<日本では、土足はダメなのです>
那覇空港から、「ゆいレール」に乗ったら…。日本人の父母を挟んで3人の子供。一番上の子は、この4月に小学校入学ぐらいの年頃。靴のまま…座席に上がり、外を見たり親に抱きついたり・・・。「土足はダメヨ」ぐらい子供に教えろよ!そんな目で、向かいのシートに座り、嘆いている私にもちろん気づくはずもない。はしゃぐ子供達に満足げな表情。
「ゆいレール」が、空(す)いており、他の人に迷惑をかけていないならいいじゃないかという話しではありません。日本の文化において「土足」の意味するものは、あまりのも大きいのです。
南西沖地震の時、かなりのダメージを受けた児童の家へ校長がお見舞いに行った…行ったのはいいのですが、地震で散乱している家の中へ、土足で入ったのです。入られた親は、怒りましたよ。しかし、当該校長は、「散乱していたし、靴を履いて入らなければ(自分の足が)ケガをするかもと思って…」と、何が悪いのって感じ。「大切にしてきた家を、土足で踏みにじられた」と、悔しがる人の心なんて分からない。土足は、日本人の心を踏みにじる行為なのです。
親は、子供が小さいうちにそのことを刷り込まなくてはなりません。あと…校長に限らず、靴下が汚れるような家へ入る時でも靴は脱ぎましょう。靴下は洗えばいいが、土足で入られた家の人の心は洗えません。
<きちんと躾ける母親>
素晴らしい母親を見ました。母親は日本人。父親は、アメリカ軍兵士。小学校1年生の娘さんと、4歳の娘さんがおられる。2人の娘さんたち、ハーフ特有の美形、金髪で、すらりと細身。
美ら海水族館の施設内に、「おきなわ郷土村」があり、そこで「ぶくぶく茶体験」が行われていました。
「ぶくぶく茶」は、沖縄名物。煎り米を煮て米湯をつくり、米湯とさんぴん茶を混ぜて泡を立てる。茶碗に入れたさんぴん茶の上に、泡を載せ細かく砕いたピーナッツを振りかけてできあがり。
私と家内は、もちろん「ぶくぶく茶体験」に参加。参加料無料で(家内は、無料とか半額とかに異様な反応を示しますもので…)、自作のぶくぶく茶が飲めるから!くだんの母親と、2人の娘さんも参加。父親は不参加で、庭からこっそり様子を見ていた。恐ろしいものでも見るかのように。
さて、私どもはできあがったぶくぶく茶を座敷へ持ってきて飲んでいた。小1の姉が、先にぶくぶく茶を完成させ、茶椀を持って私の隣へ来て座った。そのとき、彼女はどのように座ったと思いますか?小1の女の子ですよ…。きちんと正座したのです。しかも背筋が、垂直線!真っ直ぐ。美しいです。やがて、妹がぶくぶく茶を完成させ、母親と座敷へやって来ました。妹は、たたみに座ることに戸惑い、くずれた正座をしました。その時、母親が、ピシッと厳しくひとこと言いました。
「足!」
4歳の女の子は、はじかれたように、正座しました。
私としましては、お年玉をいただいたような実に愉快な気持ちになりました。もう絶滅したのかなと思っていたのに、今の日本に、このように子供を躾ける母親がいた!身を美しくするのが躾けです。正座する幼いハーフの姉妹、美しかったです。家内は、思わずその母親へ話しかけ、良く躾けていることをほめました。母親は、「どうしてこの程度のことで、知らないオバサンにほめられなければならないんだ?」と、多少困惑気味。それでも、「日本人だから、アメリカ人だからではなく、お茶をいただくときは正座です」と…主張が小気味いいほどきちっとしていました。
<躾けられなかった子の完成形>
沖縄本島の南部、平和祈念公園の近くで、「噂のそばや『偶』」という看板を発見。丘の上への細い道を、辻々に掲げられている黄色地に黒ペンキで手書きした「偶」の看板を頼りに登る。噂のそばや『偶』」に到着。小上がりには、先客がいた。20歳代の女性。制服の胸と、袖に、「××C.C.」と、刺繍があった。ゴルフ場の従業員らしい。彼女へ、そばが運ばれてきた。彼女は食べ始めたのだが・・・あぐら!足が太いので、ゆるいあぐらになり…足を伸ばした状態に近い。実にだらしない。小1の女の子が美しい正座でお茶を飲んでいたのを見たものだから、20歳代の女性があぐらをかいて、そばをすする姿の醜さに衝撃を受けました。誰が悪い?20歳を過ぎているのだから、本人が悪いのですが、幼少時から躾けられていたらこんなことにはならなかったでしょう。親は、躾けをしなければなりません。もっとも、その親が躾けられていなければ我が子の躾などできっこないのですが。
「親の顔が見たい」と、いう言葉があります。「親の躾けがなってない」という意味。かって親は、そう言われるのは最上級の屈辱だったから、口やかましく、時には愛の鞭もくれて子育てをしたものです。子供は、成長と共にそのような親の気持ちを理解し、「親に恥をかかせないよう」言動を慎しんだものでした。
今も、口やかましく育てている立派な親もおりますが、もっと増やしていきたいもの。2009年。身が美しい日本再生への序章の年になっていくことを祈念します。
那覇空港から、「ゆいレール」に乗ったら…。日本人の父母を挟んで3人の子供。一番上の子は、この4月に小学校入学ぐらいの年頃。靴のまま…座席に上がり、外を見たり親に抱きついたり・・・。「土足はダメヨ」ぐらい子供に教えろよ!そんな目で、向かいのシートに座り、嘆いている私にもちろん気づくはずもない。はしゃぐ子供達に満足げな表情。
「ゆいレール」が、空(す)いており、他の人に迷惑をかけていないならいいじゃないかという話しではありません。日本の文化において「土足」の意味するものは、あまりのも大きいのです。
南西沖地震の時、かなりのダメージを受けた児童の家へ校長がお見舞いに行った…行ったのはいいのですが、地震で散乱している家の中へ、土足で入ったのです。入られた親は、怒りましたよ。しかし、当該校長は、「散乱していたし、靴を履いて入らなければ(自分の足が)ケガをするかもと思って…」と、何が悪いのって感じ。「大切にしてきた家を、土足で踏みにじられた」と、悔しがる人の心なんて分からない。土足は、日本人の心を踏みにじる行為なのです。
親は、子供が小さいうちにそのことを刷り込まなくてはなりません。あと…校長に限らず、靴下が汚れるような家へ入る時でも靴は脱ぎましょう。靴下は洗えばいいが、土足で入られた家の人の心は洗えません。
<きちんと躾ける母親>
素晴らしい母親を見ました。母親は日本人。父親は、アメリカ軍兵士。小学校1年生の娘さんと、4歳の娘さんがおられる。2人の娘さんたち、ハーフ特有の美形、金髪で、すらりと細身。
美ら海水族館の施設内に、「おきなわ郷土村」があり、そこで「ぶくぶく茶体験」が行われていました。
「ぶくぶく茶」は、沖縄名物。煎り米を煮て米湯をつくり、米湯とさんぴん茶を混ぜて泡を立てる。茶碗に入れたさんぴん茶の上に、泡を載せ細かく砕いたピーナッツを振りかけてできあがり。
私と家内は、もちろん「ぶくぶく茶体験」に参加。参加料無料で(家内は、無料とか半額とかに異様な反応を示しますもので…)、自作のぶくぶく茶が飲めるから!くだんの母親と、2人の娘さんも参加。父親は不参加で、庭からこっそり様子を見ていた。恐ろしいものでも見るかのように。
さて、私どもはできあがったぶくぶく茶を座敷へ持ってきて飲んでいた。小1の姉が、先にぶくぶく茶を完成させ、茶椀を持って私の隣へ来て座った。そのとき、彼女はどのように座ったと思いますか?小1の女の子ですよ…。きちんと正座したのです。しかも背筋が、垂直線!真っ直ぐ。美しいです。やがて、妹がぶくぶく茶を完成させ、母親と座敷へやって来ました。妹は、たたみに座ることに戸惑い、くずれた正座をしました。その時、母親が、ピシッと厳しくひとこと言いました。
「足!」
4歳の女の子は、はじかれたように、正座しました。
私としましては、お年玉をいただいたような実に愉快な気持ちになりました。もう絶滅したのかなと思っていたのに、今の日本に、このように子供を躾ける母親がいた!身を美しくするのが躾けです。正座する幼いハーフの姉妹、美しかったです。家内は、思わずその母親へ話しかけ、良く躾けていることをほめました。母親は、「どうしてこの程度のことで、知らないオバサンにほめられなければならないんだ?」と、多少困惑気味。それでも、「日本人だから、アメリカ人だからではなく、お茶をいただくときは正座です」と…主張が小気味いいほどきちっとしていました。
<躾けられなかった子の完成形>
沖縄本島の南部、平和祈念公園の近くで、「噂のそばや『偶』」という看板を発見。丘の上への細い道を、辻々に掲げられている黄色地に黒ペンキで手書きした「偶」の看板を頼りに登る。噂のそばや『偶』」に到着。小上がりには、先客がいた。20歳代の女性。制服の胸と、袖に、「××C.C.」と、刺繍があった。ゴルフ場の従業員らしい。彼女へ、そばが運ばれてきた。彼女は食べ始めたのだが・・・あぐら!足が太いので、ゆるいあぐらになり…足を伸ばした状態に近い。実にだらしない。小1の女の子が美しい正座でお茶を飲んでいたのを見たものだから、20歳代の女性があぐらをかいて、そばをすする姿の醜さに衝撃を受けました。誰が悪い?20歳を過ぎているのだから、本人が悪いのですが、幼少時から躾けられていたらこんなことにはならなかったでしょう。親は、躾けをしなければなりません。もっとも、その親が躾けられていなければ我が子の躾などできっこないのですが。
「親の顔が見たい」と、いう言葉があります。「親の躾けがなってない」という意味。かって親は、そう言われるのは最上級の屈辱だったから、口やかましく、時には愛の鞭もくれて子育てをしたものです。子供は、成長と共にそのような親の気持ちを理解し、「親に恥をかかせないよう」言動を慎しんだものでした。
今も、口やかましく育てている立派な親もおりますが、もっと増やしていきたいもの。2009年。身が美しい日本再生への序章の年になっていくことを祈念します。