フキノトウを食べました。茹でてオリーブオイルをかけて酢をたらしました。もちろん飲み物はワイン。毎月、都内有名デパートから通販で買う、1箱12本入りのワイン。全てフランスの金賞、美味しいですよ。晩酌は、ワインだけではなく、日本酒、焼酎、ビール…自家製果実酒も飲まなきゃならない。今夜は何を飲むか、明日は何を…、ローテーションを決めるのが大変です。アル中になってるんじゃないかって?だ、大丈夫です。休肝日を守っていますから。休肝日に、「盗み酒」をするようになったら、アル中です。休肝日には「ノンアルコールビール」を飲みますが、間違って「本物のビール」を飲んでしまったことがありました。カミサンに気づかれなかったので良かったです。最近の缶ビールは…ノンアルコールなのか、アルコールが入っているのか、缶のデザインからは判別できない。いいのか悪いのか?
で、フキノトウを、東北では「バッケ」と呼ぶ。モノの本(小田正博さん編著「南部詞の世界」)によると、北東北では「バッケ」、宮城では「バッケァ」、山形や福島は「バンケ」なのだそう。同じ東北地方でも、微妙に違うらしい。「バッカイ」と呼ぶところもあるそう。
なぜフキノトウが「バッケ」なのか?日本語とは思えないが。
北海道の保母さん達は、「保育所での商売道具は、バッポひも」と、言っています。どんな「ひも」かといいますと、「昔ながらの、おんぶするためのひも(帯)」。おんぶしておけば、乳児も幼児もご機嫌で、他の子らに攻撃される心配もない。保母さんも、乳幼児も、ウインウインなのが、「バッポひも(おんぶひも)」。
北海道では、「バッポ(バッパ)=おんぶ」。東北地方では、「フキノトウ=バッケ=おんぶのバッポ(バッパ)」。そもそも、「おんぶ」を、「バッポ(バッパ)」というのは、アイヌ語。
疑問その1 なぜ、おんぶの意味のアイヌ語である「バッポ(バッパ)」が、東北地方ではフキノトウの呼称になり、普通に使われているのか?
疑問その2 なぜ、アイヌが多く住む北海道では、フキノトウは、「フキノトウ」であり、「バッケ」とは呼ばないのか?
疑問1に対するアンティークマンの回答
フキノトウが土から出てくるとき、「お婆さんが孫をおんぶして、ねんねこ半纏を羽織っている」その姿に酷似しています。(ねんねこ半纏とは、子どもをバッパした上から着る防寒、養護のために用いる綿入りの半纏のようなもの)
この土から出る姿から、「バッパ(おんぶ)→バッケ(フキノトウ)」となった。 それがどうして東北で定着したかですかぁ?「アイヌ=北海道」ではないからなのです。
「アテルイとモレをだまし討ちした」という史実があります。
鎌倉時代までは、東北地方はアイヌが統治していました。そこへ、征夷大将軍「坂上田村麻呂」が、「朝廷に従うように」と、六千の軍勢を率いてやってきた。応戦したアイヌの軍事統率の長が、「アテルイ」。有能な指導者に「モレ」もいた。アイヌ軍は、わずか八百人。多勢に無勢でしたが、アイヌ軍は勇猛果敢。一方侵攻軍は、朝廷勤務のお役人たちでしたから、弱いなんてもんじゃない。必死で逃げ回るばかり。「古代史上でも類を見ない『寡兵に大敗』」。これじゃあこっぱずかしくて坂上田村麻呂は、おめおめと都へ帰るわにはいかなかった。そこで一計を案じた。
田村麻呂は、アテルイとモレを、「朝廷に謁見させますから都へ来て下さい」と、おびき出した。そして、だまし討ち。
指導者を失ったアイヌの人たちは、敗走、背走、壊走…。海峡を渡り「北海道」へ逃げ延びたアイヌもいた。
そんなわけで、フキノトウをバッケと呼ぶようになったのは、北海道から海を渡って東北へ行ったのではなく、もともと東北のアイヌの人々が使っていた言葉。どうですか?坂上田村麻呂やアテルイを持ち出すあたり、信憑性も高いんじゃないかと。
なぬ?「北海道のアイヌは、東北から追われて移り住んだのか」って?いえいえ、アイヌは、もともと北海道にも樺太にもロシアにもおりました。東北地方にもいたということです。
疑問2に対するアンティークマンの回答
なぬ?疑問1の回答が長すぎて、疑問2がなんだったか忘れたって?
疑問その2は、なぜ、アイヌのお膝元である北海道では、フキノトウは、「フキノトウ」であり、「バッケ」とは呼ばないのか?
北海道のアイヌの皆さんは、フキノトウを見て、「おんぶ(バッパ・バッポ)」の姿を連想するユーモアを持たなかった。だからフキノトウは、「フキノトウ」。
「朝廷軍は北海道まではアイヌを追ってこなかったのか?北海道のニセコ町に比羅夫という有名なスキー場があるが、朝廷の将軍であった阿倍比羅夫と関係があるのではないか?」って?
ニセコの「比羅夫」は、「阿倍比羅夫」からのネーミングで間違いないようです。地元の人が真顔で言ってますから。
実際、阿倍比羅夫は大船団を率いて三度北海道へ来ています。だけど、広すぎて戦う相手が見つからない!朝廷側も、北海道や樺太には興味を示さなかった(「化外の地」と、呼んでいた)。よって、阿倍比羅夫も、「やーめた!」となった。だから、阿倍比羅夫は「侵略者」と呼ばれずに済んだわけで、地名にまでなっている。近年、比羅夫は、「ヒラフ」と、カタカナ表記になってしまっています。ニセコのスキー場には外国人が多いからカタカナにしてしまったのでしょう。「ヒラフ」では、「ピラフ」と間違われてしまいますから、「比羅夫」に戻してほしい。天麩羅にも似ているしぃ…。羅だけが共通かぁ…。
で、フキノトウを、東北では「バッケ」と呼ぶ。モノの本(小田正博さん編著「南部詞の世界」)によると、北東北では「バッケ」、宮城では「バッケァ」、山形や福島は「バンケ」なのだそう。同じ東北地方でも、微妙に違うらしい。「バッカイ」と呼ぶところもあるそう。
なぜフキノトウが「バッケ」なのか?日本語とは思えないが。
北海道の保母さん達は、「保育所での商売道具は、バッポひも」と、言っています。どんな「ひも」かといいますと、「昔ながらの、おんぶするためのひも(帯)」。おんぶしておけば、乳児も幼児もご機嫌で、他の子らに攻撃される心配もない。保母さんも、乳幼児も、ウインウインなのが、「バッポひも(おんぶひも)」。
北海道では、「バッポ(バッパ)=おんぶ」。東北地方では、「フキノトウ=バッケ=おんぶのバッポ(バッパ)」。そもそも、「おんぶ」を、「バッポ(バッパ)」というのは、アイヌ語。
疑問その1 なぜ、おんぶの意味のアイヌ語である「バッポ(バッパ)」が、東北地方ではフキノトウの呼称になり、普通に使われているのか?
疑問その2 なぜ、アイヌが多く住む北海道では、フキノトウは、「フキノトウ」であり、「バッケ」とは呼ばないのか?
疑問1に対するアンティークマンの回答
フキノトウが土から出てくるとき、「お婆さんが孫をおんぶして、ねんねこ半纏を羽織っている」その姿に酷似しています。(ねんねこ半纏とは、子どもをバッパした上から着る防寒、養護のために用いる綿入りの半纏のようなもの)
この土から出る姿から、「バッパ(おんぶ)→バッケ(フキノトウ)」となった。 それがどうして東北で定着したかですかぁ?「アイヌ=北海道」ではないからなのです。
「アテルイとモレをだまし討ちした」という史実があります。
鎌倉時代までは、東北地方はアイヌが統治していました。そこへ、征夷大将軍「坂上田村麻呂」が、「朝廷に従うように」と、六千の軍勢を率いてやってきた。応戦したアイヌの軍事統率の長が、「アテルイ」。有能な指導者に「モレ」もいた。アイヌ軍は、わずか八百人。多勢に無勢でしたが、アイヌ軍は勇猛果敢。一方侵攻軍は、朝廷勤務のお役人たちでしたから、弱いなんてもんじゃない。必死で逃げ回るばかり。「古代史上でも類を見ない『寡兵に大敗』」。これじゃあこっぱずかしくて坂上田村麻呂は、おめおめと都へ帰るわにはいかなかった。そこで一計を案じた。
田村麻呂は、アテルイとモレを、「朝廷に謁見させますから都へ来て下さい」と、おびき出した。そして、だまし討ち。
指導者を失ったアイヌの人たちは、敗走、背走、壊走…。海峡を渡り「北海道」へ逃げ延びたアイヌもいた。
そんなわけで、フキノトウをバッケと呼ぶようになったのは、北海道から海を渡って東北へ行ったのではなく、もともと東北のアイヌの人々が使っていた言葉。どうですか?坂上田村麻呂やアテルイを持ち出すあたり、信憑性も高いんじゃないかと。
なぬ?「北海道のアイヌは、東北から追われて移り住んだのか」って?いえいえ、アイヌは、もともと北海道にも樺太にもロシアにもおりました。東北地方にもいたということです。
疑問2に対するアンティークマンの回答
なぬ?疑問1の回答が長すぎて、疑問2がなんだったか忘れたって?
疑問その2は、なぜ、アイヌのお膝元である北海道では、フキノトウは、「フキノトウ」であり、「バッケ」とは呼ばないのか?
北海道のアイヌの皆さんは、フキノトウを見て、「おんぶ(バッパ・バッポ)」の姿を連想するユーモアを持たなかった。だからフキノトウは、「フキノトウ」。
「朝廷軍は北海道まではアイヌを追ってこなかったのか?北海道のニセコ町に比羅夫という有名なスキー場があるが、朝廷の将軍であった阿倍比羅夫と関係があるのではないか?」って?
ニセコの「比羅夫」は、「阿倍比羅夫」からのネーミングで間違いないようです。地元の人が真顔で言ってますから。
実際、阿倍比羅夫は大船団を率いて三度北海道へ来ています。だけど、広すぎて戦う相手が見つからない!朝廷側も、北海道や樺太には興味を示さなかった(「化外の地」と、呼んでいた)。よって、阿倍比羅夫も、「やーめた!」となった。だから、阿倍比羅夫は「侵略者」と呼ばれずに済んだわけで、地名にまでなっている。近年、比羅夫は、「ヒラフ」と、カタカナ表記になってしまっています。ニセコのスキー場には外国人が多いからカタカナにしてしまったのでしょう。「ヒラフ」では、「ピラフ」と間違われてしまいますから、「比羅夫」に戻してほしい。天麩羅にも似ているしぃ…。羅だけが共通かぁ…。