湾岸弥富ICを朝3時半に出発です。
午前4時よりも前にのって、深夜割引を受けるのは私の常套手段ですが、
休日割引の対象であるこの日はそれが目的ではなく、欲張って多く見学地を設けてしまったためです。
7時過ぎに石垣山一夜城歴史公園に到着しました。
石垣山城は8年前に訪れたことがあります。
その時、「これだけすばらしい城跡がどうして、日本100名城に入ってないのだろう」と思いましたが、やっぱり続日本100名城に認定されましたね。
砂利敷きだった駐車場はアスファルトで整備されました。
なんと、駐車場脇に鎧塚ファームができていました。
綺麗なトイレは地元の方が掃除されていました。
このトイレ前に続日本100名城のスタンプが置いてあります。
利用時間前でしたが、押すことができました。
駐車場から道路を隔てて城跡の入り口があります。
杖が用意してありました。
標高差はさほどありませんが、足元が荒れているところがあるので使った方がよいでしょう。
さっそく石垣が見えてきました。
この建物は以前なかったような?
なるほど、周囲に対し違和感のないデザインにしたのはさすがです。
二の丸櫓台跡
二の丸から25mほど降りると、
井戸曲輪跡
もともと沢のようになっていた地形を利用し、北と東側を石垣の壁で囲むようにして造られている場所です。
二の丸から見た本丸石垣
石垣山城は豊臣秀吉が1590(天正18)年、小田原征伐の際、構築しました。
小田原城から見えないように築き、完成後に周囲の木を伐採したため、北条氏側に一夜にして築城されたかのように見せて驚かせ、戦闘意欲を失わせる効果を果たした、といわれ、一夜城ともよばれています。
ただ、私が疑問に思うのは、なぜこれほどまで立派な石垣が必要だったかということです。
この城は小田原征伐の際の一時的な砦です。
北条氏滅亡後も江戸時代を通じて使われた小田原城に対して、石垣山城は放置されます。
そんな城にここまで立派な石垣を組む必要があったのでしょうか。
思うに、籠城した小田原勢に対し、これ見よがし築城したのではないかと・・・
つまり、秘密裏に立てたのではなく、石垣を組むところから、その大がかりでかつスピードの速い工事を北条に見せつけたのではないかと考えました。
籠城している者からすれば日に日に大きくなる巨大な要塞を見れば士気も落ちると思うのです。
本丸跡
小田原を臨みます。
↓が小田原城です。
天守台跡
西曲輪跡
南曲輪跡
本丸・二の丸下の腰曲輪
石垣山城は関東で初めて本格的な石垣を組んだ城です。
一部は関東大震災で崩れてしまいました。
続日本100名城に指定された石垣山城ですが、崩れた状態のまま、しっかり保存されており、これはこれで趣が感じられます。
石垣山一夜城
所在地:神奈川県小田原市早川1383-12
このあとは寒川神社に向かいました。