老眼になってから、めっきり読書量が減ってしまった。読んでいるうちに朝になり、充血した目で勤務に出た頃が懐かしい。近眼で老眼…活字を読むのが億劫。「読みたいという自分」と「表紙をめくりたくない自分」の葛藤です。…本は、読みたい順番に積んであるのですが。
世の中、読み聞かせブーム。親たちは、いかに読書が大切かを知っている。そして経験的に、「読書の入り口がバリアフリーではない」ことを知っている。小学生になって、「読書をしなさい」と、いったところで、うまくいかないだろうということも知っている。それなら、幼児のうちに、「読書の楽しさを刷り込んでおこう」というわけで、読み聞かせが大流行しているわけです。
そして、今、「読書の入り口がバリアフリーになった」ことにより、子供達が読書するようになりました。
20年前、始業前の10分間、児童・生徒、教職員全員が読書をする「朝の読書」を提唱し、実践した教員がいました。林 公 (ハヤシ ヒロシ)先生。林先生は、「朝の読書」運動提唱者として第44回菊池寛賞を受賞。2002年には、「全国朝の読書連絡会」を設立。全国4万を超えるすべての学校に「朝の読書」を広めようとしています。
「読書の入り口のバリアフリー」とは何か?
1 みんなで読む
2 毎日読む
3 好きな本でいい
4 読みっぱなし
「みんなで読む」は、学校中みんなで、つまり校長先生も、養護の先生も…みんなで。「先生も読んでいる」これは効果があります。朝読書が挫折した学校は、「先生が一緒に読まない」ことに起因しています。単に、流行の半天を着るだけなら、挫折するための朝読書ですよ。
「毎日読む」これも、教職員側の姿勢にかかっています。「今日は、これこれがあるから朝読書カット」これが、週に1回ペースで続くだけで、「朝読書丸」は座礁でしょう。
「好きな本でいい」これについては、「マンガでもいいか」という、問題が出てきます。私は、「漫画本」という言葉もあるので、マンガも本だと解釈し、「マンガ可」でスタートさせていいと思います。「マンガも本だ」というのは冗談です。本当は、「マンガをよく読む子は読解力が高い」からです。はじめは、マンガを読んでいる子も、徐々にマンガを卒業していきます。心配いりません。
私が一番高く評価しているのは、「読みっぱなし」です。一行の感想文も求めない。これまで、読書に入るバリヤーとして、「感想文」が立ちはだかってきておりました。大人なら、「感想文がいかに無意味なものか」は、知っているはず。私は、小学生の頃、一生懸命あらすじを書いて提出したら、「感想が書かれていない」とやり直しを命じられたことがありました。それではと、「おもしろかったです」とだけ書いて提出し、先生を怒らせてしまった…。感想って、「おもしろかった」「悲しかった」「怖かった」「たいしたことなかった」…じゃないですか?文章になどなりませんよ。簡単すぎて。
簡単な感想文にダメを出されたら、「本など読みたくない」と考える子がいても何の不思議もありません。「若者の活字離れ」をいわれた時期がありました。「活字離れ」なのではなく「感想文を求めるが上での、活字離し」だったのではないかとも思います。
どうしても何か書かせなければ気が済まないのであれば、読書感想文ではなく、「書評」を書かせ、子供の間で交流させるとるとよいと思います。ただ、これすらも提唱者の意図とは違ってしまいますが。
と、いうわけで、「朝の10分間読書」は、大成功。現在、全国の学校(小中高)のうち、2万校以上が取り組んでいます。
「読書の入り口のバリアー」…感想文のほかに、老眼も付加しなければなりません…トホホです。
世の中、読み聞かせブーム。親たちは、いかに読書が大切かを知っている。そして経験的に、「読書の入り口がバリアフリーではない」ことを知っている。小学生になって、「読書をしなさい」と、いったところで、うまくいかないだろうということも知っている。それなら、幼児のうちに、「読書の楽しさを刷り込んでおこう」というわけで、読み聞かせが大流行しているわけです。
そして、今、「読書の入り口がバリアフリーになった」ことにより、子供達が読書するようになりました。
20年前、始業前の10分間、児童・生徒、教職員全員が読書をする「朝の読書」を提唱し、実践した教員がいました。林 公 (ハヤシ ヒロシ)先生。林先生は、「朝の読書」運動提唱者として第44回菊池寛賞を受賞。2002年には、「全国朝の読書連絡会」を設立。全国4万を超えるすべての学校に「朝の読書」を広めようとしています。
「読書の入り口のバリアフリー」とは何か?
1 みんなで読む
2 毎日読む
3 好きな本でいい
4 読みっぱなし
「みんなで読む」は、学校中みんなで、つまり校長先生も、養護の先生も…みんなで。「先生も読んでいる」これは効果があります。朝読書が挫折した学校は、「先生が一緒に読まない」ことに起因しています。単に、流行の半天を着るだけなら、挫折するための朝読書ですよ。
「毎日読む」これも、教職員側の姿勢にかかっています。「今日は、これこれがあるから朝読書カット」これが、週に1回ペースで続くだけで、「朝読書丸」は座礁でしょう。
「好きな本でいい」これについては、「マンガでもいいか」という、問題が出てきます。私は、「漫画本」という言葉もあるので、マンガも本だと解釈し、「マンガ可」でスタートさせていいと思います。「マンガも本だ」というのは冗談です。本当は、「マンガをよく読む子は読解力が高い」からです。はじめは、マンガを読んでいる子も、徐々にマンガを卒業していきます。心配いりません。
私が一番高く評価しているのは、「読みっぱなし」です。一行の感想文も求めない。これまで、読書に入るバリヤーとして、「感想文」が立ちはだかってきておりました。大人なら、「感想文がいかに無意味なものか」は、知っているはず。私は、小学生の頃、一生懸命あらすじを書いて提出したら、「感想が書かれていない」とやり直しを命じられたことがありました。それではと、「おもしろかったです」とだけ書いて提出し、先生を怒らせてしまった…。感想って、「おもしろかった」「悲しかった」「怖かった」「たいしたことなかった」…じゃないですか?文章になどなりませんよ。簡単すぎて。
簡単な感想文にダメを出されたら、「本など読みたくない」と考える子がいても何の不思議もありません。「若者の活字離れ」をいわれた時期がありました。「活字離れ」なのではなく「感想文を求めるが上での、活字離し」だったのではないかとも思います。
どうしても何か書かせなければ気が済まないのであれば、読書感想文ではなく、「書評」を書かせ、子供の間で交流させるとるとよいと思います。ただ、これすらも提唱者の意図とは違ってしまいますが。
と、いうわけで、「朝の10分間読書」は、大成功。現在、全国の学校(小中高)のうち、2万校以上が取り組んでいます。
「読書の入り口のバリアー」…感想文のほかに、老眼も付加しなければなりません…トホホです。