アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

内部から学校を非聖域化する人たち

2009年08月01日 | Weblog
学校は聖域だと思ってきました。特に、義務教育の諸学校は、聖域でなければならないはずでした。
 どうして、過去形にしたか?私が考える「聖域」は、その名の通り、内部が「聖」でなければなりません。ところが、ニュース提供というサービス精神に燃えているのか、倫理が分からない変質教員が次々と事件を起こしてくださる。そんなところに丁寧な表現は不要だって?あきれはてて…。倫理は教職員の生命線でしょうが!

 なお、私の聖域の定義は、「安全で安心な場所」です。「聖人の境地」「神聖な地域」「犯してはならない区域」「手を触れてはならない分野」「聖闘士星矢の特別区域」…より温かいところ。

 内部の人間つまり教職員が、非聖域化にしているのです。教職員には、「校長、教頭(副校長)、教員、養護教諭、事務職員、公務補、給食の人たち…」などが入ります。変質事件のみならず…「マジッスカ!?」という事件も起こしてくださる。

 篤姫で人気が沸騰した鹿児島県。篤姫がやっつけられてしまいました。小学校の女性校長先生(53歳)が、52歳の男性事務職員に手をへし折られました。男性事務職員が、校長の指導への不満などを書いた文書を職員に配ろうとした(この行為を、勤務時間にやるあたりもう聖域になっていない。不満を書いたビラをつくるあたり、男の腐ったような奴です。その紙…まさか学校の紙を使ったわけではないでしょうねえ。便宜供与?聖域ではなく犯罪の巣窟)。
 阻止しようとした女性校長ともみ合いになり、校長が骨折した。50歳を過ぎた男女が学校内で乱闘ですよ。そこへいたるまでに聖域とは似ても似つかぬ…口論やら罵り合いの数々があったでしょう。女性校長がやっつけられる前に、ほかの職員が止めに入ることが出来なかったの?ビラ配りの最中なら誰かいたでしょう?

 これは特異な事件でしょうが、ハインリッヒの法則で考えますと、全国では大変な数の「学校内職員間乱闘」が行われていることになります…。変質者と、ヒステリーと、ビラ作りが上手で骨を折ってしまう怪力男…その他もろもろが住むところ…聖域ではないです。
 立派に聖域を築いている教職員の皆さんのほうが多いのですが、一握りのバカが全体を象徴するかのように伝えられるのが世の中。大迷惑ですよ。

 1990年代後半、中学校を中心に、「校内暴力の嵐」が吹き荒れました。10数年を経て、徐々に沈静化したように思っていましたが・・・。 
 文科省の調査によると、2007年度の中学生の校内暴力は、前年度より25%も伸びて、全国でおよそ2万件だという。この数字は、小学校の6倍、高校の3倍。校内暴力の低年齢化も進み、2007年度の小学校では、前年度より45%も増えている…。とっくに聖域ではなくなっていました!そうしたのは誰?ってことですが。
 
 「校内で爆竹を鳴らし、注意した教師に暴力を振るう」
 「校長室で鉄パイプを振り回しながら湯飲みやロッカーを壊した」
 「ビニール袋の水を廊下にまき散らし、教師らに暴言」
 「校内喫煙を注意した教師の胸ぐらをつかみ暴言」

 1990年代後半の校内暴力より単純構造ですね。どれも、赤ん坊が興味あることを止められた反応ですよ。「規範意識」が全く育っていない。ジコチューに加えてのカルシュウム不足。「悩む力(姜尚中:カン・サンジュン…自分が読めないので読み仮名をつけた次第)」で、漱石の「自己中心」と「ジコチュー」のことも書かれています。私は、高校時代から漱石ファンですが、未だに「漱石の自己中心主義」を理解できていない。姜先生にジコチューと対比されると、違いは分かるのですが、マサカリカボチャのような頭なので理解にまでは至らない。マサカリカボチャを知らない?皮が固く、庖丁では切れない。マサカリで割るので、「マサカリカボチャ」と、呼ばれているカボチャ…。石に匹敵する固さ。

 閑話休題。解決策?当然ありますが、長くなるので割愛…一点だけ述べておきますと、「世間体(せけんてい)の復活」です。世間体を死語に追いやった結果として、社会と個人の壁が取り払われた。学校で暴れる?聖域ではないから暴れるのです。

 今、燃えさかっている炎は、消さなければなりません。「サスマタ」で対処する?そんな、痛そうな名前のものを使わないでくださいよ。
 燃えさかる火を消すのは、サスマタではなく、腕力が弱くても、「毅然とした冷静な態度」これしかないです。逃げ腰では、向かってこられる。犬もそうです。逃げると追ってきます。熊もそうです。逃げたら間違いなくやられる。「モウダメダ」と思ったら、「毅然とした冷静な態度」で、「ブッ殺すど、コラ!」と、反撃すると活路が見いだせるかもしれません。「身を棄ててこそ浮かぶ瀬もあり」です。

 「規範意識」を育てなければならないのに、満足に育てられなかった(一部の)学校。「学校(社会)と個人の区別がなくなって暴れている」つまり、学校の責任は、一端どころかほとんどです。もっとも、学校非聖域化の旗手が、火を消せるとも思えませんが。

 学校を聖域にするには…武田信玄の言葉を借りると、「教職員は防火扉。教職員は学校」。学校の危機において何より大切なのは、教職員です。
…メディアへ下品なネタを提供しないでよー。聖域を内部から破壊しないでよー…