今日は、ブラジルの絵本。
「ばあちゃん こっち来て遊ぼう!」
娘がまだリオの幼稚園に通っていた頃に、幼稚園の絵本フェアで買ったものです。
娘をお迎えに行ったときに、たまたまのぞいた絵本フェアで見つけました。
そのときに持ち合わせのお金が無かったので、「お願い、すぐにお金持ってくるからとっておいて!」って頼んでとりおきしてもらっていたのよね。
余談ですが、リオでは幼稚園や学校でよくこうした絵本&子どもの本フェアがありますし、フラメンゴの ラルゴ ド マッシャード広場やセントロのカリオカ広場などで古本市があります。
お値段的は、普通の本屋さんより「少し安め」というぐらいですが、すでに絶版になってしまっている本や写真集が出るので、掘り出し物を見つけるのも楽しみ!
機会がありましたら、のぞいてみてください!
さてさて、話が横道にそれました。
この本の題名「BATIYAN、VEM BRINCAR!」の「BATIYAN」はれっきした日本語「ばあちゃん」のことです。
ブラジルでは、かつて日本人が入植した場所は「コロニア」と呼ばれ、その場所独特の「日本語」が話されました。
入植した人たちの故郷の言葉とブラジルポルトガル語が混じった言葉は一時「コロニア語」とも呼ばれました。
ただし、この「コロニア語」という呼び方は入植した人たちからはあまり良い感情を持たれなかったようで、現在ではほとんどこう呼ばれることは無いと思います。
この本の文章は意外にも日系の方が書いたものではなく、日系人が多く暮らす地方のブラジルの方が「日伯修好100周年」のときに書かれた物語です。
そのためか、一部に「時代的におかしいのでは?」と思うような箇所もありましたが、全体として「移民一世」の方とそれを受け継ぐお孫さんの心情をとてもよく描けているのではないかと思いました。
「絵」は日系の方が描きました。
ちょうど絵本の中の女の子と同じような立場の方です。
* * * * *
物語をちょっとだけご紹介。
物語を語るのは「まゆみ」という幼い女の子。
「まゆみ」のおじいちゃんとおばあちゃんは、大きな旅行かばんを一つと柳行李を一つだけ持って、大きな船で何日もかけて日本からブラジルにやってきました。
言葉も習慣もまったく異なるこの広大な土地で、二人は多くの人たちに支えられて、つねに愛情と感謝を心に、一生懸命に働きました。
おじいちゃんとおばあちゃんは「まゆみ」にたくさんの日本の遊びや物語を教えてくれました。
おじいちゃんとおばあちゃんの「柳行李」には、たくさんの日本のものが入っていて、まるで「宝箱」のようでした。
ある日、「まゆみ」は「柳行李」の中に、忘れられたようにひっそりと隠れていた箱を見つけ出しました。
箱を開いてみると...
そこには、美しい日本人形が入っていました。
「まゆみ」は人形を取り上げると、そっと抱きしめ、鏡に映しました。
「BATIYAN VEM BRINCAR!」
おばあちゃんを呼ぶ声を思い出し、懐かしさに涙がほほをぬらしました。
震える指で白くなった髪に触れると...もう、あのころの小さな「まゆみ」はどこにもいません。
時は、楽しかった思い出だけど残して、過ぎ去っていきました。
そんな「まゆみ」の耳に、遠くで小さな孫が呼ぶ声が聞こえてきました。
「BATIYAN VEM BRINCAR!」
* * * * *
現在でも、日系の日本語を話さない方たちでも、「BATIYAN(ばあちゃん) DITIYAN(じいちゃん)」という呼びかけだけは日本語でするという方が多くあります。
世代は移り変わりつつありますが、やはり「おじいちゃん おばあちゃん」という存在は、ファミリーをまとめる上で大きな役割があるのだということを実感します。
「ばあちゃん こっち来て遊ぼう!」
娘がまだリオの幼稚園に通っていた頃に、幼稚園の絵本フェアで買ったものです。
娘をお迎えに行ったときに、たまたまのぞいた絵本フェアで見つけました。
そのときに持ち合わせのお金が無かったので、「お願い、すぐにお金持ってくるからとっておいて!」って頼んでとりおきしてもらっていたのよね。
余談ですが、リオでは幼稚園や学校でよくこうした絵本&子どもの本フェアがありますし、フラメンゴの ラルゴ ド マッシャード広場やセントロのカリオカ広場などで古本市があります。
お値段的は、普通の本屋さんより「少し安め」というぐらいですが、すでに絶版になってしまっている本や写真集が出るので、掘り出し物を見つけるのも楽しみ!
機会がありましたら、のぞいてみてください!
さてさて、話が横道にそれました。
この本の題名「BATIYAN、VEM BRINCAR!」の「BATIYAN」はれっきした日本語「ばあちゃん」のことです。
ブラジルでは、かつて日本人が入植した場所は「コロニア」と呼ばれ、その場所独特の「日本語」が話されました。
入植した人たちの故郷の言葉とブラジルポルトガル語が混じった言葉は一時「コロニア語」とも呼ばれました。
ただし、この「コロニア語」という呼び方は入植した人たちからはあまり良い感情を持たれなかったようで、現在ではほとんどこう呼ばれることは無いと思います。
この本の文章は意外にも日系の方が書いたものではなく、日系人が多く暮らす地方のブラジルの方が「日伯修好100周年」のときに書かれた物語です。
そのためか、一部に「時代的におかしいのでは?」と思うような箇所もありましたが、全体として「移民一世」の方とそれを受け継ぐお孫さんの心情をとてもよく描けているのではないかと思いました。
「絵」は日系の方が描きました。
ちょうど絵本の中の女の子と同じような立場の方です。
* * * * *
物語をちょっとだけご紹介。
物語を語るのは「まゆみ」という幼い女の子。
「まゆみ」のおじいちゃんとおばあちゃんは、大きな旅行かばんを一つと柳行李を一つだけ持って、大きな船で何日もかけて日本からブラジルにやってきました。
言葉も習慣もまったく異なるこの広大な土地で、二人は多くの人たちに支えられて、つねに愛情と感謝を心に、一生懸命に働きました。
おじいちゃんとおばあちゃんは「まゆみ」にたくさんの日本の遊びや物語を教えてくれました。
おじいちゃんとおばあちゃんの「柳行李」には、たくさんの日本のものが入っていて、まるで「宝箱」のようでした。
ある日、「まゆみ」は「柳行李」の中に、忘れられたようにひっそりと隠れていた箱を見つけ出しました。
箱を開いてみると...
そこには、美しい日本人形が入っていました。
「まゆみ」は人形を取り上げると、そっと抱きしめ、鏡に映しました。
「BATIYAN VEM BRINCAR!」
おばあちゃんを呼ぶ声を思い出し、懐かしさに涙がほほをぬらしました。
震える指で白くなった髪に触れると...もう、あのころの小さな「まゆみ」はどこにもいません。
時は、楽しかった思い出だけど残して、過ぎ去っていきました。
そんな「まゆみ」の耳に、遠くで小さな孫が呼ぶ声が聞こえてきました。
「BATIYAN VEM BRINCAR!」
* * * * *
現在でも、日系の日本語を話さない方たちでも、「BATIYAN(ばあちゃん) DITIYAN(じいちゃん)」という呼びかけだけは日本語でするという方が多くあります。
世代は移り変わりつつありますが、やはり「おじいちゃん おばあちゃん」という存在は、ファミリーをまとめる上で大きな役割があるのだということを実感します。