アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

「学級委員長なし」に、私も一言

2009年03月16日 | Weblog
   リーダーを決めるのは差別なんだそうで…

 「鳥取の小学校には、学級委員長がいない」というニュースの反応として、「鳥取県、それでいいんだよ」という、擁護意見が見あたらない。「ふざけるなよ、鳥取県!何をやっとるんじゃ!」が圧倒的。これは、どういうことか?国民の少なくても過半数が、学級委員長のポスト廃止はおかしい、と、考えていると思われる。なぜ鳥取県は、20年前から小学校の学級委員長をなくしたのか?

 鳥取県教委は、「リーダーを決めれば差別につながるとの抗議を受け、学級委員長をなくした」と、説明している。誰からの抗議か?「人権団体などから…」だそう。
 その人権団体さんとやらには、リーダーはいないのかな?いたとしたら、腐ったカボチャが有毒ガスをまき散らしているということですね。きっと、その団体さんには、支会長も部会長も書記長も委員長もいないのでしょう。(そんなわけないだろう!)

 スポーツのチームもキャップテンを決めると差別につながるので決めない。学級会など、議長を決めると差別に繋がりますから、議長なし。校長をおくと差別に繋がるので、学校には校長をおかない。国の場合、総理大臣をおくと差別だから、総理大臣を廃止。このようにすると、人権団体さんに喜んでいただけるのでしょう。

 私は、学級委員長のポストを設けない学級経営に反対しているわけではありません。そもそも、「学級委員長をおかなければならない」という規定などありゃしない(学校の判断です)。
 学級委員長がいなくても、自主性・社会性が育ち、学級がまとまり、支え合い、チームワークが学べる…これなら何も問題ありません。(しかし、このようなことは学級委員長なしでは出来ないと思います)

 私がおかしいと思うのは、「学級委員長になれない子供が傷つくから」とか、「差別につながる」という、お得意の、「子供の側に立った」「子供が主人公」という、歯の浮くような中身のない言葉を使って有毒ガスをまき散らす人権団体さんです。そして、その団体さんの言いなりになって学級委員長を廃止した鳥取県教委さんです。

 鳥取県では、「差別」の観点から、運動会の徒競走も民主的にしている学校がある。全員が同時にゴールできるように、走るのが遅い子供は、スタートラインを他の児童より前にするのだそうだ。こ、こ、これって…差別じゃないの?同時にゴールするから差別がない?とんでもない、スタートラインに差をつけるのは差別そのものです。
 学芸会でも、劇の主役を複数の児童が途中で交代して演じる…。これって、平等?そこまでいうなら、全員主役にしなければダメでしょう!さらにいうなら、「どうして劇なの?」日常の学習活動と何の脈絡もない劇を取って付けたように演じさせる。児童は操り人形か?人権を蹂躙しているんじゃないの。人権団体さんがこのようなことを…。

 結果としてのみせかけの平等を求める人々は、「人の痛み」など、分からない人たちです。そういう人たちが、「人権団体」を名乗り、教育現場に土足で踏み込む。そして、20年も居座っている。異常です。

 「学級委員長になれない子供が傷ついたり、差別されてもいいのか?」そんなことはあり得ない。よしんばあったとしても、鼻水を垂らす程度の風邪。放置しておけば治ります。
 義務教育って、そのためにあるのです。無菌室で育てた子は、その部屋から出ると生きていけません。競争があり、葛藤があり…社会へ出て、たくましく生きていく力の基礎・基本をつけなければなりません。学級委員長廃止…笑止千万です。

 どうして今、この話題が出ているか?4月から鳥取市で1校だけ「学級委員長」が復活することになった。「リーダーがクラスをまとめ、みんなで支え合うことでチームワークを学べる。社会で求められるスキルだ」というわけ。寝ていた子が一人だけ頑張って起き上がったため、話題になっているわけです。

 学級には委員長が必要。スポーツのチームには、キャップテンが必要。会議には、議長が必要。学校には校長が必要。総理大臣?もちろん必要。