崖の上のポ…インセチアも
宗教の如何に関わらず、クリスマスソングが聞こえると、「今年もここまで来たか」と、なにやら、自分を慰労するような心もちになります。毎日遊んでいる自分を慰労するってのも妙な話ですが。
宗教は、浄土真宗。その前は、禅宗…宗旨替えに何のハードルもない。何か大変な儀式をしなければならないのかと覚悟したのですが、肩すかし。去る者は追わず、来る者は拒まず…そういうところが仏教のいいところなのでしょう。キリスト教徒ではないが、子供達が家にいた頃は、ツリーも飾ったし、鳥の足もケーキも食べた。イエス様と、鳥の足…きっと難しい関係があるのでしょう。ケーキは…ケーキ屋さんの陰謀でしょうか。
街にクリスマスソングが流れ…世間では、相変わらず、これまで直面したことがない犯罪が次々と…。若い命が無惨に奪われてしまう。犬の仇で、人の命が奪われる…やりきれないです。景気も、雇用も、振り込めも大きな問題ですが、たかが「お金」の問題。生きていれば何とかなる。何ともならないのが「命」…。千葉県東金市の事件の被害者の母親は、「犯人が捕まったといっても、娘が帰ってくるわけでないし…」と。投げやりな言い方のようですが、それ以上はありません。犯人が捕まろうが、死刑になろうが、奪われた「命」は、戻ってこないのです。怒りの矛先…向けるところがないです。
この御時世でも、「慈愛に満ちた行為」ってあるものです。安堵のため息が出ますよ。それは…クリスマスにかかわる、「イルミネーション」。
街角のイルミネーション、日中は、寒々としたシャッター街が薄暮になると、イルミネーションに輝く。「まだ生きてるよ!明かりを灯す余裕もあるよ」と。ホッとします。
ミッション系の学校の校庭には、特大クリスマスツリーが輝く。聖トマス大(尼崎市)では約2万個の電球がマリア像や校舎を照らしている。2万個の電球、付けるのが大変だったでしょう。何のために?誰のために?一人でも多くの人が見て、楽しんでくれたらの願いでしょう。
一般家庭でも、道行く人が見えるように、クリスマス・イルミネーションをする家が増えてきました。不景気でも、この時期元気を出そうよというメッセージですね。
そのようなわけで、「イルミネーション」=「慈愛に満ちた行為」と考えるのです。座右の銘にしてきたものですが…「自分がしてほしいことを他の人にしてもらうのではなく、自分がしてほしいことを他の人にする。そうすれば巡りめぐって自分の所へ還ってくる」
自分が楽しく過ごしたいのであれば、「(他の)人に楽しんでいただくように、自分が努力する」
クリスマスシーズンにイルミネーションして、見る人に楽しんでいただく。金銭的に、何の得もありません。電気代は自分持ち。しかし、「見て、心和む人がいたら」と言う「愛」が根底にあるわけです。「イルミネーションをありがとう」等と感謝の気持ちを表す人もいないでしょう。もっとも、お礼の言葉がほしくて飾るのでもありませんが。
人の命を奪う人もいれば、少しでも楽しんでいただこうとイルミネーションする人もいる。全人類が、「人に楽しんでもう」行為をすると、殺人も、戦争も起こらないのですが。
「ポインセチア買って一人の聖夜かな」一人暮らしさせていた年老いた母のクリスマスの様子の句です。寂しかっただろうなあと思います。一人暮らしができなくなってから、一緒に暮らしましたが…。そのときには、クリスマスもポインセチアも…何も分からなくなっていました。
いつの頃からか、ポインセチアはクリスマスの代表的な花になっています。花といっても、「杯状花序」ですから、花びらはありません。赤く染まる包葉を鑑賞する。なんでも、その赤さはイエス様の血の色に例えられるとか。まあ、何にでも例えて下さい。実は、内緒ですが…私の血も赤いのです。
引っ越しの度に、もう10年も持ち歩いている2本のポインセチア。立派な幹になっています。10月に、短日処理を始めると、12月には赤い葉が出てきます。ビロードのような赤い葉と夏から残っている緑の葉、楽しめます。植物は、何も文句を言いません。水をやらなければ、黙って枯れるのみです。短日処理は、ペットを飼育する気分になります。夕方4時頃、「お休み」と、言ってダンボール箱をかぶせて遮光。朝9時に、「おはよう」と、言ってダンボールを外す。ただそれだけなのですが。
ポインセチアの短日処理から思うことは、「命は奪ってはならない」ということをすり込ませるには、生物を栽培・飼育する経験をさせるのがいいのではということです。大麻栽培は別ですが。
ポインセチア、原産は中央アメリカで、明治時代に日本へ来たという。宮崎市の堀切峠の沿道には5万本以上植えられており、今まさに見頃という。そのことを報じたタイトル、「崖の上のポインセチア~宮崎」おもしろい!一瞬「崖の上のポニョ~宮崎駿」かと。
ポインセチア…花言葉は「聖なる願い」「祝福する」なのだそうで・・・。クリスマスシーズン、心穏やかに過ごせるといいですねえ。
宗教の如何に関わらず、クリスマスソングが聞こえると、「今年もここまで来たか」と、なにやら、自分を慰労するような心もちになります。毎日遊んでいる自分を慰労するってのも妙な話ですが。
宗教は、浄土真宗。その前は、禅宗…宗旨替えに何のハードルもない。何か大変な儀式をしなければならないのかと覚悟したのですが、肩すかし。去る者は追わず、来る者は拒まず…そういうところが仏教のいいところなのでしょう。キリスト教徒ではないが、子供達が家にいた頃は、ツリーも飾ったし、鳥の足もケーキも食べた。イエス様と、鳥の足…きっと難しい関係があるのでしょう。ケーキは…ケーキ屋さんの陰謀でしょうか。
街にクリスマスソングが流れ…世間では、相変わらず、これまで直面したことがない犯罪が次々と…。若い命が無惨に奪われてしまう。犬の仇で、人の命が奪われる…やりきれないです。景気も、雇用も、振り込めも大きな問題ですが、たかが「お金」の問題。生きていれば何とかなる。何ともならないのが「命」…。千葉県東金市の事件の被害者の母親は、「犯人が捕まったといっても、娘が帰ってくるわけでないし…」と。投げやりな言い方のようですが、それ以上はありません。犯人が捕まろうが、死刑になろうが、奪われた「命」は、戻ってこないのです。怒りの矛先…向けるところがないです。
この御時世でも、「慈愛に満ちた行為」ってあるものです。安堵のため息が出ますよ。それは…クリスマスにかかわる、「イルミネーション」。
街角のイルミネーション、日中は、寒々としたシャッター街が薄暮になると、イルミネーションに輝く。「まだ生きてるよ!明かりを灯す余裕もあるよ」と。ホッとします。
ミッション系の学校の校庭には、特大クリスマスツリーが輝く。聖トマス大(尼崎市)では約2万個の電球がマリア像や校舎を照らしている。2万個の電球、付けるのが大変だったでしょう。何のために?誰のために?一人でも多くの人が見て、楽しんでくれたらの願いでしょう。
一般家庭でも、道行く人が見えるように、クリスマス・イルミネーションをする家が増えてきました。不景気でも、この時期元気を出そうよというメッセージですね。
そのようなわけで、「イルミネーション」=「慈愛に満ちた行為」と考えるのです。座右の銘にしてきたものですが…「自分がしてほしいことを他の人にしてもらうのではなく、自分がしてほしいことを他の人にする。そうすれば巡りめぐって自分の所へ還ってくる」
自分が楽しく過ごしたいのであれば、「(他の)人に楽しんでいただくように、自分が努力する」
クリスマスシーズンにイルミネーションして、見る人に楽しんでいただく。金銭的に、何の得もありません。電気代は自分持ち。しかし、「見て、心和む人がいたら」と言う「愛」が根底にあるわけです。「イルミネーションをありがとう」等と感謝の気持ちを表す人もいないでしょう。もっとも、お礼の言葉がほしくて飾るのでもありませんが。
人の命を奪う人もいれば、少しでも楽しんでいただこうとイルミネーションする人もいる。全人類が、「人に楽しんでもう」行為をすると、殺人も、戦争も起こらないのですが。
「ポインセチア買って一人の聖夜かな」一人暮らしさせていた年老いた母のクリスマスの様子の句です。寂しかっただろうなあと思います。一人暮らしができなくなってから、一緒に暮らしましたが…。そのときには、クリスマスもポインセチアも…何も分からなくなっていました。
いつの頃からか、ポインセチアはクリスマスの代表的な花になっています。花といっても、「杯状花序」ですから、花びらはありません。赤く染まる包葉を鑑賞する。なんでも、その赤さはイエス様の血の色に例えられるとか。まあ、何にでも例えて下さい。実は、内緒ですが…私の血も赤いのです。
引っ越しの度に、もう10年も持ち歩いている2本のポインセチア。立派な幹になっています。10月に、短日処理を始めると、12月には赤い葉が出てきます。ビロードのような赤い葉と夏から残っている緑の葉、楽しめます。植物は、何も文句を言いません。水をやらなければ、黙って枯れるのみです。短日処理は、ペットを飼育する気分になります。夕方4時頃、「お休み」と、言ってダンボール箱をかぶせて遮光。朝9時に、「おはよう」と、言ってダンボールを外す。ただそれだけなのですが。
ポインセチアの短日処理から思うことは、「命は奪ってはならない」ということをすり込ませるには、生物を栽培・飼育する経験をさせるのがいいのではということです。大麻栽培は別ですが。
ポインセチア、原産は中央アメリカで、明治時代に日本へ来たという。宮崎市の堀切峠の沿道には5万本以上植えられており、今まさに見頃という。そのことを報じたタイトル、「崖の上のポインセチア~宮崎」おもしろい!一瞬「崖の上のポニョ~宮崎駿」かと。
ポインセチア…花言葉は「聖なる願い」「祝福する」なのだそうで・・・。クリスマスシーズン、心穏やかに過ごせるといいですねえ。