3月にミラーレス一眼を購入して以来、うれしくてコレばかり使って
すっかり、出番のなくなったコンデジ
しかしながら、冷静になって考えてみると、いかに小さいとはいえ、レンズを含めると厚みは2倍以上あり、携帯性はコンデジの圧勝。
したがって、これからは両者を使い分けていくのが吉ですね。
先日の出張では、かさばらないコンデジをもっていたのですが、そのとき気づいた撮りっぱなしの写真です。
7月7日(土)に半田赤レンガ建物の内部公開があり行ってきたのでした。
当日はあいにくの雨天であり、お気に入りの一眼を濡らすのが気が引けたので、コンデジを使ったのでした。
5月17日に当ブログでも紹介しましたが、この建物はビール工場として1898年(明治31年)作られたものです。
外壁も部屋を仕切る壁も随分厚く作られており、梅雨時特有の蒸し暑い日だったにもかかわらず、内部はさわやかでした。
明治時代に、キリン・アサヒ・サッポロ・エビスといった大都市をひかえた既存四大ビールメーカー(サントリーがビールをつくるようになったのはもっと後の話です)に挑戦した一地方都市のビール会社がありました。
それカブトビールです。
2005年、このビールを復刻することに成功し、以来、公開日などには販売されているのです。
で、ここから先、このビールのことで頭がいっぱいになってしまい、写真も取り忘れ、気がついたら、家に帰って、母やヨメと乾杯していました。
ということで、写真はありません。
おぼろげな記憶をたどると350mlで500円
黒ビールのように黒く、スタウトビールのようにコクがありました。
あっそうそう
7/28(土),29(日)は生ビールが飲めるそうですよ・・・・・って明日じゃん。
わたしゃ終日炎天下でお仕事のため、いけません。
残念。
愛知県にも、あじさい寺があります。
大塚山性海寺
愛知県稲沢市大塚南1丁目
落ち着いた名刹の
周りを取り囲むように、歴史公園が作られています。
ここには90種1万株のあじさいが植えられているそうです。
ほらね
古墳にも植えられています。
へたなコメントはひかえますので、しばしご鑑賞ください。
色も形もいろいろ、ずいぶん品種があるようです。
昨日は午後から出張でした。
台風崩れの低気圧による大雨を覚悟していましたが、思いのほか通過が早く、梅雨の中休みとなりました。
出張も早く終わったので、ちょっと寄り道してみました。
梅雨の中休みには「アンコール型」と「リハーサル型」があるそうです。
初夏のさわやかさに似た陽気になるのが前者、そして後者は真夏並みの暑さで湿度も高くなるそうです。
(以上、行く途中に聞いたラジオの請負です。)
この日はやや風は強いけど、アンコール型でした。
帰宅すると大きな封筒が届いていました。
はて?ダイレクトメールにしては地味な・・・
と、差出人を確認すると
「なるほどTHE武将博」の賞品が送られてきたようです。
【なるほどTHE武将博とは】
愛知県が昨年8月1日から本年2月29日まで行っている、県内各地の名勝や史跡を巡るスタンプラリーです。
テーマごとに10コース設けられています。
各コースに6カ所スタンプポイントが設置されています。
集めたスタンプに応じて抽選で賞品を進呈されます。
↑このようにブログで紹介していました。
「なるほどTHE武将博」で検索すると1ページ目にこのブログがHITするぐらいですから、けっこうPRに貢献しているとおもいます。
したがって、当選して当然で、
「気の弱い知事が卒倒しないように、愛知県政のために、ありがたくもらっといてやる」と某芥川賞受賞者のようなことは・・・
決して申しません。
賞品は手ぬぐいです。
あいち戦国姫隊オリジナルです。
あいち戦国姫隊とは、愛知県が観光PRするために戦国時代の美女6人に扮したおねえさん達のユニットです。
メンバーは、
市(信長の妹),吉乃(信長の愛妾),於大(家康の生母),おね(秀吉の正室),まつ(前田利家の正室),江(昨年の大河ドラマの主人公)
で、手ぬぐいに名前が染められています。
各家の紋も染められています。
ひとしきり喜んでみたところで、冷静になって考えてみました。
手ぬぐいって使うだろうか?
「帯に短し襷に長し」ならむ、「タオルより小さく、ハンカチより大きい」ので使いにくいです。
埃よけに頭に被るには、ちょうど良いサイズなんですが、おっさんが姉さんかぶりするのも・・・
ということで、母にプレゼントしました。
「葵のご紋がのっている」といって喜んでもらいました。
昨日行われた、高校野球愛知大会決勝で愛工大名電を破り、至学館高校が初の
甲子園出場を決めました。
これが今、愛知県で話題となっています。
至学館高校という名は愛知県民でもなじみの薄いものですが、もと中京女子大
学付属高校、すなわちレスリングの吉田沙保里や伊調姉妹を輩出した中京女子
大学(現 至学館大学)の附属高校といえばわかりやすいと思います。
旧名でわかるように元々は女子校でしたが、6年前に男女共学になり校名変更
となりました。
したがって、創部6年目の快挙なのです。
ただ、このプロフィールから、
「私学だから金にものを言わせ、優秀な選手をかき集め、専用グランドで練習
しとるんじゃないの?」
なんて、勘ぐりたくなりますが、そうではないようです。
創部当時、たった6人の同好会で始まった野球部で、
未だに専用練習場を持たないどころか、グラウンドは中学との共用のため、練
習できるのは週1日だそうです。
休日に他校へ練習し会いに行き、その際、守備練習を行うように努めていたそ
うです。
これといったスター選手はいませんが、それぞれの持てる力を精一杯に出し尽
くしてプレイをしている姿は高校野球の原点を見ているようでした。
さらに、この高校の校歌が画期的です。
一番高い所に登って 一番光る星を掴んだ
一番辛い道を選んで 一番強い心をまとった
海を渡る風が吹いた カシオペアが近くに見えた
夢を追い続けた そしてここまで来た
でもどうしてかな 熱い涙が止まらない
うつむきかけた時 君の顔が見えた
差し出された白い腕が 翼に見えた
どうですか?まるでJ-POPのようでしょ?
本大会での活躍が楽しみです。
母とともに名古屋市博物館へ行き、
甚目寺観音展を見に行きました。
鳳凰山甚目寺(通称 甚目寺観音)は尾張四観音の一つで、名古屋市に隣接し
た「あま市」にあります。
甚目寺は何度か訪れたことはありますが、普段は目に触れることのできない仏像や資料
が見られると思い、足を運んだ次第です。
予想以上の多くの仏像・資料を見ることをでき大満足ですが、残念ながら写真
に撮ることはできませんでした。
せっかくですから、帰路、甚目寺に寄ってみました。
仁王門
当然ながら、仁王様は名古屋市博物館に出張中なのでお留守です。
なお、福島正則の寄進と伝えられていましたが、今回の修復でその旨の記述が
新たに発見されました。
秋葉堂
秋葉三尺大権現が本尊です。
本山の遠州大登山秋葉寺は神仏分離・廃仏毀釈によって、明治6年(1873年)
廃寺に追い込まれ、秋葉神社に強制的に改組されています。
三重塔
愛染明王が祀られていますが、その内部に球形の容器に収められて「胎内像」
が今年になり見つかりました。
名古屋市博物館で「最初で最後の展示」と銘打って公開されていましたが、作
られた鎌倉時代の色彩がそのまま残っている見事なものでした。
縁結びと耳に遠い人に御利益があるそうです。
柄杓を奉納するのが流儀のようです。
弘法堂
明王堂
本堂
伝承によれば、597年、伊勢国の漁師が網にかかった黄金の観音像を発見した
のが始まりだそうです。
この観音像は仏像の内部に安置されており、今回も拝見することはできませんでし
た。
釈迦堂
四国八十八カ所霊場巡り
六角堂
十王堂
十王とは死後の審判をおこなう地獄の十人の裁判官です。
閻魔王しか知りませんでした。
この十王も名古屋市博物館に展示されていました。
鐘楼
不動堂
東門
名古屋に向かう方角であり、門前町が連なっております。
昨年までこの地は、この寺の名を取って愛知県海部郡甚目寺町とよばれていまし
た。
しかし、周辺の2町と合併し、「あま市」と名乗るようになりました。
読みやすくなったのはいいですが、歴史ある名が消えるのは残念な気もしまし
た。
日曜もなみだ雨。こんな日は天気が良くなったときのことを考え、家族サービスが肝要です。
まず、午前中、一瞬雨がやんだところで、娘の借りたCDをバイクで返しに行きます。
本日の走行距離6km
午後から一家総出で名古屋市美術館の「視覚の魔術 - だまし絵」展を見に行くことにしました。
おりよく9時より教育NHK「日曜美術館」で「だまされて“見える”錯視芸術の快楽」を特集していたのでこれで予習して出発・・・・・したのですが。
ならんでるならんでる!雨の中、きっぴ販売所に長蛇の列、購入に1時間かかるそうです。近くのコンビニで買うという裏技を教えてもらいましたが、困難状態で鑑賞する気にもなれずパス!
予定変更して、懸案となっていた北名古屋市歴史資料館へ行くことにしました。
ことしの1月に以降としたのですが、休刊だったのでリベンジです。
http://blog.goo.ne.jp/pf11/e/c14f3fc2cc0c40d54aa9ce59030d0e07
ここは昭和の日常生活のさまざまな生活用具、玩具、風俗の収集、保存、常設展示しています。
ホーローの看板や電化製品を展示してあり施設はありますが、
こんなのや
こんなのまで展示してあるところはまず無いと思います。
これらを見て懐かしいと思われた方は、是非来名の際、お寄り下さい。
名古屋市の北隣の北名古屋市にあります(なんと入場料無料!)。
http://www.city.kitanagoya.lg.jp/tanoshimu/minzoku/
昨日、明眼院へ参拝したついでに萱津神社にも行ってきました。
この神社の御祭神は、鹿屋野比売神(かやぬひめのかみ)で「漬物の祖神」といわれています。
つまり、我が国唯一の漬け物の神様を祀っている神社なのです。
こちらが、漬け物の神様でおわせられます。
神社の奥には「香の物殿」という建物があります。
この中には実際に漬け物がつけられており、できあがった際には熱田神宮に奉納されるそうです。
香の物殿前の『漬物石』を3度撫でると、諸病平癒、厄除け、漬け物上手になるといわれています。
ちなみに、漬け物を『香の物』と呼ぶのは、日本武尊が東征の途中に萱津神社に立ち寄られた際、村人が供物で作った漬け物を献上し、霊験あらたかな漬け物の話しをしたところ、日本武尊が「藪に神物(やぶにこうのもの)」といわれたことに由来するといわれているそうです。
また、連理の榊(れんりのさかき)と呼ばれるものがあります。
これは、雌雄2本の榊が地上2メートルのところで連理となった榊の木で、萱津神社の御神木になっています。
現在は枯れて、祠の中にお祀りされています。
よって、この神社は縁結びの神様でもあり、こんな絵馬や
結婚式場もあります。
そう言えば、眼病にご利益があるお寺が新聞で紹介されたことを思い出し、ネットで調べてみました。
明眼院(みょうげんいん)は、愛知県海部郡大治町にある802年開山の天台宗の寺院で、また日本最古の眼科専門の医療施設でもあるそうです。(なお現在は、医療行為は行っていません)。
その名声は朝廷にも伝わり、1518年には朝廷の依頼を受けて、後柏原天皇の眼病を治療し、次いで1632年に後水尾天皇の皇女の眼病の治療にあたったことから、天皇の賞賛を受けて勅願寺の格式が与えられたそうです。
大名の小堀政一(遠州)や画家の円山応挙、国学者の本居春庭(宣長の嫡男)なども同院で治療を受けたとされています。
大治町役場のすぐ近くに、その寺はありました。
立派な仁王様ですが、かなり痛んでおり、牢屋にいれられているように見えます。
今となっては、寂れた寺ですが、本堂の、
菊のご紋が格式の高さを示します。
多宝塔です。
残念ながら本堂も多宝塔も中に入れません。
というか誰もいません。
裏にある庭園も荒れ果てていました。
そのなかに、あったのがこれです。
江戸時代に弾圧を受けた犬山のキリスト教徒30数人が運び込んだキリシタン灯籠です。
足の部分を十字架とマリア様に見立てた信仰の対象にしたのでしょうか。
困窮するものを見捨てられないとして密かに安置することを許して、この事は明治維新まで寺の極秘とされていたそうです。
こんな灯籠もありました。なんか曰くがあるのでしょうか。
寺の石垣塀の上には枯れ草がいっぱいでしたが、
なぜか結ばれておりました。何か宗教的な意味があるのか、子供のいたずらなのか、罠なのかわかりません。
所在地;愛知県海部郡大治町馬島北割114
今回は小五の長男と徒歩でのツーリングです。
出発は名鉄瀬戸線東大手駅です。この駅は地下にあります。
すぐ近くには名古屋拘置所があります。
旧名古屋高等裁判所は市制資料館として無料で公開されておりますのでこれを見学。
東へ進むと武家屋敷の面影が残る町並みとなります。
地名は「白壁」ですが黒壁が並びます。
マンションの塀も黒壁です。
さらに東へ進み、尾張徳川家の菩提寺である建中寺へ参拝しました。
この寺は慈悲深く採れた銀杏を袋に入れ無料で配布していましたし、境内の一部を公園として開放しています。
しかし、使う側のマナーはいまいちです。
建中寺門前の筒井町商店街は寂しい限りです。
うどん屋があったので昼食としました。
名古屋人ならやっぱりこれ!なかなかいけましたよ!
北に進路を変えしばらく歩きました。
尾張徳川家の別邸跡は徳川美術館・徳川園となっています。ここを通りました。
名古屋市内とは思えない見事な庭です。
ピラニアが少女をおそっていました。
さらに北上します。瀬戸線はいつの間にか高架になっています。
大曽根駅前商店街(OZモール)は個性的な建物をつらねていましたが人はいませんでした。
大曽根駅で名鉄にのって出発地の東大手駅へ帰りました。
5.8kmの旅でした。