6月1日まで西北隅櫓を一般公開しているので、見学しに行きました。
説明するまでもなく名古屋城は御三家筆頭尾張藩主の居城です。
本丸の西北端に天守閣、東北・東南・西南の角にそれぞれ隅櫓を配置しています。
南側の大手口に枡形を形成し表一之門・二之門を設け、搦手の枡形に東一之門・二之門を設けて本丸の備えとしています。
明治を迎え、幸いにも取壊を免れましたたが、戦災で天守閣・本丸御殿などを焼失してしまいました。
天守閣は外観が五層、内部が地上5階・地下1階の五層六階の大天守閣です。
高さでは江戸城・大阪城に及ばないが延べ床面積では史上最大、姫路城の倍以上もある日本一大きい天守閣です。
もちろんシャチは金シャチです。
昭和34年に鉄筋コンクリート造りで復興再建されました。
今回一般公開された、西北隅櫓です。
名古屋城御深井丸の西北(戌亥)端に建つ隅櫓で清洲城の用材を利用して築造されたため「清洲櫓」とも呼ばれています。
名古屋城に現存する隅櫓の中で最も大きく、堀を挟んで向かいにはホテル名古屋キャッスルがたっております。
このホテルからの眺めが一番美しいと言われております。
この隅櫓は三層三階の櫓で、屋根は入母屋本瓦葺きで名古屋城築城当時の原型をとどめ国の重要文化財になっいます。
ところで、かつて天守閣の南側に本丸御殿がありました。
この本丸御殿は、近世城郭御殿の最高傑作と言われ国宝に指定されていた建物で、現在、国宝になっている京都二条城の二の丸御殿と並ぶ武家風書院造の双璧と言われていたそうです。
残念ながら、この建物も空襲で焼失し、敷石とはずされていた障壁画のみがのこされています。
名古屋市では、この本丸御殿を復興する計画を立ち上げ、寄付金を募っています。
名古屋城の天守閣床面積の話は知りませんでした。
名古屋城はやはり日本の歴史上重要な建築物。(復刻であっても)大事に保存して後世に残さなくてはいけませんね。
戦国時代や江戸時代は私も好きな分野です。
近いうちに「城めぐり」始めようかなあ。
小田原城(跡)とか近場にあるので・・・。
しかし、城跡というのはずいぶん数が多いうえ、山の中のような不整地に存在することもあり、なかなか大変です。
しかし、同じ城でも見学するたびに新たな発見がありおもしろいです。