今朝ほど娘は無事にブラジリアに戻りました。
帰りは成田ーアトランターブラジリアと言う便だったので、なんだかすごく早く帰ってきたような気がします。
本人は「大変だった~、疲れた~」と言っておりましたが。
荷物も今回は開かれることなく、無事に通過したようです。
私も最近知ったことなのですが、ブラジリア空港は民営化された空港なのだそうで、イミグレーションも(まあ、これは、娘がブラジル人だからそうなのでしょうが)あっという間に通過、荷物もあっというまに出てきたそうで、「これからイミグレーションだよ~」って電話があってから20分後に電話したら、すでにタクシーに乗っていました。
空港の民営化は現在ブラジル国内で進んでいます。
そうしたら、もっといろいろ便利になるのかな?
さて、娘の滞在中、日本の皆様には大変お世話になりました。
今回は娘は一人であちこち行ったようで、とても楽しかったようです。
渋谷だって言うけど、母には宇都宮ユニオン通りにしか見えない…
特に、最後の「Yちゃんとの渋谷デート!!」
憧れの「ハチ公くんと!」
これは娘がとっても楽しみにしていたこと。
Yちゃんとはこんなに小さい頃からのお友達です。
初めてあったのは、4歳の頃。
出逢って3日目ぐらいのとき。一緒にカーナバルに行きました。
この写真を撮った直後、我が家は夫がレシフェに単身赴任し、母子家庭。
Yちゃんのお宅は、お父さんが報道関係のお仕事で、出張が多いので普段はお父さんがいない日が多くありました。
ご近所に住んでいたのと、その頃Yちゃんママは2番目のお子さんの出産間際と言うことがあり、Yちゃんと娘は一緒にすごすことが多かったのです。
一番印象に残っているのは、マナウスへの引越しのとき。
荷物の関係で娘より一足先にマナウスに来なくてはならなかった私。
娘はリオのYちゃん宅でお泊り。
マナウスの家が落ち着いたら一人で飛行機に乗せてもらおう…
と思っていたら、Yちゃんママ「うちの子も一緒に行かせよう!」
これは、本当に涙が出るほどうれしかった!
正直、7歳の子供を一人で漉させるのは忍びない、でも、迎えだけに行くにはいろいろ大変でしたから。
かくして、娘とYちゃんは7歳児子供旅。
ブラジリアあたりで緊張からかおなかが痛くなってきた二人。
Yちゃんママ、そんなときのことを見越して、子供達に「おなかが痛くなってきたら、これを開きなさいね」って包みを渡したんですって。
二人で開いてみると…
「もう半分来ましたよ。このお薬を食べると、あと半分がんばれるよ」って書いた手紙と「小さなお菓子」が入っていたんですって。
あれから10年経ちますが、このときのことは忘れられません。
Yちゃんがブラジルから日本へ帰っても、娘は日本に帰るたびに、機会を作ってはあっていました。
Yちゃんパパの赴任先、北海道。
娘は10歳?福島空港から札幌まで飛行機一人旅。
いつもべったりではありませんが、折を見て連絡を取っていたようです。
というわけで、10年たった娘達、こんなに大きくなりました!
どんなに大きくなっても、二人、顔が変わっていないんですけど~。
Yちゃんは現在カナダの高校で勉強中。
二人とも夢に向かってがんばって欲しいです。
娘の日本の旅の締めは…
空港 不二家のパフェ。
うちの実家の慣習です!
日本でお世話になった皆様、本当にありがとうございました。
また日本に行けるように、がんばって勉強しろよ、娘!
帰りは成田ーアトランターブラジリアと言う便だったので、なんだかすごく早く帰ってきたような気がします。
本人は「大変だった~、疲れた~」と言っておりましたが。
荷物も今回は開かれることなく、無事に通過したようです。
私も最近知ったことなのですが、ブラジリア空港は民営化された空港なのだそうで、イミグレーションも(まあ、これは、娘がブラジル人だからそうなのでしょうが)あっという間に通過、荷物もあっというまに出てきたそうで、「これからイミグレーションだよ~」って電話があってから20分後に電話したら、すでにタクシーに乗っていました。
空港の民営化は現在ブラジル国内で進んでいます。
そうしたら、もっといろいろ便利になるのかな?
さて、娘の滞在中、日本の皆様には大変お世話になりました。
今回は娘は一人であちこち行ったようで、とても楽しかったようです。
渋谷だって言うけど、母には宇都宮ユニオン通りにしか見えない…
特に、最後の「Yちゃんとの渋谷デート!!」
憧れの「ハチ公くんと!」
これは娘がとっても楽しみにしていたこと。
Yちゃんとはこんなに小さい頃からのお友達です。
初めてあったのは、4歳の頃。
出逢って3日目ぐらいのとき。一緒にカーナバルに行きました。
この写真を撮った直後、我が家は夫がレシフェに単身赴任し、母子家庭。
Yちゃんのお宅は、お父さんが報道関係のお仕事で、出張が多いので普段はお父さんがいない日が多くありました。
ご近所に住んでいたのと、その頃Yちゃんママは2番目のお子さんの出産間際と言うことがあり、Yちゃんと娘は一緒にすごすことが多かったのです。
一番印象に残っているのは、マナウスへの引越しのとき。
荷物の関係で娘より一足先にマナウスに来なくてはならなかった私。
娘はリオのYちゃん宅でお泊り。
マナウスの家が落ち着いたら一人で飛行機に乗せてもらおう…
と思っていたら、Yちゃんママ「うちの子も一緒に行かせよう!」
これは、本当に涙が出るほどうれしかった!
正直、7歳の子供を一人で漉させるのは忍びない、でも、迎えだけに行くにはいろいろ大変でしたから。
かくして、娘とYちゃんは7歳児子供旅。
ブラジリアあたりで緊張からかおなかが痛くなってきた二人。
Yちゃんママ、そんなときのことを見越して、子供達に「おなかが痛くなってきたら、これを開きなさいね」って包みを渡したんですって。
二人で開いてみると…
「もう半分来ましたよ。このお薬を食べると、あと半分がんばれるよ」って書いた手紙と「小さなお菓子」が入っていたんですって。
あれから10年経ちますが、このときのことは忘れられません。
Yちゃんがブラジルから日本へ帰っても、娘は日本に帰るたびに、機会を作ってはあっていました。
Yちゃんパパの赴任先、北海道。
娘は10歳?福島空港から札幌まで飛行機一人旅。
いつもべったりではありませんが、折を見て連絡を取っていたようです。
というわけで、10年たった娘達、こんなに大きくなりました!
どんなに大きくなっても、二人、顔が変わっていないんですけど~。
Yちゃんは現在カナダの高校で勉強中。
二人とも夢に向かってがんばって欲しいです。
娘の日本の旅の締めは…
空港 不二家のパフェ。
うちの実家の慣習です!
日本でお世話になった皆様、本当にありがとうございました。
また日本に行けるように、がんばって勉強しろよ、娘!