アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

ヒトがトリに学ぶこと

2008年12月03日 | Weblog
  鳥頭などといえません

 「鳥」「トリ」表記はどちらでもいいのですが、今、日本人は「鳥」に学ばなければならない時代になっている。
 還暦パパは、幼少時、「この鳥頭!」と言われたものです。ニワトリは、コッ、コッ、コッと、三歩あるくともう先ほどのことを忘れている…まあ、脳が小さいですから。すぐに忘れたり、飲み込みが悪いと、「この鳥頭!」と…毎日言われてましたね。同じ鳥でも、カラスは犬をしのぐ記憶力だそうです。ですから忘れっぽいのは、「鳥頭」ではなく「ニワトリ頭」が正しい…そんな問題ではないのですが。

 鳥をとりまく深刻な問題として、世界中で大流行の恐れのある「新型インフルエンザ」。感染が拡大すれば日本だけで、3,200万人が感染し、最悪の場合、64万人が死亡するといわれている。研究者は、「鳥インフルエンザが人同士で感染する新型インフルエンザに変異することは、繰り返されてきたこと。遅かれ早かれ、新型インフルエンザが発生することは避けようがない」…そう言われても、どうすりゃいいのさ?

 鳥に何を学ぶ…毎日毎日、事件が起こる。犯行動機は、後付で何とでも言える。犯罪者は、生育過程でできあがってきた…つまり、「オギャー!」と生まれてきた時から…事件の源泉は、親にある。そういう親にしたのは、その親であり、またその親、親、親・・・。鳥…「動物の本能だから」と言われるでしょうが、夫婦として、親として(子育て)、相互扶助…妥協を許さない。きちんとしています。ヒトがトリにも劣る…すでにそうなっている部分もありますが…何とかしなければと思うのです。

1 夫婦で協力して子育て 
 「妻が子育て。夫は無関心だが時々文句だけは言う」これが問題。10組の夫婦に10の都合があるでしょうが、「夫婦協力」の意識は、鳥に学ぶべき。第三者の私でも、「そりゃダメダ」と言いたいことがたくさんあります。犠牲者は、全て子ども。その子も、大人になる。欲求が満たされないと、「社会が悪い」「官僚が悪い」「復讐だ」・・・。内に顧みるなんてことできないので(そのように育てられてきているので)、自分以外の誰か(何か)のせいにする。

 鳥の場合、雄も協力して「卵」を守る。ニワトリでも、碎啄(そったく)します。碎啄が出ていない辞典が多いです。そういう辞典は捨てた方がいいです(私が拾います)。碎啄は、卵の中のヒナが、「もう、殻から出たいなあ」と思ったとき、内側からコツコツとつつきます。親鳥は、それに応えて、殻を割ってあげるのです。このような「阿吽の呼吸」というか、崇高な親子の営み、載せていない辞典は捨てなさいという私の言い分がお分かりいただけるでしょう。ニワトリは単にニワトリ頭じゃないのです。

 我が家の換気扇に住んでいるスズメは、大家である私に対しても擬傷の行動をします。「自分は、ケガをしている、さあ私を捕まえなさいと」と、飛べないふりをして地上を千鳥足(?)。巣から遠ざけようとするのです。鳥ですら子を守るために、自分の身の危険を顧みずにこのような行為をする。今の日本人には、自分がやりたいことをする。家族なんてどうでもいいやという親がいる。鳥に学べ!スズメの学校に入学しろ!

2 見習い不能の一夫一婦・・・
 鳥類のおよそ90%は、一夫一婦制で生涯添い遂げる。「そうじゃないケースも確認されていますよ」という報告もあります。何事も例外はつきもの。そこに拘泥しておれば、話しは進まない。田舎住まいの私の周辺にも、夫婦に起因する問題がこれでもか、これでもかと起こります。
 主婦が、自殺しました。夫からの暴力が主な原因。暴行をうけたあと具合が悪くなり病院へ行ったら、肋骨が折れていた。そのような暴力を日常的にふるわれていた。その夫は、病院へ怒鳴り込み、「診察の時、体を触っただろう。慰謝料をよこせ」こんな夫でも、生涯添い遂げようとしたため、別れられず、死を選ばなければならなかった。田舎ですらこのような状況ですから、都市部では何が起こっているか。一生添い遂げなくてもいいです。様々な都合があるでしょうから。戸籍上は、一夫一婦でも、実生活ではそうじゃないとなったとき…そこから派生する問題の結末は、総じて残酷です。

3 托卵(たくらん)されても愛情込めて
カッコウは他の鳥の巣に卵を産んで、ふ化、養育してもらう。他の鳥に托するので、「托卵」。このときちゃっかり、巣の中の卵の数を合わせるために、一個巣から落としてしまう(日本人はこれを見習おう、というのではないです)。卵を托された鳥は、ふ化して出てきたヒナが自分の倍の大きさでも、愛情を持って巣立ちの日まで育てるのです。もちろん夫婦協力してエサを運びます。
 少し、笑いが入りますが、ジュウイチというカッコウの仲間で托卵する鳥のヒナは、自分の巣(と、いっても、育ててもらっている鳥の巣)にいるヒナたちを巣から落として(巣から落ちたヒナは死ぬしかないのです)しまいます。そのとき、柔道技の「背負い投げ」を使います。進化の過程で、背負い投げに適した背中になっているのです。NHKの「ダーウィンが来た」によりますと、ジュウイチのヒナは、背負い投げのほか分身の術も使います。
 ヒナは、成長してエサが足りなくなると、2羽いるように見せて、仮親がエサを運ぶ回数を増やします。それでも足りなくなると、3羽いるように見せます。仮親をだまして、エサを増やすのです。ヒナは仮親の5倍の大きさになるので、口を開けると、仮親の頭がスッポリと入ります。ヒナは、ずるいという問題ではなく、本能とはいえ、「仮親夫婦が(別の鳥のヒナでも)一生懸命育てる」ということです。
 分身の術は・・・ヒナは、翼の内側に羽根が生えておらず、黄色い嘴があるように見えるのです。そこを、手品師のように、ちらりちらりと見せるのです。仮親がすっかりだまされて、その翼の内側へエサを与えようともします。本物の口と両翼の内側のニセの口で、合計3羽いるように見せることが出来るのです。

4 互助の精神
  言葉としての、「互助」はあるが、日本人社会の実情は「一方的助け」あるいは、「一方的助けられ」つまり「互助になっていない」。では、「鳥の世界には、互助があるのか」って?「助け合って帰ってきたハクチョウ(還暦パパ11月12日)」に書きましたが…
 渡り鳥は長距離飛行で著しく体力を消耗する。鳥たちは、先頭を飛ぶ鳥の翼端渦から発生する上昇気流で体力を温存しながら旅をする。そこで問題なのは、上昇気流の恩恵を受けない、「先頭を飛ぶ鳥」。先頭は、当然疲れる。そのため、ローティーションするのです。
 また、皇帝ペンギンの雄は、「-40℃の冬の南極で、卵を温めて、4か月間何も食べずに」頑張ります。数百、数千の群れになって身体を寄せ合って寒さをしのぐのですが、低温の上に強風なので群れの外側のペンギンは冷えきってしまいます。そのため、群れ全体でローテーションして、外側で冷えたペンギンを、内側へ入れて暖まることができるようにしています。

 鳥の素晴らしさ、知れば知るほど感心します。
 ニワトリについても、「鳥頭」と侮れないなと思っています。碎啄が特にいいです。英語では、弱虫、臆病者、腰抜けをチキンといいますが、どうしてどうして、私の知る年齢不詳の雄の鶏は、人を襲撃しますから。調理鋏のような嘴、つつかれたら出血です。私は、当然近寄りません。揚げ足取りも、大内刈りも、三角締めも効きそうにないので。散歩の犬だって、奴と目が合わないようにしていますから。
 ジュウイチという鳥、慈悲心鳥(ジヒシンチョウ)のことです。菊池寛、岡本綺堂が、この題名で小説を書いています。