徒然雑感 by おとぼけの父上

R中学のソフトテニスコーチ、エスパルスの応援、その他何でも、日々の雑感を記録していきます。

スポーツの光と影

2012-07-08 21:44:09 | テニス
先日、中京大中京高校と、大府高校の補欠同士の、
試合のドキュメンタリーが放送されていた。
団体競技、野球やサッカーやバレーやバスケット。
何でもいいけれど、スポーツの色々な場面で、
レギュラーと補欠などの問題があります。
タツタが所属していた小学校の時のチームは22人のメンバー。
ある時、AチームとBチームに分けることとなり、
監督はメンバー分けをどうするか悩んだと思います。
そこで、私はタツタをBチーム入れてもらいました。
本人がどう思ったか?
それは正直判りません。
ただ、私はどんなチームに入ろうとも、
どんなポジションになっても、
学べることは違っても、
学べることがないということはあり得ない。
その場その場で学べることを直向きに学べばいい。
私はそう思っています。
良く、サッカーの補欠の親のスレッドを見かけます。
いわく、
何故うちの子が補欠なのか?
とか、少しは出して欲しいとか、
たまには先発で使って欲しいとか?

それは親だから子供に期待する気持ちはわかるし、
我が子の雄姿を見たいという気持ちもわかります。
中には本当にどうしようもない監督がいることも事実です。
しかし、私が今までかかわってきた監督やコーチで、
どうしようもない人はいませんでした。
もちろん間違うことはあったかもしれない。
しかし、やり直しが出来ない以上、
それが正しかったのか間違っていたのか?
それは誰にもわかりません。
言えることはただ一つ。
決断した監督に対し、文句を言うのではなく、
その結果与えられたポジション?役割?を
必死にこなすことによって、
自分の存在意義を改めて認めさせることしかないのです。
それが出来た時に、人間として成長出来、
それが経験となり、
血となり肉となり、
結果として良かったと言える事になるのです。
しかし、それを恨んだり、不満を持つ人間は決して成長することが出来ないことに気がついて欲しい。

昔、私は誤審はある。誤審のせいにする奴は絶対トップになれないと書きました。
その結果負けたとすれば、
誤審があっても勝てるように努力することで克服できるのです。
そういうことを分かって欲しいと思います。
例えば、レギュラーと補欠の境目にいる選手を落とさなければいけないとしたら、
監督は実に悩むものなのです。
しかし、そういう悩みを理解せず、
被害者意識だけが独り歩きするのは悲しい。
もし補欠に落ちたとすれば、そこに何か原因があるはずなのです。

落ちない人間と落ちる人間の差はどこにあるのか?
不満を言うのではなく、
それを謙虚に受け止め自分の中で咀嚼出来れば、
人間としての成長はむしろ落とされなかった時より大きくなるでしょう。
我が家の奥様も、
タツタがBチームに入った時、若干ショックを受けていました。
男性より女性の方がショックを受けるようです?
人によるのかもしれませんが。

少なくとも、批判や、不満では成長できないということ。
それだけは判って欲しいのですが。
今だけが良ければいいのでしょうか?
立派な大人になることが大切と思うのですが。
コメント
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