アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

イルカは可哀想 カンガルーは殺してもいい

2010年03月29日 | Weblog
 第82回アカデミー賞で、「ザ・コーヴ」が長編ドキュメンタリー賞を受賞した。和歌山県太地町のイルカ漁を題材にした映画。
 この映画、いまだに日本に配給されていない。だいたいの内容は予想出来るが、日本が舞台のドキュメンタリー映画を日本人が観られない…。
 自宅へ他人が大勢入ってきて、台所でなにやら調理した。「オマエには食わせないヨー」と言って、仲間だけで食べた。「美味しい、美味しい」と褒め合っている。…そんな感じです。

 和歌山県太地町だけがクローズアップされていますが、知事の許可で獲れますから、沖縄県、静岡県、千葉県、岩手県、宮城県、青森県、北海道でも獲っています。
 で、イルカは1頭2万円ほど(体長1.5m)。燃料代が高いのに、イルカは安い。これではイルカ漁などやってられない。ある県の数字ですが、イルカ漁の許可船の数は、10年前の3割減。捕獲イルカ数は、10年前の8割減。これは、全国の傾向として当てはまると思われます。イルカを食べる日本人も、年々減っています。もう、市場に出回らなくても問題にならないところまで来ています。
 イルカ漁も(「を」ではなく「も」です)手がける漁師さんですら、「イルカを殺して肉を生計の一部とする需要は今はない」と。

 ともあれ太地町は怒っています。食文化に文句をつけるなということではなく、映画に対してです。
○ 映画に虚偽があるので、ドキュメンタリーじゃない。
○ 処理場を盗撮され、許可してないのに顔を撮影された。盗撮した映像がアカデミー賞とはあきれたもんだ。
○ イルカ漁をする他国は良くて、日本は悪い。人種偏見だ!
○ 「害獣駆除のために漁を行う」…も事実と違う。
○ 「水銀汚染を隠すためにイルカの肉を鯨肉として販売している」…事実と違う。

 イルカ漁を個人的に反対するのは、内心の自由ですから何の問題もない。しかし、ドキュメンタリー映画にして世界へ配給してしまう…やり方が汚い。平和な地球は、「違いを知り、それを認める」のが基礎。

 世界には、犬・猫・馬・猿・ヘビ…を食べる人々がおります。それが文化ですから外からイチャモンをつけるモノではない。しかもイチャモンは、理性ではなく単なる感情だから始末におえない。
 メキシコで、袋状のパンに入っていたのは、「うじむし」でした(養殖のうじむしなので、汚くない)。日本では、「ハチノコ」を食べるが、同じ味です。同様に、アリも食べます。日本では、イナゴを食べます。ムシを殺して食べる文化は、イルカ食より残酷ではないということか?日本には、「一寸の虫にも五分の魂」ということわざがあるが。殺し方に文句をつけられてもねえー…。

 よく出される例が、「牛や、豚を殺して食うのに、なんでイルカがだめなんだ?」この例を振りかざしても、反イルカ漁の連中を説得できません。選別的感情論ですから、「ああ言えばこう言う」で、子供の口喧嘩状態になってしまいます。「亀井さんVS菅さん」の水掛け論よりは質が高いですけどね。
 イルカ漁の場合は、「食文化の違いに口出しするな!残酷だって?スッコンデロ!」は、通じます。もっと穏やかに言えって?では、「その国の習慣や実情に基づく長年の伝統や文化を重んじ、お互いに尊重することが大切だ」…変わりないですね。

 クジラ、マグロの場合は、感情論ではなくなってきているので、「食文化の違い」では説得力がない。「絶滅の心配はない」という数字を挙げなければなりません。
 オーストラリアのラッド首相が、「調査捕鯨をやめなければ日本を国際司法裁判所に提訴する」と、言いました。
 「あのなあ、ラッドさん!オーストラリアは、年間300万頭余の野生のカンガルーを殺しているべ!作物や牧草を守るためという大義名分で。そのくせ、クジラ獲るな、訴えるぞだと…そういう人を偽善者というんだ。お前達こそ、カンガルー殺しで訴えるぞ!」…あれあれ、子供の口喧嘩状態になってしまった。選別的感情の問題ですから、言い返したところでどうしようもない…。

 「ザ・コーヴ」のアカデミー賞受賞が、「日本政府や日本の漁業者は悪者」というお墨付きになったことだけは、間違いない…

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