落合恵子さん、ちょうど私の3歳上。文化放送のアナウンサーでした。同期に、みのもんたさんがおられた。私はニッポン放送・・・でしたので、ご一緒したことはありませんでした。このままじゃあ、大嘘つきになってしまいます。一部訂正します。「私はニッポン放送・・・でした」→「私はニッポン放送の(アナウンサー)音声テスト合格でした」。(早い話が、50倍の難関を突破し、音声テストに合格したという自慢。50倍ですよ、50倍!・・・しつこいね)
学生時代は、文化放送の、「セイ!ヤング」のリスナーでした。「レモンちゃん」のファンでしたねえ。「こんばんは、落合恵子です」…これも結構聴いていました。そのうちに、落合さんの作家活動が本格化してきたことと、私自身がラジオを聴く習慣がなくなってきたことで、落合さんとは疎遠になっておりました。(始めから疎遠だってがぁ)
それからおよそ40年。「毛髪が豊富というかぁ、大変なことになっている落合さんと再会」と、いっても、お会いしたことがないのに再会はないわけでぇ。そんな雰囲気にこちらが勝手になっただけなんですけどね。
どこで再会したかと申しますと、「全国中学生人権作文コンテスト」です。落合恵子さんは、審査委員長。私もたまたまその仕事に関わっているものですから、「あれっ!落合さん、こんな素敵な仕事をしていたのかぁ!」と、再会したわけ。
なんでこの度、落合さんを思いだして駄文を書いているか?
朝食抜きの小2の話を書いているうちに、落合さんの、「スプーン一杯の幸せ」を思いだしたからです。
「わんずまざー保育園」のスプーン1杯の副食で思いだしたんじゃないのかって?確かに、確かに、「わんずまざー保育園」の時も、「あっ、落合恵子さんだな」と、思い出しましたけどね。日本中の、60~70歳の人たちは、「スプーン一杯」を、思い出したのではないでしょうか。それほど落合恵子は凄い影響力を持っていたって事でしょうねえ。
今日の本題に入る前に・・・「わんずまざー保育園」は、ひどかったねぇ!
「定員水増し+ありえない食事」姫路市が認めた正規定員46人とは別に22人を受け入れていた。その22人については、一人あたり、「月額2万~4万円の利用料を徴収」していた。その儲け分は、誰の懐に入ったの?
給食は…約70人の園児に提供しなければならないのに、「30~40人分」しか作らなかった。副食が、カレースプーン一杯分ほどの園児もいたという。これを虐待と言わずになんという!
本題に入りますが、「おぎゃー」と、生まれた人間は、やがて土に還って行くのですが、乳幼児時代の1番の「欲」は、「食欲」です。なぬ?「愛情を得たいとい
う欲もあるだろう」って?
あ、あのね、そういう面倒なことは言わないでっ!
マズローの欲求の5段階の3番目に、「愛情欲求」がありますが、私は1番目のことを言いたいのです。よってマズローさんも、1番目は、「生理的欲求(早い話が、食欲)」としていますから、ここは抑えて抑えて。
齢を重ねると、この欲求というモノが片っ端から減退していきます。そして、最後に残る欲求が、子どもに還って「食欲」なのです。
老人の場合、「自己責任で食べるでしょうからかまわなくていい」。しかし、赤ちゃんから小学校中学年ぐらいまでは、「保護者が責任を持って沢山食べさせましょうよ!」。これ、ホントお願いしますよ。
3歳の子の朝食が、プリッツ1本は少ないでしょう!小2の子が、昨晩の夕食と、今朝の朝食が抜きってのもおかしいでしょう!小5の子が、チョコレートをひとかけら食べて登校ってのもおかしいでしょう!朝食代わりにアメ1個もおかしいでしょう!保育園の昼食の副食がカレースプーン一杯も言語道断。園児達は、スプーンがすり減るほど舐めていたと思いますよ。
混ぜっ返すようですが、落合恵子さんの作品に、「匙をくわえた天使たち(匙をスプーンと読ませる)」がありました。
なぬ?落合さんはどうして若いうちから、作品のタイトルに「スプーン一杯や匙をくわえた…」を使ったのかって?
推測ですが、有名私大を卒業していますから金銭的には問題ない家庭で育ったようです。しかし、環境面で複雑だったようです。寂しい思いをされたことがあったのではないでしょうか。その原風景にあったのが、「スプーン(匙)」だった…。
私が新学期に出席した小学校の入学式で、校長先生の式辞と、教育委員会の祝辞の両方に、「朝ご飯をしっかり食べましょう」というくだりがありました。
朝食、10歳未満の子にとって、保護者が用意してくれなきゃ、食べたくても食べられないんですよ・・・!
さあ、私は、奈良へ行ってきま~す!目指すは、「高取城址」。
学生時代は、文化放送の、「セイ!ヤング」のリスナーでした。「レモンちゃん」のファンでしたねえ。「こんばんは、落合恵子です」…これも結構聴いていました。そのうちに、落合さんの作家活動が本格化してきたことと、私自身がラジオを聴く習慣がなくなってきたことで、落合さんとは疎遠になっておりました。(始めから疎遠だってがぁ)
それからおよそ40年。「毛髪が豊富というかぁ、大変なことになっている落合さんと再会」と、いっても、お会いしたことがないのに再会はないわけでぇ。そんな雰囲気にこちらが勝手になっただけなんですけどね。
どこで再会したかと申しますと、「全国中学生人権作文コンテスト」です。落合恵子さんは、審査委員長。私もたまたまその仕事に関わっているものですから、「あれっ!落合さん、こんな素敵な仕事をしていたのかぁ!」と、再会したわけ。
なんでこの度、落合さんを思いだして駄文を書いているか?
朝食抜きの小2の話を書いているうちに、落合さんの、「スプーン一杯の幸せ」を思いだしたからです。
「わんずまざー保育園」のスプーン1杯の副食で思いだしたんじゃないのかって?確かに、確かに、「わんずまざー保育園」の時も、「あっ、落合恵子さんだな」と、思い出しましたけどね。日本中の、60~70歳の人たちは、「スプーン一杯」を、思い出したのではないでしょうか。それほど落合恵子は凄い影響力を持っていたって事でしょうねえ。
今日の本題に入る前に・・・「わんずまざー保育園」は、ひどかったねぇ!
「定員水増し+ありえない食事」姫路市が認めた正規定員46人とは別に22人を受け入れていた。その22人については、一人あたり、「月額2万~4万円の利用料を徴収」していた。その儲け分は、誰の懐に入ったの?
給食は…約70人の園児に提供しなければならないのに、「30~40人分」しか作らなかった。副食が、カレースプーン一杯分ほどの園児もいたという。これを虐待と言わずになんという!
本題に入りますが、「おぎゃー」と、生まれた人間は、やがて土に還って行くのですが、乳幼児時代の1番の「欲」は、「食欲」です。なぬ?「愛情を得たいとい
う欲もあるだろう」って?
あ、あのね、そういう面倒なことは言わないでっ!
マズローの欲求の5段階の3番目に、「愛情欲求」がありますが、私は1番目のことを言いたいのです。よってマズローさんも、1番目は、「生理的欲求(早い話が、食欲)」としていますから、ここは抑えて抑えて。
齢を重ねると、この欲求というモノが片っ端から減退していきます。そして、最後に残る欲求が、子どもに還って「食欲」なのです。
老人の場合、「自己責任で食べるでしょうからかまわなくていい」。しかし、赤ちゃんから小学校中学年ぐらいまでは、「保護者が責任を持って沢山食べさせましょうよ!」。これ、ホントお願いしますよ。
3歳の子の朝食が、プリッツ1本は少ないでしょう!小2の子が、昨晩の夕食と、今朝の朝食が抜きってのもおかしいでしょう!小5の子が、チョコレートをひとかけら食べて登校ってのもおかしいでしょう!朝食代わりにアメ1個もおかしいでしょう!保育園の昼食の副食がカレースプーン一杯も言語道断。園児達は、スプーンがすり減るほど舐めていたと思いますよ。
混ぜっ返すようですが、落合恵子さんの作品に、「匙をくわえた天使たち(匙をスプーンと読ませる)」がありました。
なぬ?落合さんはどうして若いうちから、作品のタイトルに「スプーン一杯や匙をくわえた…」を使ったのかって?
推測ですが、有名私大を卒業していますから金銭的には問題ない家庭で育ったようです。しかし、環境面で複雑だったようです。寂しい思いをされたことがあったのではないでしょうか。その原風景にあったのが、「スプーン(匙)」だった…。
私が新学期に出席した小学校の入学式で、校長先生の式辞と、教育委員会の祝辞の両方に、「朝ご飯をしっかり食べましょう」というくだりがありました。
朝食、10歳未満の子にとって、保護者が用意してくれなきゃ、食べたくても食べられないんですよ・・・!
さあ、私は、奈良へ行ってきま~す!目指すは、「高取城址」。