車で買い物へ行くにあたって、ガスの節約のため最短距離を通る。
折り込みチラシで、数円でも安ければ遠くのモールまで出かける。ガソリン代をかけるので、結局は高くつくと思うが。
観ていないテレビは、電気料の節約のため消す。
蛇口からチョロチョロ水が出ていようものなら、コブラツイストで責められそう(水道料の節約のため)。
洗い物は水が主体。なかなかお湯を使わせていただけない。しかし、風呂は365日(閏年は366日)欠かさない。
長距離ドライブでは、マニュアルシフトにして「リッター14kmまで伸ばした!」と、威張る(街中では、リッター6km程度しか走らない)。
タクシーに乗ると、メーターがカチャっと上がる度に、身を固くする。そのくせ、チップを欠かさない(料金の1割)。
バーゲンセールに弱く。不必要と思われるモノも買う。そして、特価の値札を静かにはがし、元の値段を暴く…「これ、本当は2,500円だったの、それが、500円。2,000円儲かった!」とはしゃぐ。儲かったわけではないと思うが。また、その服は、あまり日の目を見ない。それを指摘すると平穏な我が家がささくれだつ。
冠婚葬祭、おつきあいには、「過度だ」と思うくらい手厚い。節約志向なのか大風呂敷なのか分からない。
列挙するとキリがない。誰のことかって?内緒ですが、家人の事です。悪口ではないですよ。金輪際悪口は言わないと、お正月に決心し…4月には、「今年度、悪口は言わない」と決心し…7月にはこの夏は…8月には…。
それで…、今の私は、完全に家人のペースに巻きこまれています。チラシも時々は、見ます。蛇口は…チョロチョロが多く…。ちょい漏れオヤジとは違いますよ!
どうして家人のペースに?・・・
「ケチ」とは違う。「吝嗇(りんしょく)」でもない…ケチとの区別がよく分からん。「節約」…無駄もあるようなので、節約そのものではない。「倹約」…節約との区別がよく分からん。いちいち、「よく分からんもの」を、掲げるなってがぁ!
私が、度重なる低血糖でだいぶ冒された脳で考えるに、「損得勘定の感情」のなせる行為という結論を導き出しました!
人間には、「心地よいもの」ってあります。「脳に心地よいもの」と、換言してもいいかもしれません。至近な例としては、「甘み」です。「甘み」は心地よく、脳も納得する。「ダシ」も心地よいものでしょう。「山車(だし)」じゃないですよ。煮干しとか鰹節でとる「ダシ」です。
「音楽!」心地よいから「音楽」なのであって、心地よくないものは、「雑音」と呼ばれている。モーツァルト!とりわけ、「交響曲40番ト短調」「アイネクライネ・ナハト・ムズイーク」…居眠りしていた脳が、沸沸と起きだしリズムをとって踊り出します。
そして、心地よいものの最たるものが、「得をした」という感情でしょう。人間は、「損」はしたくない。これ、地球上の人類は皆同じ。「得をしたという感情」は、癌をも退治する良いホルモンがドブドブ出ますョ。
そういうわけで、家人の行動は、人類の脳幹に刻み込まれている、「心地よさ」を得るためのものだったのです。家人の突出した個性ではなく、人類に共通したものだったのです。決めつけるなって?間違いありませんから!
風呂は、3日に一度のほうが、「得した」という感じにならないかって?毎日のほうが、「心地よい」でしょう。
日本のタクシーにチップは必要ないだろうって?事故なく運転してくれた運転手さんへのお礼。これも、「損得勘定の感情」では、心地よいので「得」でしょう。
冠婚葬祭は…純粋にお祝い・お悔やみの心を伝えたい。見栄(ケチと思われたくない)も、はりたい。見返りのないところにお金を使う心地よさ…。得ですよ。
家人の悪口じゃなかったでしょう!それにしても、オチがつかないなあ。高尚な理論の無料開陳なので、オチがなくてもいいかあ!
折り込みチラシで、数円でも安ければ遠くのモールまで出かける。ガソリン代をかけるので、結局は高くつくと思うが。
観ていないテレビは、電気料の節約のため消す。
蛇口からチョロチョロ水が出ていようものなら、コブラツイストで責められそう(水道料の節約のため)。
洗い物は水が主体。なかなかお湯を使わせていただけない。しかし、風呂は365日(閏年は366日)欠かさない。
長距離ドライブでは、マニュアルシフトにして「リッター14kmまで伸ばした!」と、威張る(街中では、リッター6km程度しか走らない)。
タクシーに乗ると、メーターがカチャっと上がる度に、身を固くする。そのくせ、チップを欠かさない(料金の1割)。
バーゲンセールに弱く。不必要と思われるモノも買う。そして、特価の値札を静かにはがし、元の値段を暴く…「これ、本当は2,500円だったの、それが、500円。2,000円儲かった!」とはしゃぐ。儲かったわけではないと思うが。また、その服は、あまり日の目を見ない。それを指摘すると平穏な我が家がささくれだつ。
冠婚葬祭、おつきあいには、「過度だ」と思うくらい手厚い。節約志向なのか大風呂敷なのか分からない。
列挙するとキリがない。誰のことかって?内緒ですが、家人の事です。悪口ではないですよ。金輪際悪口は言わないと、お正月に決心し…4月には、「今年度、悪口は言わない」と決心し…7月にはこの夏は…8月には…。
それで…、今の私は、完全に家人のペースに巻きこまれています。チラシも時々は、見ます。蛇口は…チョロチョロが多く…。ちょい漏れオヤジとは違いますよ!
どうして家人のペースに?・・・
「ケチ」とは違う。「吝嗇(りんしょく)」でもない…ケチとの区別がよく分からん。「節約」…無駄もあるようなので、節約そのものではない。「倹約」…節約との区別がよく分からん。いちいち、「よく分からんもの」を、掲げるなってがぁ!
私が、度重なる低血糖でだいぶ冒された脳で考えるに、「損得勘定の感情」のなせる行為という結論を導き出しました!
人間には、「心地よいもの」ってあります。「脳に心地よいもの」と、換言してもいいかもしれません。至近な例としては、「甘み」です。「甘み」は心地よく、脳も納得する。「ダシ」も心地よいものでしょう。「山車(だし)」じゃないですよ。煮干しとか鰹節でとる「ダシ」です。
「音楽!」心地よいから「音楽」なのであって、心地よくないものは、「雑音」と呼ばれている。モーツァルト!とりわけ、「交響曲40番ト短調」「アイネクライネ・ナハト・ムズイーク」…居眠りしていた脳が、沸沸と起きだしリズムをとって踊り出します。
そして、心地よいものの最たるものが、「得をした」という感情でしょう。人間は、「損」はしたくない。これ、地球上の人類は皆同じ。「得をしたという感情」は、癌をも退治する良いホルモンがドブドブ出ますョ。
そういうわけで、家人の行動は、人類の脳幹に刻み込まれている、「心地よさ」を得るためのものだったのです。家人の突出した個性ではなく、人類に共通したものだったのです。決めつけるなって?間違いありませんから!
風呂は、3日に一度のほうが、「得した」という感じにならないかって?毎日のほうが、「心地よい」でしょう。
日本のタクシーにチップは必要ないだろうって?事故なく運転してくれた運転手さんへのお礼。これも、「損得勘定の感情」では、心地よいので「得」でしょう。
冠婚葬祭は…純粋にお祝い・お悔やみの心を伝えたい。見栄(ケチと思われたくない)も、はりたい。見返りのないところにお金を使う心地よさ…。得ですよ。
家人の悪口じゃなかったでしょう!それにしても、オチがつかないなあ。高尚な理論の無料開陳なので、オチがなくてもいいかあ!