徒然雑感 by おとぼけの父上

R中学のソフトテニスコーチ、エスパルスの応援、その他何でも、日々の雑感を記録していきます。

【J特】久しぶりの勝利だ、エスパルス

2010-10-24 15:16:11 | サッカー(エスパルス編)
昨日は山形でアウェイの戦い。
どうも山形とは相性がいいようだ。
結果的にも3-0。
決して華麗な得点ではなかったが、泥臭い得点と言おうか、
1点目の枝村の得点も、
パスが繋がっていたとはいえ、
決して華麗とはいえないだろう。
兵藤も転びそうになりながらドリブルしたり、
なんとなくがんばってる!
っていう姿が見えてうれしかった。
R中のみんなの姿もダブって見ていたかも。
昨日は気分が良かったから。


さて、サッカーとは全く関係ないが、
ツインAが新車の運転のために、
ドライブ用のCDを作ってくれた。その中に入っている曲。
もう古いのかもしれないが、とっても気に入っている。





lecca の DEAR という曲。
ウィキメディアによれば、
1999年にプラスタディ・ミュージック・スクールという音楽学校に入校。そこでボイストレーニングを受けつつダンスや音楽理論を学んだのちに、その翌2000年から首都圏界隈のクラブシーンを舞台に音楽活動を始動した。[2]
大学を卒業した2002年から米国のニューヨークとカナダのトロントに半年間にわたって滞在し、現地のクラブシーンに身を置きながら経験を積んだ。その音楽スタイルがレゲエに傾倒していったのはこの頃であった。[2]
2003年に日本へ帰還―烈火と号したうえで再び首都圏のクラブシーンを主舞台として活動を開始。[3] その翌2004年にあっては、レゲエ歌手PANGの『ゆらり』/『あはっ!』という2枚のミニアルバムの制作にMCおよび作曲家として参加した。[4]
2005年に自身初のアルバム『烈火』をリリース。HMVのインディーズ部門におけるレゲエおよびスカを対象とした音楽チャートで10位を記録したこの一枚を引っ提げインディーズにおけるデビューを行った。そんなこの年にはMEGARYUと組んだうえで再びPANGのミニアルバムの制作に参加したうえ、PANGのファーストアルバムの制作にも参加することとなった。[2]
やがて2006年の4月に自身初のミニアルバム『Dreamer』(ドリーマー)をリリースし、同時にメジャーデビュー。同年の8月におけるアルバム『URBAN PIRATES』(アーバン・パイレーツ)のリリースを皮切りに、それから毎年にわたりアルバムのリリースを重ねていった。[4] そうしたなかで2008年に発表したアルバム『City Caravan』(シティー・キャラバン)がオリコンの週間チャートで18位にまで浮上。[5]
2009年になるとファーストシングルの『For You』(フォー・ユー)が北海道にて高い支持を受け、その内に収めた同名の楽曲がこの地の有線のリクエストチャートで6週間にわたって連続1位を記録。これを収録したアルバム『BIG POPPER』(ビッグ・ポッパー)がオリコンのデイリーチャートで5位にまで上昇。[6] 更には『My measure』(マイ・メジャー)が『ギネ 産婦人科の女たち』というテレビドラマの主題歌に決定。自身の楽曲がテレビドラマの主題歌に起用されたのはこれが初のことであった。[7] 結果としてこの年にあっては、USENにおいて『最も多くのリクエストを受けたアーティスト』との指名を受け、かくして北海道からその名を日本全国に知らしめるに至った。[8]
2010年の4月に自身3枚目のシングルとなった『TSUBOMI/Snow Crystals』(ツボミ/スノー・クリスタルズ)をリリース。九州男との2年ぶりの共演であったこのシングルの内なる一曲『TSUBOMI』がUSENのJ-POP総合チャートにおいて発売前に1位を獲得[9]。

早稲田大学政治経済学部を卒業。[10] 食道楽から国際政治まで幅広い事物を論じたブログを2006年の8月から綴っていたものの、2008年の4月をもって閉鎖。そこで取り扱ってきた数々の話題についての所属事務所のスタッフからの要望に応えた―半ば反発した形での閉鎖であった。[11] そのブログでもたびたび話題としていた東京ヤクルトスワローズの熱心なファンである。
コメント
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