橋本屋吉次郎電子日誌

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美濃路を歩く その11(六角堂~井之口)

2015-02-14 | 街道を歩く

稲沢市に入りました。

【長光寺】
 
 


山門



仁王様


本堂



地蔵堂
通称、六角堂とよばれている特徴ある建物です。

 



長興寺門前にある道標
「右ぎふ道」


「左京都道 」と刻まれています。
もともとは300mほど離れた四ツ谷追分にあったものです。


【京屋伊助】
東海地方では有名な酒量販店「酒やビック」の蔵元がありました。
 
 


【盤桓子誕生地碑】
美濃路は突き当たり左折します。
 

その突き当たりのマンションに石碑がありました。
 
 

丹羽盤桓子誕生地碑です。
丹羽盤桓子ってどんな人?
調べてみました。
丹羽盤桓子(にわばんかんし)1773(安永2)年~1841(天保12)年
江戸時代後期の書家、学者です。
長光寺門前の道標も盤桓子の書ですが、石工がある字の書体を修正したため、大いに憤慨したそうです。


【四ツ家追分】
少し西に進むと四ツ家の追分があります。
美濃路から分かれた岐阜街道の起点です。
旧鎌倉街道筋をなぞるように稲沢市内を通り、一宮市から木曽川を渡り、笠松町、岐南町を通り岐阜城方面に続きます。
 
 
 


ほどなく、JR東海道本線と交差します。
愛知機関区が近くにあるので線路が何本も並行して敷かれています。
 


現在の地名で稲沢市井之口かつては七曲り縄手とよばれていたそうです。
このあたりは昔を偲ばせるものはあまり見当たりません。
おそらく少し前までは田園風景が広がっていたのでしょうね。

と思っていたら、ホントに田んぼが見えてきました。
 


その田んぼの向こうに見える謎の基地?
三菱電機稲沢製作所構内にあるエレベーター試験塔SOLAÉ(ソラエ)です。


【長束正家邸跡】
畑の中に石碑群を見つけました。
 


そのうちの一つに「長束正家邸跡」と刻まれていました。
長束正家は秀吉の五奉行の一人でこの地で生まれたといわれています(近江国栗太郡長束村の出生という説もあります)。

なお、ここの地名は長束町です。
 

このあたりの美濃路は西へ北へ何度も曲がっていますが、このような表示が整備されていることに加えて、歩道の色が変えてあるので大変わかりやすいです。
 


(続きます)


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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
逆に (橋吉)
2015-02-15 06:40:47
>SevenFiftyさんおはようございます
私とって稲沢はとても身近なところで、日常生活でどこも一回は通ったことのある場所です。しかし、改めて歩いてみると知らなかったこと、見落としていたことがたくさん発見でき新鮮でした。
返信する
こんばんは (SevenFifty)
2015-02-14 19:19:31
こんばんは。
SevenFiftyです。

稲沢市はツーリングで行ったことがないです。
通過した程度なのであまり分からないです。
一応、路地に関する情報はあるものの中々行けません。
返信する
4合目 (橋吉)
2015-02-14 15:43:05
>ひえぴたさんこんにちは
ようやく4合目ぐらいだと思います。少しずつ歩くのにもなれましたし、不思議なことに石碑に刻まれた文字もちょっと読めるようになりました。これから先が楽しみです。
返信する
美濃路は続くよどこまでも (ひえぴた)
2015-02-14 11:00:56
美濃路も11記事になりました。
毎回懐かしい街並みが出て来るので昭和年代には郷愁を誘うものが有ります。
山で言えば、何号目くらいでしょうか。まだ先がありますよね~。
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