アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

子ども、ガキども、先生ども・・・

2008年12月10日 | Weblog
  「子ども」「子供」どちらでもいいでしょう
 
 年中行事のひとつ、海外へのクリスマスカードに我が家の様子を書く。日本語版と英語版を作成する。話題は、子供達がどうしたこうした・・・。
 「子供」と書くと、「子ども」と書くべきとの御意見をいただくことがある。もちろん、「どうして?」と、尋ねる。回答は、しどろもどろ。組織の上の者が言ったとか、学者さんが言ったとかのあやふやな受け売り。大方、良く分からないで、「子ども」とすべきと言っている。「子供と書くと子どもが怒りませんか?」と言われたこともあるが…、子供が怒るわけないでしょう。子供にとってどう表記されようと関係ない。大人に入れ知恵されたら、訳も分からず怒ったふりをする子もいるかも知れないが。儀式の国歌斉唱で、子供が起立しなかった。「子供達が自分たちの意思で、国歌は、天皇…戦争…」…オイオイ、あなたがそそのかしたんんでしょ!自殺した校長までいるんですよ!オット、本題から外れました。

 「子供」の表記が良くないという論の本当のところは…
 「供」という漢字が良くないのだと…。「供」は、つきしたがっていくもの。供応、供給、供出、供述、供物、提供、人身御供…。大人の付随物を連想させるし、神に奉げる「供え物」の意味がある。そんなわけで、「子ども」ならいいが、「子供」は、だめだ。

 一方、「子ども」という漢字かな交じりの表記にも反対意見がある。ああ言えばこう言う…日本がいかに平和かってことですがね。
1 「子ども」の「ども」は、「ガキども」「バカども」などの卑下した表現と同じ。「子ども」が良い表記となれば、「国会議員ども」「学校の先生ども」も大変良いということになる。
2 熟語を漢字とひらがなとの交ぜ書きにするのはおかしい。
3 「子ども」と、表記しろという人に質問したい。児童生徒…児童の「童」は、「召使い」の意味。それなのに、「児どう」と書けとは言わないの?あなたが尊敬する子どもが、召使いと言われているんですよ!
 まあまあ、大騒ぎだ!え?私が一人で騒いでいるだけだって?
 気になるのは、5月5日。法文に、「こどもの日」と、平仮名で書いてある。「子供」「子ども」の折衷案とも思えないが。全く意図なしかな。
 では、教科書はどうなっている?「子供」の方が多い。「供」は、6年生で出てくる漢字。5年生までは、「子ども」で、6年生から、「子供」としている教科書が、80%。

 「和文通話表」…電話通信で通信文の聞き間違いを防ぐために制定された頭文字の規則…「朝日のア、いろはのイ、上野のウ、英語のエ・・・」と言って送信する。和文通話表の「コ」は、「子供のコ」です。「子ども」ではありません。昭和25年に制定されました。今年の5月にも改正されているので、「昭和25年だから、子供と表記した」と、いうことではありません。

 電話などで、「お宅の子どもさんが忘れ物を…」と、言った後、「ただいま使用しました、子どものどもは、平仮名のどもですから…」と、言う必要はないのかな?…そこまでは言ってないようです。表記に関してのみですね。
 いやはや、漢字を遣うのに気を遣わなければなりません。

 どんな人たちが「子供反対」を言い出したのでしょうか?考えられることは、「子どもの権利条約」の熱狂的支持者。日本が批准に逡巡していたときも大騒ぎでした。本当に内容を読んで納得しているのでしょうか?私は、子どもの権利条約、もちろんきちっと読みましたが、日本では批准の必要なしと考えています。「当たり前のことと、全く次元の違うこと」しか書いていませんから。その証拠に批准後何か変わりましたか?

 「子ども」と書く人は、子供の人権を尊重している人。「子供」と書く人は、子供を見下している人。とんでもない。そんなことで、人を評価しないでください。私は、子供の人権を蹂躙することはしませんが、小学校で習ったとおり「子供」と表記します。美しいし、品があります。