アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

甲子園出場 とり巻く大人の心境は…

2009年08月12日 | Weblog
 荒野の用心棒だったか、夕日のガンマンだったか、オープニングが印象的でした。40年以上も前なのに、今でも覚えているのですから。どんなで出だしだったか…
 雨でぬかるんだ街を、棺桶を引きずったガンマンが登場したのです。それがどうして印象的か?西部劇といえば…ピューピューと風が吹き、土埃が舞い上がり、WANTEDのチラシも飛び、空き缶がコロコロ転がる。そこへガンマンの登場!これがスタンダードのはず。そういう意味で、ぬかるみの中を登場するガンマンが印象深かったのです。これは、「ただの西部劇ではないよ。マカロニウエスタンなんだよ」ということの暗喩ともとれますが…うがちすぎでしょうかねえ。

 甲子園といえば、「雲は湧き~」ですから、積乱雲。「光溢れて~」ですから、ギンギンに晴れている。「天高く、純白の球今日ぞ飛ぶ」ですから、空の青とボールの白が美しい。そういう状況が甲子園でなければならない。今年は…第二日目が順延、さらに順延。水はけがいいことで日本屈指のグラウンドに、水が溜まるのですからこれは大変なことです。
 折角掴んだ甲子園です。コンディションが良い中で試合させてあげたいものです。

 甲子園滞在が2日延びてしまった。これは、(自宅から通えるチーム以外は)学校側の金策が大変ですよ。
 甲子園出場が決まったとき、表面的にはみんな大喜び。内面的に喜べなかったのは、学校理事会やら、教委やら、校長…。100万円や200万円の予算では済みませんから。金策のメドがつかないからといって、みすぼらしいことも出来ない。「寄付を!」「御寄付を!」と言うと、「寄付を募る?個別訪問?違法なことするな!」という人が現れる。喜んでいる人を見ると、ねたましく何とか足を引っ張ってやろうとする輩。金策しなければならない側にとって、こういう輩は張り倒してやりたいでしょうがそれも出来ない…「モウ、イヤ!」と、何度も思ったでしょう。

 野球を学校の看板にしている私立高校は、特に問題なく資金を捻出します。公立のように、市町村に予算づけしてもらって、同窓会に呼び掛けてなどが不必要。私立には、そんなにお金があるのかって?「ない」けど「ある」…元をただせば保護者から集金するだけの話ですがね。公立校の場合も、結局は、保護者負担が大きくなる。それでも、一生に一度あるだけでも幸せと、定期預金を解約して我が子を甲子園へ送り出す。ただ…ベンチ入りできない選手の保護者の心境はまた別のものがあります。
「うちの子は、ベンチに入らないから、お金は出さない」などと言おうものなら、村八分。かといって、20万円というお金は、そう簡単に用意できるものではない。

 表面も内面も喜ぶのは、選挙が近く対立候補が気になる市町村長。露出機会が増えるし、僅かでも補正予算を組めば、「市長さんのお陰で…」という枕詞がしばらく付く。これ以上ないほど有効で、合法的な選挙運動です。
 甲子園球児達を取り巻く大人達…足を引っ張ろうとする人、迷惑な人、ありがた迷惑の人、この機会に浮上を狙う人・・・出場校の地元で、純粋に喜ぶ人って…少ないだろうなあ。