橋本屋吉次郎電子日誌

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ポスト続日本100名城

2023-03-19 | お城巡り(その他)
18年くらい前のある日のこと、休日にツーリングを計画していました。
目的地として思い浮かんだのが「愛知県の城を制覇しよう!」でした。

名古屋城,犬山城,岡崎城は行ったことがあるので、あと5つくらいまわれば制覇できるかななんて思っていました。

そこで、ネットで愛知県の城を検索して見ると、思いのほか多く、なんと400以上もあるではないですか!
いやはや驚きました。

それから数年たった2007年、偶然、本屋で「日本100名城 公式 ガイドブック」(日本城郭協会,学研)を見かけ、購入しました。
最初は「ツーリングの際に寄ってみよう」「100城制覇なんて無理だろだけど、出来るだけ頑張ってみよう」なんて思っていました。

結局、10年間かかって100城制覇できましたが、
その間に、城に対する関心は、ツーリングのついでから主目的に変わって行きました。

ですから100名城制覇時には、達成感もありましたが、「終わっちゃうのか、もう一度スタンプラリーで全国を回りたいなぁ」という気持ちが湧いてきました。

そんな折も折、続日本100名城スタンプラリーが2018年に始まりました。
私にとって思いも寄らない「おかわり」でした。

途中コロナ騒ぎもありましたが、ほぼ順調にスタンプラリーをすすめることができ、残すこと5城になりました。


福島県の2城はゴールデンウィークに、長崎・佐賀県の3城は夏に、訪れる計画を今進めております。

好きこそ物の上手なれなんて諺がありますが、多くの城跡を見ているうちに徐々にその縄張りや構造、さらに歴史に興味が出て、詳しくもなってきました。

そこで、ポスト続日本100名城も考えるようになり、
ポチッちゃいました。



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大給城(おぎゅうじょう)

2023-03-11 | お城巡り(その他)
大給松平家は、松平氏の庶流にあたります。
松平親忠の次男乗元を祖とする十八松平の一つで、江戸時代には譜代大名4家が出、維新後には4家とも華族に列しました。

大給城は、地元の土豪長坂新左衛門の居館を松平信光が攻め落とし、その孫であり大給松平家の始祖である乗元と二代目の乗正が1507~1510(永正3~7)年にかけて、城郭としての体裁を整備したとされています。


アクセスは簡単です。
東海環状自動車道豊田松平ICを降りて、国道301号を岡崎方面に進みます。
1kmほど行ったところにある松平トンネルをでたところ南側に「大給城」と書かれた案内板があります。


山道を400mほど進むと、駐車場(無料)があります。
ここにバイクを置き、山道をさらに120mほど歩いて進みました。


右手に登山口がみえてきました。


登山口にはこんな注意書きがありましたが、山城の中では楽な部類ですが、装備はしっかりしておきましょう。


山道を登ります。


3分ほどで分岐点に達します。
ここから先は勾配が穏やかになります。


わかりにくいですが、堀切がありました。


現地案内板
多くの山城は城域に到達するまでの山登りが辛いのですが、ここまで8分しかかからずアクセスしやすい山城です。


虎口
左は櫓台、右は自然石に挟まれています。
大給城には巨大な自然石が至る所にころがっており、これを有効に使って築城したと思われます。


曲輪2の虎口
左側に石垣がみえます。


曲輪2


曲輪2の北側の土塁


虎口
立派な石垣がみえます。


主郭1横の曲輪


「明治天皇碑」と彫られていましたが。いわれはわかりません。


虎口で見られた石垣はまっすぐに伸び、主郭1との仕切りにもなっています。




主郭1



史蹟碑


主郭1からの抜群の眺望
さらに、左に見える物見岩に立って見ると、


遙か向こうに名古屋駅の超高層ビル群が見えます。


主郭1にあった巨石


主郭1南側虎口


曲輪2に戻り、北側に進むと、巨大な窪地があります。
これは水の手曲輪とよばれ、水を蓄える施設だったそうです。


水の手曲輪は2段つくられ、それぞれの下方には石垣が組まれています。
その姿はまさにダムです。

水源地として利用されていたと思いますが、規模があまりにも大きい!
水を満たしたらプールになります。
井戸なんかとは比べものになりません。
ひょっとしたら水を満たした状態から、一気に放水し敵兵を押し返す施設だった?
水が貴重な山城にそんな施設は無理か・・・謎は深まります。


帰路、松平乗元の墓に寄りました。



大給城は、徳川家康が関東に移封となったため、廃城となりました。

所要時間:1時間

愛知県豊田市大内町字城下
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安城古城

2023-02-03 | お城巡り(その他)
愛知県安城市の安城古城は、後に安祥城を築いたといわれる和田氏の館跡です。

安祥城祉公園から約800mでしたので徒歩で移動しました。
12分ほど西に向かうと、民家の裏に竹藪がありました。




道を隔てて神社があり、この神社が安城古城跡です。


社口社
所在地: 愛知県安城市安城町社口堂


現地案内板


境内の様子


周囲は畑でところどころ宅地になっています。


畑に比べ少し高くなっています。
城というよりは館程度だったようですが、それにしても小さいです。
おそらく、神社が設置された部分は残されたのですが、他は農地に転用されたのではないでしょうか。

1440(永享12)年、安祥城が築城されましたが、 その後の1540(天文9)年、織田氏が安祥城を攻めた時、松平軍はこの地に兵を入れて、砦として戦ったともいわれていますのでその頃はまだ支城として機能していたようです。

見学所要時間:10分



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安祥城

2023-02-01 | お城巡り(その他)
安祥城(あんじょうじょう,あんしょうじょう)は、室町時代中期、和田親平が築城しました。
1479年(文明11)、松平信光が奪取し、徳川家康の祖父にあたる松平清康まではこの城を安祥松平氏(後の徳川宗家)の本拠としていました。
やがて、松平氏が弱体化すると織田信秀に攻め落とされ、
さらに今川氏との間で攻防がおこなわれ、太原雪斎により落城させられました。


現在は、安祥城址公園として整備されています。
所在地:安城町城堀41番


本丸跡と二の丸跡が残されています。
左が本丸跡、右が二の丸跡




本丸
松平信光の息子の親忠は、城の鬼門除けとして了雲院を開創しました。
1792(寛政4本)年、本丸跡に了雲院大乗寺として移転しました。


史蹟碑


門などは新しく、当時の建築物は残っていません。


本丸や二の丸のまわりには小さな曲輪があったようです。
一応意識してか、それらしいスペースはつくられています。


土塁もあります。


このあたりにも曲輪があったようですが、県道と私有地のためそのままになっている様子です。


二の丸跡



八幡社
もともと安祥城内にあったものです。
廃城後も氏神として保護されてきました。





秋葉社


神明社




倉庫ですが外観を土塀に似せています。
なかなか良いアイデアだと思います。


土塁
近年作られたものだとおもいます。
公園と道路の間を金属製のフェンスで隔てるよりも良い印象を受けます。
ただ、管理は大変かな?


三の丸跡付近には、


安祥公民館


安城市歴史博物館
開館時間: 9:00~17:00(入館は16:30まで)
休館日: 毎週月曜日(祝日の場合は開館),年末年始
常設展観覧料:  一般200円,中学生以下無料


埋蔵文化財センター・市民ギャラリーがあり、


駐車場に困ることはありません。


ただし、三の丸の遺構は見られません。

安城市歴史博物館の常設展は安城の歴史が展示されています。
わずかではありますが、安祥城についての展示と解説VTRを見ることができます。


見学所要時間:40分



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古木江城

2022-11-05 | お城巡り(その他)
古木江城(こきえじょう)は、伊勢長島の一向宗の抑えとして永禄年間に織田信長の4番目の弟・織田彦七郎信興によって尾張国海西郡(現在の愛知県愛西市)に築かれました。


「道の駅立田ふれあいの里」に隣接する川を挟んですぐ西にある富岡神社
所在地: 愛知県愛西市森川町村仲 

村社といった趣ですが、もともとは城の鎮守として置かれたと考えられています。

クルマ数台とめられるスペースはありますが、



道が狭く舗装されていないので、クルマの運転に不慣れな方はもちろん、二輪車でもダート走行が不安な方は、道の駅に駐車して歩いて来られるのがよろしいかと思います。

富川神社から見た「道の駅立田ふれあいの里」


鳥居横に史蹟碑と案内板が置かれています。


史蹟碑


現地案内板


1570(元亀元)年、本願寺と信長との間で石山合戦が始まると、長島でも門徒勢が蜂起。
長島城を落した門徒勢は、古木江城を襲撃しました。
信興は信長や桑名城の滝川一益に援軍を要請しましたが、信長は浅井・朝倉の軍勢と延暦寺の僧兵によって大津に足止めされており(志賀の陣)、一向宗に攻められて籠城していた一益も援軍を出すことができませんでした。
孤立無縁の古木江城は落城、信興も亡くなりました。
その後、城は廃城になりました。

富川神社の鳥居と常夜灯


本殿



幟の台に使われた石でしょうか。
遺構ではないでしょうね。

神社のまわりを散策してみました。


すぐ西には川が流れています。
ここと長島の間は、現在でも木曽川、長良川とその支流が流れ込んでいる水郷地帯です。
河川が整備されていなかった当時は、多くの川が入り組んでいたと考えられます。
おそらく一向宗は、舟を使って来たのでしょう。




神社の北には蓮田があります。
このあたりは蓮根栽培が盛んなことに加えて、近年はその美しい花を観光資源として売り込んでいます。


残念ながら、訪問した時は、枯れてしまったあとでしたが。

当時、蓮田があったかどうか分かりませんが、存在していれば馬や兵の進行を足止めするのに一役かったと思います。


神社の周囲は、数段の石垣が囲んでいますが、近年土止めとして設けられたものであり、遺構はまったく見つかりませんでした。


それどころか城の範囲も不明だそうです。

ただ、現地を見渡して、水田の範囲は城跡で、蓮田は城外だったのかもしれないと思いました。


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大館城

2022-08-24 | お城巡り(その他)
この日は秋田県の大館市に宿泊予定です。
心配なことに、天気予報によれば、大館付近は17:00頃から雨の予定です。
そこで、なんとか降り出す前にホテルに入り込もうと先を急いだのです。
結果、ラッキーなことに降らることなくに大館までやってこれました。

となればおまけです。
正続日本100名城には入っていませんが、宿泊するホテルの直ぐ近くだったので大館城跡に寄ってみました。


城跡は、桂城公園(けいじょうこうえん)および大館市役所になっています。




公園駐車場は無料です。


桂城公園の名は、大館城の別名ある桂城(かつらじょう)に由来しています。


公園北側にある東屋


この東屋から市街が一望できます。


野外ステージ
これは城と関係ありませんね。


トイレ
城跡を意識したデザインです。


西門跡
赤い橋は、すぐ横の国道7号線の歩道橋です。


国道7号線
おそらく堀だったんじゃないでしょうか。


国道の反対側には秋田県博物館がありました。
この建物も城を意識しているのかな。


公園南側には堀と


土塁が残っています。


大手門跡


復元図(現地案内板)


大館市役所
おしゃれな建物に合わせて、手前にある堀跡もおしゃれになっています。



所要時間:15分


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菩提山城(ぼだいさんじょう)

2022-06-11 | お城巡り(その他)
竹中氏陣屋を後にして、菩提山城(ぼだいさんじょう)に向かいました。


菩提山城は、竹中重元(半兵衛重治の父)が岩手弾正を滅ぼした後、竹中氏の居城として新たに築城しました。
重元・重治・重門の3代にわたり使用され、重門が麓の竹中氏陣屋に居を移したことで廃城となりました。


登城路は4コースあり、いずれもハイキングコースとして整備されています。
今回は菩提入口から登城することにしました。

竹中氏陣屋からはバイクで1km、3分くらいです。
菩提入り口には車数台置けるスペースがあります。


これとは別に、熊を見かけたという表示もあり、気を引き締めます。
もちろん、熊鈴も着用します。




鳥居をくぐり、


お堂と


祠を通り過ぎると、


階段状の登山路が続きます。
心肺も脚の疲れも半端ないです。


しばし休憩


ようやく平坦路になったと思いきや、


再び階段路に変わり、
城跡まで階段地獄は続きました。


へろへろになりながらも城跡に到着しました。
ここまで、50分かかりました。


堀切


土橋


山頂部が見えてきました。
ところで、どうやって登るの?


正解は堀切の底を進みます。
しかし、大手曲輪と二の曲輪に左右を挟まれています。


大手曲輪


さらに堀切を登っていくと、


三の曲輪


台所曲輪


山頂へ


山頂部は中央に堀切があり、本曲輪と二の曲輪に分かれています。


本曲輪


本曲輪からは濃尾平野が一望できます。


双眼鏡が設置されていました。
何と無料です。


本曲輪の一段下にある腰曲輪


二の曲輪


西の曲輪

帰路は往路を引き返しました。
連続する階段でしたが、心肺は辛くありません。
ただ、還暦ジジイの脚には大きな疲れがたまってしまいました。


所要時間2時間15分でした。

帰り道、バイクに乗っていると、膝の内側がつってきました。
ここから自宅までは、1時間30分の距離でしたが、2回も停車して脚を伸ばして休憩を取らなければいけませんでした。
この後、三日ほど筋肉痛のため変な歩き方をせざるをえませんでした。



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竹中氏陣屋

2022-06-07 | お城巡り(その他)
竹中氏陣屋は、岐阜県不破郡垂井町にあった江戸時代の陣屋です。
安土桃山時代には岩手城と呼ばれていましたが、江戸時代に竹中氏が旗本(交代寄合)身分に留まったため、城は陣屋と呼ばれるようになりました。

垂井町は羽柴秀吉の軍師であった「竹中半兵衛公のふるさと」として売り出しています。
JR垂井駅前ロータリーに鎮座する竹中半兵衛重治像


陣屋近くには、無料の観光駐車場が用意されています。


櫓門が残されています。


楼門横にも竹中半兵衛重治像が置かれ、


現地案内板も、


ただし、重治の時代までは山城である菩提山城を使用していました。
重治の没後、子である竹中重門の時代に、麓に岩手城(竹中氏陣屋)が築かれました。


現在、跡地の南半分は岩手小学校となっています。


まわりは、水堀と石垣に囲まれています。


綺麗に保存されています。


一方、北側は民有地になっているようで、


少し荒れているのが心配です。



菁莪(せいが)記念館
所在地: 岐阜県不破郡垂井町岩手608-2
開館時間: 9:00~17:00
休館日: 火曜日


天保年間に建てられた道場です。


陣屋の復元予想模型や竹中家にまつわる史料が展示されていました。

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西高木家陣屋

2022-05-22 | お城巡り(その他)
江戸時代の身分制度は複雑であり、なかには例外的なものや特殊なものも存在していました。
殿様の世界も同様で、ピンからキリまで複雑だったようです。

美濃国石津郡・多良郡を治めていた西高木家(2,300石),東高木家(1,000石),北高木家(1,000石)の三家は「美濃衆」とよばれ、旗本でしたが大名的に扱われ、公儀の役務を負い参勤交代も行っていたので、交代寄合と呼ばれていました。
三家とも少禄のため城は持てず、陣屋が置いていました。


このあたりは、鈴鹿山脈と養老山地に挟まれた山間の小さな盆地で、北は関ヶ原に続きます。


【西高木家陣屋】
西高木家陣屋跡には、上石津郷土資料館が置かれています。



大垣市上石津郷土資料館
所在地:岐阜県大垣市上石津町宮237-1
開館時間: 9:30~16:30
休館日:毎週火曜,祝祭日
入館料:一般100円,18歳未満無料

入館料100円の郷土資料館となると、高校の郷土研究部の発表程度の展示に農家の納屋で埃をかぶっていた農機具や調度品が置いてあるぐらいで、あまり期待はできないものですが、ここはよい意味で裏切られました。
郷土の歴史や自然に対しかなり詳しく展示されておりましたし、企画展も興味深いものでした。


関ヶ原の合戦の際に島津隊はこの地を通って退却したそうで、これもウリにしているようでした。


郷土資料館には上屋敷が、向かいの駐車場には下屋敷が置かれていたようです。




長屋門
1852(嘉永5)年、建造の下屋敷御門を移築しています。
この奥には明治年間建造の主屋がありましたが、公開されていませんでした。


郷土資料館の西は一段高くなっていました。


分家である東高木家と北高木家もそれぞれ小さな陣屋を建て、隣接していたようです。


陣屋入口は石垣に囲まれています。


高さはたいしたことないものの、曲線を帯びて積まれています。


埋門跡


この角度で見るとちょっと迫力があります。


【東高木家陣屋】
西高木家陣屋の東に、東高木家の陣屋がありましたが、現在は、土蔵が残されているのみです。






海鼠壁が綺麗です。



西高木家陣屋,北高木家陣屋とは伊勢街道で、隔てられていました。


当時の伊勢街道は蔵の北側に曲がっていました。


現在は行き止まりになっています。


伊勢街道
道の左が東高木家陣屋跡、右が東高木家陣屋跡、石垣は当時からのものかもしれません。



【北高木家陣屋】
写真中央の道は伊勢街道の新道です。
ここは、陣屋跡地の中央にあたります。
よって、遺構は何も見当たりませんでした。



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都之城

2022-04-15 | お城巡り(その他)
都城は、宮崎県第二の都市です。
この名の由来である都之城跡に行ってみました。


現在の城址は城山公園として整備されています。


駐車場


海軍大将 財部 彪(たからべ たけし)の銅像


大手門
2016(平成6)に建てられました。


門をくぐり、城山を登ります。


写真左が本丸、右が西城の堀切の中を通ります。
間に橋が渡されています。




本丸虎口


都城歴史資料館
所在地:宮崎県都城市都島町803
開館時間:9:30~17:00
休館日:月曜日(祝日の場合翌日が休館日)
料金:大人 210円,高校生 160円,中学生 100円,小学生 100円
(JAF割あり)


瀬戸山 三男像
国会議員を務められた方ですね。


土が持ってあるところが門の跡です。


歴史資料館から見た本丸跡


建物跡


茶室


橋を渡って西城へ


西城は、神武天皇を祭る狭野神社が建立されています。





都城は宮崎県ではありますが、島津氏の分家が治めていたこともあり、鹿児島の影響を大きく受けている印象でした。


ですから、夜は、鹿児島名物の鶏の刺身をいただきました。
九州独特の甘めのさしみ醤油も、ポン酢もどっちもイケるので、交互に試しました。


こちらは、宮崎名物地鶏の炭火焼き
見た目はイマイチですが、ゆず胡椒をつけていただくとたまりません。

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