高遠城は、三峰川と藤沢川の河岸段丘のの突端にあります。
小高い丘の上のようにもみえます。
国道152号線や中央道・JR中央線の近くという現在でも交通の要所に位置しておりました。
建物は残っていませんが、唯一、時を告げる太鼓が設置されていた太鼓櫓が復元されていました。
地形を利用した土塁や何重もの空堀は山本勘助による縄張りだといわれております。
実際は江戸時代に改修されていますのでどこまでが武田氏時代によるものかはわかりませんが、当時の息吹が感じられるような気がします。
今では、1500本を超える桜の名所となっています。
中には、樹齢100年を超える老木もあり、手入れは大変だと思います。
連休中だというのに、おみやげ屋さんは軒並みしまっていました。5月5日の撮影ですよ。一年のうち、桜の季節だけが勝負なんでしょうね。
明治時代に高遠出身の有力者達が建設・寄付した高遠閣です。残念ながら内部にはいることはできませんでした。
近くには歴史博物館があります。日本百名城スタンプは高遠閣からここに移設されていました。
保科正之のNHK大河ドラマ化実現のための署名を行っていました。
歴史博物館裏には、江島の囲み屋敷があります。
江戸中期、風紀粛正のため、大奥女中の絵島と歌舞伎役者の生島新五郎らが処罰された事件(江島生島事件)の結果、ここで禁固となっていたそうです。
一見、まあまあの住宅のように見えますが、下人の間や台所などがあり、
江島は一日中この小さな間で過ごしていたそうです。こうしてみると、格子のように見えますね。
さらに屋敷周りはこんな塀に囲まれていました。
風紀粛正は名目で、実際のところ権力争いで負けたようです。
それ結果、田舎でのんびり暮らすのはそれはそれでいいのかも知れませんが、この屋敷に無くなるまでとらわれていたそうです。
森林浴だけでも心地良さそうですね、天守閣とかも復元して観光開発する気はないようですね本日私が訪れた村上水軍城は新築でした
それゆえ、歴史上の人物にも、建物にも疎いので気の利いたコメントができません。
私にとっては、連休中の稼ぎ時に閉めているおみやげ店が気になります。
史実に基づかない鉄筋コンクリートの建物を建てるくらいなら、そのままの状態にしておくか他の施設として市民に開放する方がよいと考えます。高遠城は城址公園として開放され、たくさんの桜を観光の目玉としているようです。
茅野から国道152号線を南下して行きました。前半の杖突峠はほとんどが片道一車線の走りやすい道でした。ただ、登りでねずみ取りをしていました。ちょうど自動車を追い越そうと思ったときでしたが、レーダー探知機が教えてくれて難を逃れました。
その後、日本の原風景といった山里の田畑の中をゆるいワインデングで抜けていきます。交通量も少なくハイペースで走行できました。
昨日、房総半島の山中でもやっていました。
私のナビにレーダーは付いていませんが、基本10kmオーバーしかスピードを出さないようにしているので、難を逃れました。
最後の写真の木塀・・・珍しくないですか?
槍のようなものが板塀の先っちょに付いてクロスしている・・・やたらにはないと思います。とても雰囲気があって良いですね。
わざとこう造っているのか、別に意味はないのか・・・。
江島の囲み屋敷は人目が気になるので無理かも知れませんが、最初の写真の太鼓櫓の中ならツーリングテントを張っても気付かれなさそうです!
そして後は大河ドラマ化されるのを待つばかりです。(笑)
刑務所の塀の上に有刺鉄線があるのと同じです。逃走を防ぐのが目的でしょうが、「ここには罪人がいるのだぞ!」とか「おまえは大犯罪人だ!」といったメッセージを伝える視覚的効果を狙っているのではないでしょうか。
江島の囲い屋敷はそのまま住めそうな建物でした。ここならば、テントは不用です。
太鼓櫓は人気が高く、写真撮ろうにもカップルがじゃましてごらんのようになった次第ですのでここも難しいかと思います。でも、他に建物はないので本丸跡や二の丸跡はどうでしょうか。桜の木が多いので毛虫攻撃に会うかもしれません。