昨年12月16日の衆院選挙の時に、「最高裁裁判官の国民審査」というのもありました。多くの有権者はどう思っておられるかは知りませんが、私としましては、これほど形式だけの審査というのも珍しいと思います。
「最高裁の裁判官がいいか悪いか?」そんなの分かるはずがない。それは、不勉強だからだって?!その一言が怖いから、有権者の皆さんは、「信任」として投票する。有権者は、皆見栄っ張りですから、「不勉強の誹り」を受けたくない。
だけど、知らない人について、「いいか、悪いかの判断」をする方がおかしい。裁判所の民主化だって?有権者に、「知らない人の任免の可否を委ねる」のが民主化か?
今回も、対象の全員が信任されました。辞めさせたい率は1桁台。どんな人(裁判官)なのか分からないのに「×」の付けようがないですよ。
では、国民審査はどのようにしたらいいか? 国民審査の対象となる裁判官について、3か月ごとでいいから、「○○の裁判については××と考えている」とか「夏休みは、自宅で50冊の本を読んだ」とか「豚骨ラーメンが好き」とかを、新聞を通じて発信する。
これいいでしょう!こうすると、「不勉強=新聞を読まない」ということで、まじめな有権者は、自信をもって審査出来ます。対象となる裁判官の顔がはっきり見えているわけですから。
うーん!新年から、いい提案をするなあーっ!
この度の国民審査の投票率、57.45%。第1回(昭和24年)以降、最低…。
「最高裁の裁判官がいいか悪いか?」そんなの分かるはずがない。それは、不勉強だからだって?!その一言が怖いから、有権者の皆さんは、「信任」として投票する。有権者は、皆見栄っ張りですから、「不勉強の誹り」を受けたくない。
だけど、知らない人について、「いいか、悪いかの判断」をする方がおかしい。裁判所の民主化だって?有権者に、「知らない人の任免の可否を委ねる」のが民主化か?
今回も、対象の全員が信任されました。辞めさせたい率は1桁台。どんな人(裁判官)なのか分からないのに「×」の付けようがないですよ。
では、国民審査はどのようにしたらいいか? 国民審査の対象となる裁判官について、3か月ごとでいいから、「○○の裁判については××と考えている」とか「夏休みは、自宅で50冊の本を読んだ」とか「豚骨ラーメンが好き」とかを、新聞を通じて発信する。
これいいでしょう!こうすると、「不勉強=新聞を読まない」ということで、まじめな有権者は、自信をもって審査出来ます。対象となる裁判官の顔がはっきり見えているわけですから。
うーん!新年から、いい提案をするなあーっ!
この度の国民審査の投票率、57.45%。第1回(昭和24年)以降、最低…。