アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

ハニカミを忘れた国は文明国ではない

2009年08月06日 | Weblog
「ガンシュー」という言葉が聞こえてきた。正直、この言葉がまだ生きていたことに驚き、還暦過ぎの人ではなく、20歳前後の人が遣っていたのでさらに嬉しくなりました。
 「ガンシュー」…私自身のことです。漢字で書けと、いわれても下の方を正しく書けるかどうか自信がない。何十年間も手で書いたことがないから。上地雄輔が「さ」と読んだあの字。
 「ガンシュー」の若者たち、なにやら結構な列を作っていた。列の前では何が…ありゃ?…シュークリーム売り場…そのシュークリーム、ゴツゴツした感じで黒っぽい!「岩のようなシュークリーム」だから、「ガンシュー」人気商品なんだって!私が連想した、「含羞(がんしゅう)」とは全く違うものであった。(上地雄輔は、羞恥心を「さじしん」と読んだ。読み違えは、恥じることではありません)

 含羞は「はにかみ、はじらい、はばかり」。(「はじらい」と「恥」は違います…)
 
 含羞というと太宰治に登場していただかねばなりません。太宰の「含羞に係わる四つの考え」は…
1「ハニカミを忘れた国は文明国ではない」
今の日本は文明国ではなくなってしまいました。「含羞」なしですから。頼みの戦中派ですら、スーパーの買い物カゴを、蹴りながらレジを待つ…爺さまばかりか、婆さままで!せめて婆さまには、「はじらい」を棄てないでいただきたかったです。爺さまならいいのか?男女同権だぞだって?爺さまに恥じらわれても少々気味が悪いので…。高齢者の問題ではないですね。国のリーダーたち…ハニカミをわすれていませんか…ってことですね。

2「カルチベイトされた人は、照れることを知っている」
 このカルチベイトは、英語のcultivate。「品性、才能を磨いた人」ということです。「能ある鷹なら、爪を隠せよ」と、いうこと。

3「文化と書いて、それにハニカミとルビをふること大賛成」
 ルビまでふらなくてもいいけど、「文化はハニカミだ」というお考え、感服いたしました。日本人諸君、日本人を取り戻そうよ!

4「教養とは、まず、ハニカミを知る事也」
 ハニカミ…動詞なら、「ハニカム」ですが、 蜂の巣(ハニカム:honeycomb)とは、無関係です。石川遼選手が一時「ハニカミ王子」と呼ばれていたことがありました。これは…「ハンカチ王子(早稲田の斉藤祐樹)」との語呂合わせからのネーミングでした。(「ハ」しか共通してないだろうってが?)しかし、若いのに教養が感じられ、カルチベイトされている。「含羞のゴルファー」。遼君にピッタリのうまいネーミングだったと思います。太宰治も、喜んでくれていたことでしょう。
 ところで、太宰の孫が衆議院選に出馬するって?まさか、お孫さんって、羽柴秀吉さんじゃないですよね?羽柴さん、今回は衆議院選には出ないようで…国政から、地方公共団体へのチェンジ?「え?初めからそんなの関係なく出馬していた?」…そうですね、国とか地方とか関係ない。なんでもかんでも、選挙があれば立候補するのが秀吉さんの「生き様」。私は個人的におもしろがっているのですが。

 文体からは想像できないが、浅田次郎さんは、自ら「含羞の人」を名乗っている。浅田次郎さんの本を買って御本人にサインをいただいたとき、「ニヤリ」と笑ったんです。私は、「オラオラ、ジジイ!読めるのかオレの本を!老眼進んでるうだろう」と腹の中で思っての「ニヤリ」かなと思っておりました。浅田次郎なら、作品から慮り見るに(?)このくらいの口汚さは普通です。放送禁止用語が活字になって出てきますから。ところが、浅田が、エッセイで次のように書いていた。
 「(含羞のためサインするのが嫌だったのだが)サインを求めてくる人たちは、皆私の小説を読み、かつ購い、次回作を期待してくれているのだ。喝さいに胸を張れない男は卑怯者だ」つまり、浅田次郎の私への「ニヤリ」は、「ありがとう」だった…かな?太宰と、浅田の共通点は、「おもしろい」ところ。読者は、根底にユーモアがあるという安心感で読み進めることができるのです。

 浅田はともかく、太宰治ですが…太宰の含羞感は、あれですよね…あれ。
 またそれか!と、いわれるのは覚悟しています。「含羞」は武士道です。新渡戸稲造と太宰治に接点はあるのかって?稲造の武士道の訳本が出たのは、1938年です。太宰が30歳の時。間違いなく、太宰は、「武士道を読み影響を受けています。
中原中也も含羞の人でした。中也は、稲造の影響は受けていませんね。「武士道」が出る前に亡くなっていますから。
 冒頭に書いたように、私も含羞ですよ。オマエは、「顔醜(がんしゅう)だろう」って?オイオイ!自分の顔に胸を張れない男は卑怯者である事也。