楠木正成ゆかりの上赤坂城・下赤坂城・千早城を訪問してきました。
正成は河内国石川郡赤坂村(現大阪府南河内郡千早赤阪村)の出生と言われています。
出生の地とされる場所
隣接して村立郷土資料館が置かれています。
なお、日本一小さな道の駅と自称している「ちはやあかさか」も隣にあります。
少し離れた、村立中学校の裏手に
下赤坂城跡があります。
といっても、碑が建っているだけで遺構は残っていません。
このあたりは「下赤坂の棚田」とよばれており、日本の棚田百選にも選ばれております。
富田林市街が一望できました。
スカイツリーではありません。
下赤坂城の縄張りはよくわかっていません。
一説によると村役場あたりに本丸があったとされています。
役場には説明板が設置してあっただけでした。
鎌倉時代末期の1332年、楠木正成は後醍醐天皇の挙兵を聞くと下赤坂城にて挙兵し、幕府軍と戦いました(赤坂城の戦い)。
寡兵ながらも約1ヵ月間よく守りましたが、結局陥落、正成は自害・・・したことにされました。
その後、再び姿を現し、下赤坂城を取り戻したのち、舞台を上赤坂城・千早城に変え、倒幕につながる戦いを繰り返したのでした。
ということで、上赤坂城へと向かいました。
千早赤阪村立郷土資料館
大阪府南河内郡千早赤阪村大字水分266番地
千早赤阪村立中学校(この裏に下赤坂城の碑がある)
大阪府南河内郡千早赤阪村東阪25