アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

情けは人のためにはならない…

2014年10月06日 | Weblog
 「情けは人のためならず」…「情けをかけるのは、人のためにならないからやめましょう」という意味…こう言うと、「その解釈は間違いだ」と、鬼の首を取ったかのように指摘する人もおられるかと。

 情けをかけると、かけられた人が、「ああ、人生はこの程度か!」と、社会を甘く見ます。ですから、万引き犯には、「もうしないでね。もうしないと約束できるなら帰っていいよ」ではなく、きちんと警察に引き渡しましょう。そうしなければ、再犯、再々犯…捕まるたびに、「スミマセン、つい出来心で…二度としませんから許してください」。こうして、情けをかけてもらってまた万引きをする。
 ですから、「情けをかけるのは、人のためにならない」のです。

 その例と、ことわざの意味は違うって?つまり、アレかい?
・・・人に情けをほどこすことは、その人のためになるのではない。人にかけてあげた情けは、巡り巡ってやがて自分へ還ってくる。人に恩をほどこすことは、とりもなおさず、自分の得になることなのだ・・・
 このような、自分本位、自分のために人に情けをかける、自分が良ければ良い…こーゆーことなの?それって、計算高いでしょう!ズル賢いでしょう!腹黒いでしょう!そんな解釈を、子どもに押しつけていいんですか?世の中を甘く見る、狡猾な人間ができあがりますよ!

 そもそも、「ことわざの解釈」というものは、「違い」があって当然。ことわざは、意味内容に揺れがあります。ですから、受け取る側の哲学を持ち込むことが出来るのです。

 「カッパの川流れ」…存在しないかもしれない生き物が川を流れていく。よく観察しようという意味。
 「猿も木から落ちる」…地球には引力があるという意味。
 「上手の手から水が漏れる」…「カッパの川流れ」、「猿も木から落ちる」と、同じ意味です。あらら、矛盾が生じてしまいました。

 大事な入試で、「情けは…」の解釈が問題に出たらどう書けばいいかって?そーゆー場合には、もちろん、「情けをかけると、その情けは自分に還って…」を書きましょう。 本音と建て前の使い分けかって?受取り手の哲学が、ことわざの解釈に入り込んでも、目くじらを立てなさんな、ということです。

 「くしゃみ散会縷々参上」は、どう解釈するかって?「会議中くしゃみをしたら、風邪がうつらないように散会し、数日後に縷々集まっておいで」です。えっ?クシャミを三回したら、ルルを三錠のめ」じゃないのかって?薬屋の宣伝じゃないんだから。