アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

自力は…ない。全て他力

2009年08月16日 | Weblog
暑中見舞いの葉書の中に、宗鳳先生からのものが。暑中見舞い兼住所変更のお知らせでした。東広島市から、廿日市市へ移ったという。宗鳳先生は、今年、NHKの教育テレビで、「親鸞」の講義をされています。

 親鸞は、浄土真宗。我が家は、宗旨替えで浄土真宗になった。浄土真宗初心者のため、「歎異抄」も最近読んだばかり。
 親鸞の「他力本願」には、冷水を浴びせられたような気がしました。

 「自力本願」という言葉がある。そのため、「他力本願」は、「他人の力にすがって生きよう」という意味で、良くないこと…と思う人…おられてもいいですが、そうじゃないようです。みんな知っている事でしょうけど。
 「生きているということは、他から生かされている」絶対他力だ…。

 ホームドラマの親子の言い争いの常套セリフ…
 「自分一人で大きくなったんじゃないんだよ!」
 そうなんです。生きてきたということは、太陽、空気、水をはじめとして、野菜、肉、魚…とにかく、自分以外の全ての「他」により生かされている。歎異抄の受け売りだろうって?歎異抄には、絶対他力については…どうでしたか?そもそも、親鸞の書ではありませんから。親鸞が亡くなって約30年後、弟子の「唯円」という人が書いたとされています。

 親鸞の「他力本願」、さらに上のステージがある。太陽、空気…より上の。それは、「(私の解釈ですが)バックアップ」。私の、十八番の一つである、「バックアップ」を、親鸞も考えていたとは知りませんでした。
 若田さんが、宇宙ステーションの長期滞在から帰ってきました。出発から、トラブル続き。帰還も予定より大幅に遅れた。
 しかし、無事帰ってきた。どうして?次々と発生しするトラブルを、予測して、バックアップを万全に近いものにしていたからです。
 親鸞は、このバックアップは、「他力である」というのです。他力に導かれて、バックアップ体制を整えた。はい分かりました。全てが他力です!降参します…。