緑の建物は水道施設のタンク。

 

東北東に二上山。下の急斜面がさきほどの不自然な場所になります。

こちら側を向いて横穴式石室の羨道があるとすれば、この古墳は東側の石川谷、甲田方面を向いていることになります。憶測にすぎませんが...

 

何かの測量標かもしれません。水準点ではないようです。

 

「+」のマークがあります。国土地理院の地図や富田林市の1万分の1の白地図にはこの地点の標高は記されていません。

 

北北東には大平和祈念塔。手前に明治池中学校や小金台小学校が見えます。

 

拡大すると生駒、高安、信貴山が見えます。

 

北側から見た古墳。角に尾根ラインがあり、方墳に見えます。

お子様砦のような景観で「立入禁止」ではありませんが、小さいお子様が「すべり台」替わりに墳丘を痛めることのないよう、わたしたちも見守っていきたいと思います。

 

同じく北側の周辺の道路より。

このあたりは金剛東地区の宅地造成時に地形が変わっているかもしれません。

 

古墳全体を含むエリアが「津々山台2号公園」、通称古墳公園になっています。

 

西側の遊歩道「りぼん通り」 から見た墳丘部。

全貌が解明されるのを期待される廿山北古墳です。

関連記事:富田林の古墳~美具久留御魂神社 神奈備山(裏山)古墳群 2022年5月3日

撮影:2023年2月2日

2023年2月17日(HN:アブラコウモリH )

 

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