「不思議な音の国」の著者イリーナさんは、この教本は上下巻合わせて1年以上費やさない。1曲に3回以上レッスンせずに進む、と仰っています。
昨年、この教本を3年半かけて終えた生徒が2人います。
練習をサボってというわけではなく、習得するのに時間がかかるタイプだったからです
この2人は、時間はかかりましたが基本は身に付いていると感じます。
音楽的な表現に長けているわけではありませんが、アーティキュレーションに対して無頓着なことはなく、平板な一本調子な演奏はしません。
ところが今、3年半を大きく上回る生徒が3人います。
小1から始めた小6、小5の生徒、年中から始めた小5の生徒です。
この3人は宿題の曲を家で何とか形にしてくることはまずありません。
音が読めないのかと思い、毎回手伝っていましたが一緒にやると読めていないわけでもなく··
レッスンで一緒にしたから、これでどういう曲かわかったので家で練習できるだろうと思っていると、「今週は忙しくてできなかった」ということがよくありました。もしくは「練習するのを忘れていた」と。
練習するのを忘れていた、は疑問しかない言い訳です。
ピアノを習っていたら毎回必ず練習する曲があります。このような生徒は書く宿題も絶対にしてくることはありませんので、翌週また同じものを宿題にします。
しかしそれでもしてこないことが多いので、結局レッスンの時間の中ですることになります。
書く作業は時間がかかります。特に年齢が低いお子さんはそうなので、これだけでレッスン時間の半分以上は使ってしまいます。
こうしたことの積み重ねが、ピアノを始めて5年も経つのに導入教本さえ終えることができない事態を生みます。
これだけ時間をかけたにも関わらず、最後の章に来ても、浅い音でスラーの弾き方さえ覚えることなく弾いている姿を見ると全ては無駄だったとしか思えなくなります。
ご家庭で放置され、やっつけの連続でその場しのぎで続けても、基礎は身に付かないことがこの教本を使ってよくわかるようになりました。
やろうとして時間がかかった3年半は意味がありますが、練習をサボり続けた5年は意味がないです。
練習してこられなかった言い訳に「お兄ちゃんが剣道があったから」と言われたり、レッスンで必要な楽譜を何かしら家に置いてきたり、空の鞄だけ持ってきたり、無断欠席するご家庭があったり··
これは趣味の習い事だとしても、「学ぶ」ということをご家庭で考えるべきだと思います。
子どもの頃の習い事への姿勢は、大人になってからの仕事や態度に表れるのではないかと思います。
信頼されなければ仕事を任せられないし、人として付き合えない。
習い事はその事自体に成果が見られなくとも、どのように向き合ったかに意味があるのではないかと思います。