橋本屋吉次郎電子日誌

YAMAHA SR400・マツダ デミオ・ツーリング・城廻りについて・その他

松山城(大隅国)

2022-04-13 | お城巡り(その他)
あいにくの雨で、鹿児島県の続日本100名城は、現地を歩いてまわることができませんでした。
しかし、この天気は週間予報どおりであり、想定内でした。
ですから、対応策も練ってありました。

この日は、宮崎県の都城に宿泊する予定でしたから、志布志から都城への道中にある、雨天でも見て歩ける城跡2か所に、訪れることにしました。

そのひとつが、志布志市松山町にある松山城です。

松山城は平清盛の弟、頼盛の孫である重頼によって築かれた城です。
戦国時代には島津氏や肝付氏などによって激しい戦乱の舞台となりました。

城跡に道の駅が建てられていると聞いて行って見ました。


道の駅 松山
所在地:鹿児島県志布志市松山町新橋1526-1
営業時間:09:00~18:00
定休日:毎週火曜日

城郭風の建物です。


ディキャンプできそうな広場がありましたが、城の遺跡は見当たりませんでした。





谷を挟んで隣にある運動公園に移動してみました。


体育館

このまわりなんて城跡っぽい


ここは二の丸跡のようです。



櫓の跡かな?
残念ながら通行止めになっていて、登ることはできませんでした。


ようやく見つけた遺構
堀切の跡だと思うのですが・・・

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にっぽん城まつり2022 feat.出張!お城EXPO in 愛知

2022-03-28 | お城巡り(その他)
セントレアのある中部国際空港島にやってきました。


新しくできた国際展示場に初めてやってきました。


愛知県国際展示場(Aichi Sky Expo)
所在地:愛知県常滑市セントレア5丁目10番1号

愛知県と名古屋市が協力して、大きな施設をつくる予定でしたが、子どもみたいな知事ともっと子どもっぽい市長ですから当然計画は頓挫、県独自で建設した経緯があります。


二輪車用駐輪場も整備されていましたが、仲間はアフリカツイン1台のみでした。

この日で開催されていたのが、
にっぽん城まつり2022 feat.出張!お城EXPO in 愛知
です。


けっこうな人出

城郭関連団体のブース、ジオラマやパネルの展示、グッズ販売のほか、今年は東海三県のグルメや地酒、お土産が集う「東海三県逸品楽市」、参加型のワークショップや学芸員さんのお城話が楽しめる「城熱(じょうねつ)ワークショップ」などのプログラムがありました。


全国の御城印の販売や


お城のふわふわもありました。

キッチンカーも出ていましたが、地元の名物とは限らず・・・
私はガバオライスを注文


城郭の説明などの博物館的な要素は、基本的なものに留まっていました。
逆に愛知の城のブースでは、一般的には名が知られていないところも市町村がここぞとばかりにPR、同時に特産物の販売も行っていました。
産学官でいえば、産と官の色が強いイベントでした。

まぁ、それはそれで良いのですが、入場料が2,000円(当日・一般)というのはねぇ。
これだけの施設を借りているのですから、無料というわけにはいかないのはわかりますが、ちょっと高くないですかねぇ。


小和田哲男日本城郭協会会長 と れきしクンこと長谷川 ヨシテル氏による対談
愛知県における三大合戦(桶狭間の戦い,長篠・設楽原の戦い,小牧長久手の戦い)を新しい観点で解説
これは面白かったです。

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カテゴリーの変更

2021-12-30 | お城巡り(その他)
このブログのカテゴリー「お城巡り」が増えすぎて、ごちゃごちゃしていたので、

お城巡り(日本100名城)
お城巡り(続日本100名城)
お城巡り(その他)

に分けて整理しました。

自宅の大掃除は進んでないのに・・・・
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龍野城

2021-12-15 | お城巡り(その他)
1499(明応8)年、赤松氏は、龍野に鶏籠山城(龍野古城)を築きました。
1577(天正5)年、開城して豊臣秀吉の手に渡り、播磨平定後、秀吉は蜂須賀正勝を置きました。
1658(万治元)年には、破却されたが、1672(寛文12)年に脇坂安政によって龍野城が再建されました。
この際山頂の郭は放棄され、山麓居館部のみの陣屋形式の城郭となりました。


龍野城に向かう道
左は検察庁、右はこども園ですが、土壁も建物も景観に合わせてあります。


埋門


右の坂道を登っていくと


歴史文化資料館の駐車場があります。


たつの市立龍野歴史文化資料館
所在地:兵庫県たつの市龍野町上霞城128-3
開館時間:9:00~17:00
休館日:毎週月曜


本丸御殿
1979(昭和54)年に再建されました。




内部も見学できます。


上段の間








隅櫓




西門


鶏籠山城(龍野古城)への登り口
約1時間のウォーキングコースとして整備されていましたが、前日の有子山登山で脚がガタガタなので、今回は見送ることにしました。


御殿東の庭園は、紅葉がきれいでした。


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明智城

2021-11-23 | お城巡り(その他)
明智光秀出生の地といわれている明智城へいってきました。
所在地:岐阜県可児市瀬田長山


ナビ任せでバイクを走らせてたら、二の丸隣の駐車場(南側・団地側)に着きました。
しかし、こちらの駐車場は2~3台分しかスペースがありません。

それに対して、北側・東栄寺光蓮寺側は10台分の無料駐車場があり、大手門から登って一筆書きで回れるのでお薦めです。


左が駐車場、真ん中は大手門に向かう登城口、右は光蓮寺へ向かう道です。



駐車場脇には案内板の他、パンフレットも置かれていました。


大手道をいざ出立!



大手門


大手道は「桔梗(ききょう)坂」とよばれる石畳の坂道です。


中の丸


二の丸
南側(団地側)の駐車場はこの脇にあります。


七ツ塚
1556(弘治2)年に斎藤義龍に攻められ、明智城は落城します。
その時に亡くなった明智方の武将を葬った七つの塚です。。


馬場跡


逆茂木


馬防柵


西出丸曲輪


本丸


明智光秀像
かっこいいです。


大河ドラマで取り上げてもらったため作ることができたのでしょうね。
昨年は、この近くに大河ドラマ館もつくられて、大変な人手だったようです。
残念ながら、コロナ禍のため、訪れることができませんでしたが・・・


展望台


明智荘が一望できます。


十兵衛坂
本丸から、搦め手門に向かう坂道は十兵衛坂と名付けられています。


台所曲輪


水の手曲輪


二重の竪堀


東大手曲輪の虎口


六親眷属幽魂塔
明智一族の供養塔
逆賊の汚名を着せられたため、明智氏は隠れるようにしてしか供養できなかった時代が長く続いたそうです。


乾曲輪ここには見張り台があったそうですが、


今は樹木が生い茂って何も見えません。


切り岸
人工的に作った崖


搦め手門跡


所要時間1時間5分

明智城は山城ですが、広い駐車場があり、一筆書きで回ることができます。
1時間程度のほどよいウォーキングであり、空堀や切り岸、虎口といった基本構造が残っていますし、逆茂木や馬防柵も復元されています。
案内板も整備されており、山城の入門に適しているように思いました。




おまけ
登城前に昼食で寄りました。


麺屋 もり田
所在地:岐阜県可児市中恵土2322-6
営業時間:11:00~14:00,17:00~21:30
定休日:火曜日

魚介だしのきいた濃厚なスープでストレート麺とよく絡んで美味しいラーメンでした。
メンマ、チャーシューも美味しかったですし、接客も好感が持てました。



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福島城(越後国)

2021-11-08 | お城巡り(その他)
上越の旅の2日目

本日の目的は、昨日は雨のためパスした鮫ケ尾城です。
ただ、続日本100名城のスタンプが置いてある斐太歴史の里総合案内所は、午前9時にならないと開かないので、その前にもう1箇所、城跡を見に行くことにしました。

上杉景勝が米沢に移封された後に、上越を治めたのが堀秀治です。
1607(慶長12)年に秀治の死後家督を継いだ堀忠俊は春日山城を廃して、福島城へ移りました。
江戸時代になり、不便な山城ではなく、城下町を構えた平城の方が適するようになったのでしょうね。

1614(慶長19)年には、堀忠俊の改易後に越後の領地を継承した松平忠輝によって高田城を築城され、これにより福島城はわずか7年で廃城となりました。


現在、福島城跡には上越市立古城小学校が建っています。
所在地:新潟県上越市港町2丁目16-1
実は、前日、高田城三階櫓での解説を聞いて知ったのですが・・・。


城址の小学校名が「古城小学校」なんていい響きですね。


ところが、2022年4月に直江津小に編入統合されるそうです。
なんでも、児童数が少ないからだそうですが、上越市内で直江津港近くですが、そんなことあるのですね。

この学校、校門はありますが、門扉はありません。
そこで、日曜日の早朝と言うこともあり、ちょっくら足を踏み入れさせていただきました。


校庭脇にある福島城跡


史跡碑


けっこう立派な城ですね。
高田城に移転した理由は、松平忠輝が「波の音がうるさくて、眠れない。」とわがままを言ったためという説がありますが、
案外「俺も他の兄弟と同じようなデカい城がイイ!」と思ったんじゃないでしょうか?



このあたりが大手門だったみたいですが、当時の遺構は残っていません。


まあ、これは城で使われていた石だと思いますが・・・


この遊具の石は?

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霞城

2021-10-29 | お城巡り(その他)
10月とは思えない寒い日でした。
気圧配置も季節外れの冬型であり、太平洋側は好天ですが、日本側は崩れていました。
長野自動車道を北上すると、だんだん雲行きが怪しくなってきました。
ただ、長野市あたりは降り出す秒読み段階といった感じだったので、なんとかいけると思い霞城へ寄ることにしました。

霞城は、長野市松代町大室にあります。
長野インターからは4km、クルマで8分くらいです。

永福寺にクルマを駐めることができますが、大室の集落は道が狭い上にわかりにくいです。
高井大室神社の鳥居前の道を入って行き、案内板でしたがって曲がれば着きます。


永福寺前の駐車場
所在地:長野県長野市松代町大室157

5台くらい駐められます。
なお、永福寺は現在、無人のお寺だそうです。

なお、次のページに詳しいトレッキングガイド・マップがありますので、参考にされるよいでしょう。
https://nagano-yamajiro.com/trekking/kasumi/


「霞城址」方向に進みます。


永福寺登山口


クマ出没注意
私は熊鈴を着けました。


このような山道を登っていきます。


足を滑らしたら怖いような箇所には、ロープが張ってあります。
濡れていると滑りやすそうです。


准胝観音(じゅんていかんのん)
岩肌に木造が置かれています。
もともと3体あったそうですが、現在では1体しかありません。
しかも、案内板や祠がなければ、観音様だとはわからないくらいに風化していました。


古墳館の方向に進みます。
ここから先は、割となだらかです。


永福寺登山口からの道と石門登山口からの道の合流点を過ぎると、


堀切の表示がありました。
ただ、落ち葉に埋もれてわかりにくいです。


石垣が見えてきました。
小ぶりな石が敷き詰めてあります。




二郭

奥が一段高くなっています。


本郭






登山口から、15分程度でした。

現地案内板




霞城は小笠原氏、後に地名用いて改名した大室氏の居城でした。
武田、上杉と使えてきましたが、上杉景勝の会津移封に従ったため、廃城となりました。


本郭からは上信越道が見えました。

本郭の搦め手口だと思います。




二郭から見た本郭


三郭


帰路は石門登山口方面に向かうつもりでした。



しかし、落ち葉で、どこが道かわからない状態です。
スマホをクルマの中に置き忘れてきたこともあり、ここは断念して、来た道を降りることにしました。
帰り道の途中、ぽつりぽつりと雨が降り出しました。

なお、霞城の由来ですが、敵が攻めてくると霞がかかり、攻め難かったことから名づけられたという説があります。 
同じような逸話は丸岡城岩村城にもあります。

登城後、須坂長野東IC近くのそば屋で昼食


霧蕎麦(十割蕎麦)の天ざる


手打ちそば処小杉 須坂インター店
所在地:長野県須坂市福島412−1
営業時間: 11:00 ~L.O.14:00
定休日:金曜日


どうせインター近くのチェーン店とタカをくくっていましたが、
お見それいたしました。
蕎麦の香りが鼻腔をくすぐる絶品でした。

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前田城

2021-09-28 | お城巡り(その他)
前田利家の出生地については、荒子城で生まれ育ったという説と
前田城で生まれ7歳の時、荒子城に移ったという説があります。

荒子城跡から西に向かって、バイクで15分、庄内川を越えたところある前田城跡へやってきました。


現在は前田速念寺となっています。
所在地:愛知県名古屋市中川区前田西町1-904


参拝者用駐車場に駐めさせてもらいました。


山門前には前田城跡の碑


立派な山門


無量寿堂


本堂
なんと屋根は、利家の兜を模したものです。
かっこいい!


横から見た本堂屋根


旧前田村碑
この地が前田利家出生の地であることが書かれています。
とはいえ、大正8年に設立されたものです。


その隣の石碑はよくわかりませんでした。


サンスクリット語で書かれた無量寿経の一節だそうです。


前田与十郎之墓




前田氏は織田信長に属し、西に蟹江城、東に荒子城、南に一色城、等を支配し、前田城はその中心でした。
1584(天正12)年、小牧長久手の戦いの際、前田城は秀吉方についたため、家康方の攻撃を受け落城、城主前田与十郎は蟹江合戦で討死してしまいます。
その子長種は北陸にのがれて利家に仕え、一万石(のちに二万石)を得て、利家の長女幸(こう)を妻としました。
利家の叔父前田利則は、出家して意休と号し、浄土真宗速念寺初代となり、速念寺は前田氏の鎮魂の寺となりました。


西側のようす
右が前田速念寺、左(西側)は名古屋市立長須賀小学校、奥(北側)は円盛寺
昔の集落のあとなので。道は曲がって狭いです。

残念ながら、前田城の遺構は残っていませんでした。

山門から東を眺めたようす。
奥に見える緑色は、庄内川の西岸堤防です。

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荒子城

2021-09-25 | お城巡り(その他)
暑い日が続いていたので、家の中でだらだらしていました。
感染症拡大防止のため、不要不急の外出は自粛しておりました。

少しずつ暑さもやわらいできたため、
新型コロナウイルス新規感染者数も減ってきたため、再び城めぐりをおこないたいとおもいます。

とはいえ、まだまだ日中は暑いので、
      非常事態宣言中なので、近場から始めます。

ということで、今回は前田利家出生の城といわれる前田城へ訪れました。

公共交通機関利用の場合、前田城の最寄り駅は、あおなみ線(名古屋臨海高速鉄道)南荒子駅になると思いますが、ひとつ名古屋駅よりの荒子駅で降りることをお薦めします。



駅前ロータリーに「前田利家公初陣之像」がおかれているからです。
なお、左の少女は後に妻となる「まつ」です。


また、自家用車で訪れる場合、道が細く入りくんでいてわかりにくい上、周辺は駐車禁止になっているので、荒子観音(浄海山圓龍院観音寺)に駐車して徒歩で訪れるのがよろしいかと思います。


現在、城址には富士権現社・天満天神宮がおかれています。
所在地:愛知県名古屋市中川区荒子4丁目208-1


現地案内板


神社の由緒記


ごくふつうの町内・集落にある「お宮さん」といった風情の境内


手水舎


拝殿

狛犬


ただ、境内の脇に前田利家卿生誕之遺址がおかれています。


その脇には案内板が設置されました。


周囲は住宅地で遺構は残っていません。


隣は権現公園



2段の石垣に囲まれていますが、神社設立の時に作られたもので当時のものではないようです。

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沓掛城

2021-03-14 | お城巡り(その他)
永禄3年5月18日(1560年6月11日)すなわち桶狭間の合戦の前夜、今川義元は前日に沓掛城に入り、(結果的に)最後の軍議を開いたのでした。


現在は沓掛城址公園として整備されています。


沓掛城址公園
所在地: 愛知県豊明市沓掛町東本郷


10台くらいは駐められそうな駐車場があります。
かつては、ここに侍屋敷がありました。


隣接する広場も侍屋敷跡です。


現地案内板


縄張り図


現在の公園案内図
 

案内板の向かいにも解説した碑がありました。


本丸木橋


本丸北側の堀




本丸


井戸



大手門側


案内板


二の丸


本丸と諏訪曲輪を結ぶ木橋

本丸・西側空堀



右手に見える白壁は隣接する慈光寺のものです。


諏訪曲輪


見学時間15分


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