アマゾンわんわん日記 2018

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ブログを書くということ

2012年11月08日 | 人間
先日テレビで、南部の州に住む、ある少女の家に大量の石つぶてが投げつけられ、その中のひとつが少女の祖母に命中、祖母は怪我をしたというニュースをやっていました。
少女の祖母は病気療養中で、車椅子での生活をしていました。

石が投げ込まれた原因として、少女の書いているブログがあげられました。
少女はブログ上で、自分の通う学校のさまざまな問題点をとりあげて書いていました。
問題点は、クラスの中の友人関係、勉強のことなどにとどまらず、校舎の補修保全にかかわる業者の問題などにまで及んでいました。
今回の事件は、少女にブログの中で問題として取り上げられた業者の一つが、そのことに対する嫌がらせとして起こしたものらしいです。
少女の家族は、その記事にことで、脅しを受けていたとのこと。
少女の両親は、被害届を警察に届けました。

このニュースをきっかけに、私も少女のブログを読んでみました。
少女は、自分の「正しい」と思うこと、「良い」と思うことを、正直に、簡潔な文章で書き綴っていて、「この子は本当に頭の良い子なんだな」と思いました。
少女の興味は、学校内のことにとどまらず、先日の市長選挙とうとう、本当に幅広くにわたっています。

ただ、どうなんでしょう...
毎日毎日、いろいろな人の中で生活している以上、必ずしも、自分が「正しい」と思うことばかりが自分の周りで行われているわけではないということ。
自分では「納得いかないなあ」とか、「これはおもしろくないなあ」と思うようなことも山ほどあるはず。
みんな、そういう中で、ちょっとずつ我慢して生活しているはず。
そういう中で、人の失敗を「容認する」ということを人は覚えながら成長していくのではないかな?
人の「失敗」、また「間違っていること」を指摘するにしても、そのやり方があるはず。

少なくても、この少女よりずいぶん「年上の」私はそう思うんです。

彼女のブログは、友人限定とかではなく、誰でも自由に閲覧できるタイプのもの。
その中で、実名を出し、書かれたら、どうでしょう。
自分よりもかなり年下の少女に。
たとえ、その書かれた人物が、明らかに不正をしていたにしても、「やりすぎる」ということはなかったかしら。
また、学校内で解決すべき問題を、世界中の誰もが閲覧できるブログに掲載するということはどうでしょうか?

少女の正義感を、いい年のおばさんがどうこう言うこと自体、大人気ないかもしれませんが、この少女が今回の事件をきっかけに「英雄視」されていることについて、正直なところ疑問を感じずに入られません。
ブログに自分の意見を書くということは、それを多くの人が読むということを前提としたもののはず。
自分の「意見の垂れ流し」。
読んでくれる人の中には共感してくれる人もいるでしょうが、もちろん反対の考えの人もいるということを、書く側はきちんと理解しておかなくてはなりません。
人のことについて書く、また映像を掲載するということは、時として他人に不利益を与える場合があるということも、よく承知しておかなくてはならないと思います。

書くことによって、自分は満足します。
でも、そのことで他人を傷つけたり、家族を危険な目にあわせる場合があるということを、「書く側」としていつも心にとめておきたいと思っています。
コメント (2)
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