アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

情報から情が抜けるとモンスター

2009年08月08日 | Weblog
 私が皆勤を続けている市民温水プールでは、夏休みに入って、「水泳教室」が盛んに行われています。
 教室の名前も、初級、中級…ではありません。「グッピー」「メダカ」「チャイルド」「イルカ」「カモメ」…ハイカラなカタカナです。日本人の一人として、日本語が好きな理由の一つが、「カタカナがある」という点です。「平仮名、漢字、カタカナ」をもっている日本語!素晴らしい!いいぞ、日本語!

 で、「グッピー」「メダカ」「チャイルド」の3コースが行われる日は、およそ100人の子供達が集まる。プールが大小3面あるので、私には何の影響もない。私は、「水中歩行専用コース」ですから貸し切り状態。時に、我が領域へ入り込もうとする婆さまへは、「バフライ!」をかけます。すると、コソコソ出て行く婆さまが大半ですが、な~んも関係なく私の邪魔をする婆さまも。爺さまは来ないのかって?平日の昼下がりにプールの中を歩いている爺さまは、私しかおりません。「バフライ」は、距離スキーで、前の人を追い越す時にかけるかけ声。それをアクアウオーキングに取り入れたのは私が日本人で初めてでしょう。和訳すると、「どけコラ!のろのろしてんじゃないよ。とっとと道を空けろ!」。これを一言で言えるのが、「 バフライ!」便利な言葉です。

 100人の子供達が集まるということは、送迎の100人の母親がいるということ。彼女らは、ギャラリーに陣取って、我が子の一挙手一投足を凝視している。
 水中歩行者(私)は、ギャラリーを見上げたり、水泳教室の様子をみたり…。ギャラリーの親たちを見て思うのは、不景気とは無縁の人たちが結構いるなあということ。平日の昼間にプールへ子供を送迎できる…仕事をしなくても生活できる人たちだなーということ。日本は、まだ豊かなのです…?

 夏休みでなくても、「グッピー」「メダカ」の練習は行われている。もちろんギャラリーには親たちが。練習の後の事務所…親がクレームを持ち込んでいる。
 クレームは、そのほとんどが指導者へ対するもの。指導者は、初歩のグループなら、10人の子供に3~4人。100人の子供の練習日には、指導者だけで20人以上にもなる。(正職員は2名だけ、あとの指導者は、ボランティア)

 学校へ無理難題を持ちかけたり、自己中心的なクレームを持ち込むモンスターペアレント(ヘリコプターペアレントという呼び方もあるがこちらは、アメリカで使われている)がおられる。学校の場合、親が四六時中授業参観などしないが、水泳教室の場合、100%保護者が監視、私が環視…。100人の親ですから、1日100のクレームがあっても不思議はない。

 クレームの源泉は、「情」です。親たちは、「非情」を感じるからクレームをつけるのです。
 古い話ですが、五木寛之さんが対談の中で、「日本語には、『情報』という言葉がありますが、そこには『情』がこめられていないので困るのです」と、言っておられた。言い当ててます。「情」は、「感じて動く心」「思いやり」です。ですから、「情」は、人を動かす。ギャラリーの親たちは、水泳教室の指導者の「情」を見ているのです。
・ バタ足の補助、他の子には10回だったのに、うちの子には7回だった。(数えているのです。これが親というもの)
・ うちの子の頭を叩いた。(軽くポンと触っても、「叩いた」になる)
・ 他の子へは笑顔だったのに、うちの子の時は笑みが消えていた。

 このような指導者なら、親が腹を立てるのは当然です。バタ足の補助回数は、同じにしなければ…平等でなければなりません。頭をポンと軽く叩くなんてとんでもない。暴行ですよ。「軽いからいいべさ!」だって?重いか軽いかの判断って出来るの?出来るはずがない。一人の子にだけ、笑顔を向けなかった!?差別です。

 水泳の指導において、「情報」の「報」はよく分かる。では、「情」はどうやって示すの?ギャラリーへ向かって、「情はありますからー!」と、叫んだところで伝わるはずがない。

 「聴くこと」です。割り当てられた子が3人であれば、3人の親と教室のあとに話をしなければなりません。大急ぎで身体を拭き、ジャージーを羽織って親を捜すのです。
 「今度担当になりました、○○です」
 「先生!うちの子に対しては、バタ足7回でしたよ!他の子は10回だったのに」
 「あ~、リズムの関係で…拍子が抜けることがあるんです。次回きちんと10回やりますから」…これで親は満足して帰ります。帰りがけに、事務所へ寄ってコワイ顔をして訴える事はありません。
 「情」を伝えるということは、「会話し、聴く」こと。これで「情報」が成立です。

 学校も同じ。モンスターだ、ヘリコプターだと憤慨している学校があったとしたら、それは「聴く」ことをしていないと考えなければなりません。ただその前に…私は、クレームを持ち込まれる学校は、「ありがたい」と、思わなければならないと思っています。
 クレームをつけるということは、学校に対し多大な関心を持っているということです。そして、大変なエネルギーを使わなければ、苦情を持ち込むなんて出来ません。そういう意味では正しくモンスターかも知れませんが…。