おやつ堂 のあ in 黒部・宇奈月

黒部・宇奈月のちいさな手作りお菓子屋「おやつ堂 のあ」の日々あれこれそれこれぶつくさ日記。今日は何を書こうかな***

2014-01-09 05:39:06 | おやつ堂 のあ
いつもお世話になっているストーンショップ日月さんから教えていただいた、よしもとばななさんの日記、人生のこつあれこれを読んで、ふっ、とほころんでしまった(笑)


ある特定の生き方や信条を大切にしていると、それを実践しているときの垢みたいなものがだんだんもやもやとたまってきて人生の足を引っ張るようになってくる。
だからたまに変える必要があるのだろう。
変えながら自分の人生をカスタマイズしていくのは、天から命をもらったものの義務であり、人生の意味だと思う。
そしていろんな形の人生を味わうことが大切なのだろう。
それをしているうちに、どの人生も大差ない、大差あるのは生き方だけだということがわかり、他を認めることができるようになる。他を認めるということは、やたらに包んでムリして許すことではないし、他に合わせることでも、全部受け入れることでもない。
「そういうのオレは大っ嫌いだけど、あんたが好きなら別にやっときゃいいんじゃね?オレは関係なくおやつでも食ってもう寝るわ」
ができるようになるということだ。


それが本当にできれば究極のゴールかもしれない。
人を批評したり批判したりせず、その人がその人であることを認める。
自分の物差しで、はからないことだ。

今の私の目に映る世界の人達は、自分が自分であるための模索をしている人が多い気がします。
何者かになりたくて、周りの中から飛び出たくて、薄っぺらな自信のようなものを身にまとって作り笑顔を振りまいている。

だけどいろんな時期の自分を経験して、いろんなものをそぎ落として、やがてシンプルになれたら………
簡単なことじゃないけどね
途中でゆがんだり引きこもったりもするから(笑)

どんな時期があってもいいけど、自分の内側の想い、ベクトルを揺るがさず保ち続けていたら、必要な時期に必要なことがやってくるのかも。

そう、究極はどんな人も受け入れられる柔軟さ。
自分を傷つける人も裏切る人も全て。
私はそう想ってる。

出来ない(爆笑)


前にSさんとお話していて、Sさんは昔身体を壊したことがあって、それをきっかけに健康食品の扉を開いたのだけど、その結果はポリープだったと。
Sさんは「駄目を習った」と言ってました。
真面目な方なので、駄目なものへの恐怖感がストレスになったのかもしれません。
「駄目を習った」
この言葉が印象的で引っかかるので、気をつけなきゃいけないことだと受け取りました。

そう、何を食べるかより、どんな気持ちでどんな想いで頂くか。
想いが身体を作っていることを、知らない人は多いですね。
食べたモノで身体が作られている
これは三次元的解釈。
想いが身体を作っている
これは………何次元だろ?(笑)
宇宙的解釈(笑)

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