美濃路沿いのうどん店で昼食をとります。
鶴岡屋本店
所在地: 岐阜県大垣市久瀬川町2-42
営業時間: 11:00~14:00 16:30~19:45(LO)
定休日: 木曜日
わりと新しそうな外観と、裏腹の
風格のある看板
うどん定食 870円
うどんは関ヶ原で関東風と関西風と聞いたことがあります。
ここは、関ヶ原よりやや東ですから、鰹だしでしたが淡口醤油を使っているのかけっこう澄んだつゆでした。
麺は柔らかめです。
驚いたのはおかずの小鉢の美味しいこと
ほうれん草とキノコのソテー、肉じゃが、あじフライ
どれも素材の味を充分に引き出した味付けです。
偶然通りがかっただけですが、アタリをひいたようです。
養老鉄道養老線を横切ります。
まっすぐ西に進むと杭瀬川に塩田橋が架かっていますがこれは現在の道
美濃路は、少し南の土橋(いまはコンクリート橋)で渡っていました。
歩いてきた県道からはずれるのですが、
こんな石柱や
こんな建物を追っていくと、道筋が見えてきます。
【塩田港と常夜灯】
1880(明治13)年の建立です。
この付近にはかつて塩田湊があり、生活物資や石灰などの運搬が頻繁に行われ賑わっていました。
この湊に出入りする船の安全を見守ってきたのがこの常夜燈ですが、伊勢神宮の遙拝所にもなっています。
先に養老線を横切りましたが、この路線以前から疑問に感じていました。
岐阜県と三重県を結ぶ唯一の私鉄なのに、大垣と桑名の間には都市はありません。
岐阜も四日市もまして名古屋も通らないのです。
ここに立ってみてわかりました。
船便に変わる路線だったんですね。
塩田の常夜灯の北には公園があるのですが大がかりな河川工事をしていました。
正月から始めた美濃路歩きですが、いつの間にか春になりました。
ここから、いったん北へ向かい県道を横切ったところで、再び西に向かいます。
【谷汲山常夜灯】
杭瀬川堤防にありました。
尾張では津島神社への道標を多く見かけましたが、美濃に入ってからは谷汲山華厳寺を示すものが多くなりました。
【久徳の一里塚】
いくつかの一里塚を通りましたが、ここは保存状態が良い部類だと思います。
【瓊々杵神社】
久徳の一里塚にある神社
祭神は瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)すなわち天孫降臨の主人公です。
拝殿
本殿
しばらく進み、太平洋工業の前で美濃路は消滅してしまいます。
しかたないので、県道岐阜垂井線を西へ進みます。
東海環状自動車道の高架をくぐります。
【谷汲山道標】
再び美濃路に戻りました。
かろうじて「谷汲」と読むことができます。
【白鬚神社(しらひげじんじゃ)】
祭神は猿田彦命 (さるたひこのみこと、猿田彦大神)で本社は滋賀県高島市鵜川にあります。
太谷川を渡ります。
【長松城址】
長松城は、竹中半兵衛重治の従弟竹中源助重利が築いた城です。
関ヶ原の合戦の後廃城となりました。
現在の荒崎小学校となっています。
校門脇に城址碑がありました。
(次回いよいよゴール到達です)
味が関ヶ原で変わるとは、初耳でした。
そう言えば関西の牛肉、関東の豚肉の分かれ目を調査したテレビ番組がありましたねー(^o^;)
旧街道沿いって飲食店そのものが少ないので、見かけたら即入らないと昼食難民になってしまいます。選り好みしててはいけません。しかし、この日はアタリでした。
雑煮も餅も関ヶ原以東は角餅、西は丸餅と聞いたことがあります。
だいだい一回は4km前後だったんでしょうか。
このうどん定食はコスパが高いですね。
総計78.5kmを8日かけて歩いたので、1回平均9.8kmですね。
このうどん屋さんまた行ってみたいです。
私 最寄りの駅まで3キロですが 歩いて帰るのはとても嫌です
うどん屋さんの小鉢いいですねー
初日は5kmぐらいでギブアップしました。いつも歩き終わる頃には、志村けんのようにヨタヨタ歩きになってしまっています。