ある日、ふと思いつきました。
「大極殿は出来たのだろうか?」
何年か前に平城京跡を訪れました。
そこでは、大極殿の復元工事が行われていました。
建築当時の工法で再現しているそうで、完成までずいぶん時間がかかるという話しでした。
あれはいつのことだったのだろうか?
このブログの過去の記事を探しても見つかりません。
自分の中では数年前のことだと思っていることが、十年以上も前のことだったようです。ググってみると、
2010(平成22)年の平城遷都1300年にまにあうように復原されたとのこと。
そうそう思い出しました。
「平城遷都1300年祭」が行われた頃、奈良は観光客でいっぱいだったから、もう少し落ち着いてから見に行こうと思っていました。
でも、待っているうちにすっかり忘れるなんて・・・・・。
さっそく、平城京跡に出かけてみました。
平城遷都1300年祭のメイン会場となっていましたから、駐車場は十二分に余裕があります。
平城宮跡
所在地: 奈良県奈良市佐紀町1138
開園時間: 9:00~16:30(入園は16:00まで)
休園日: 月曜日(月曜日が祝日の場合はその翌日),年末年始休館
入館料: 無料(平城京跡の施設はみな無料であるところがうれしいです)
平城宮跡遺構展示館
発掘調査で見つかった遺構をそのまま見ることができるほか、内裏の復原模型を展示しています。
スタンプラリーを行っていました。
ここから、東西1.3km、南北1kmの平城京を反時計回りに歩いてまわることにします。
宮内省跡
遺構展示館のすぐ西側に、宮内省の一部の建物が復原されています。
当時の役人は土間に机・椅子を置いて仕事をしておりました。
夏草に埋もれかかっているところが残念でもあり、風流でもあり・・・
大極殿に向かって歩くと円柱状に刈られたツゲの木が並んでいます。
柱が発掘された跡に植えられ、それを再現しているようです。
大極殿に到着
大極殿とは、古代の日本における朝廷の正殿です。
周囲の塀は、本来、築地塀でした。
これは少し土を盛りそれを半分の高さになるまで突き、これを繰り返すことでつくるバームクーヘン状の土塀ですが、やがてこれも復原されるようです。
高欄には五色の玉が飾られています。
内部壁面には、方角に合わせた十二支が描かれています。
天井には蓮の絵がびっしり
高御座(たかみくら)
天皇位を象徴する玉座のことです。
大極殿から見下ろした平城京跡
正面に見えるのは朱雀門です。
大極殿のまわりは築地塀に取り囲まれ、南門およびその両側には大きな建物が建っていました。
これらも順次復原されていくそうです。
ただ、なるべく忠実に当時の工法を用いているので時間はかかりそうですね。
木材加工工場です。
現在の南門です。
復原事業情報館
CG映像や道具、資料サンプル等で、第一次大極殿院の復原事業を紹介しています。
この池は奈良時代にもあったようです。
当時から残っているのか、復原されたのはわかりませんが・・・
平城宮跡資料館
奈良文化財研究所によるこれまでの発掘調査・研究の成果をもとに、土器や瓦、木簡をはじめ、建物模型や航空写真、発掘のジオラマ模型などで平城宮を分かりやすく展示しています。
平城京の南門にあたる朱雀門に向かって歩きました。
近鉄奈良線です。
平城京跡が整備される前から敷設されていたのですが、現在では史跡を分断する形になってしまっています。
「地下を通してはどうだろうか。」
大極殿で解説していただいたボランティアの方に聞いてみました。
「平城京の本当の価値は復原された建物ではなく、地下に眠る史跡にあるのです。」
なるほど!
朱雀門
南から見たところ
朱雀門の南には朱雀大通りがありましたが、工事中で半分の道幅になっていました。
朱雀大通りの両側も工事中でした。
お腹が空きました。
平城京跡の中には、飲食店がありませんから、いったん外に出ることにしました。
すぐ近くに、お好み焼き店がありました。
蛸庵
所在地: 奈良県奈良市二条大路南3-3-39
営業時間: 11:30~22:00(ラストオーダー21:15)
定休日: 木曜日(祝日の場合は営業)
ねぎ焼き
半分ずつにして、ソースと、だし醤油でいただいきました。
だし醤油最高との相性は抜群でした!
お腹を満たしたところで、再び平城京跡に戻りました。
棚田嘉十郎像
1900(明治33)年に私財を投じ、幕末につくられた「平城大内裏敷地図」を複製して広く配り、奈良県民に平城宮跡の保存を呼びかけました。
さらに、 1906(明治39)年には「平城宮址保存会」をつくり、政府に宮跡保存を陳情するとともに、広く寄付を募って宮跡の買収を進めました。
お陰で奈良市内にありながら、こんなに広い場所を残すことが出来たのですね。
それにしても、草に埋もれそうなのが嘆かわしいです。
兵部省跡
ここも草に埋もれかけていました。
東院庭園
平城宮は正方形ではなく、東の張出し部を持ちます。
この南半は皇太子の宮殿があった場所で、「東宮」あるいは「東院」と呼ばれていました。
その南東端に東西60m、南北60mの池があり、これを中心に構成されている区画が東院庭園です。
初期はプールのように長方形の池でしたが、後に曲線を用いた形に変えられたそうです。
奈良時代は萩が人気だったそうです。
桜ではなく、梅の木の下で花見をしたそうです。
墨絵の山々のようにも見える庭石
太鼓橋
中国の影響を受けつつも、日本庭園の原型がすでにできはじめています。
この建物からの眺めが一番になるようにつくられているそうですが、
残念ながら入ることは出来ませんでした。
東院庭園から北に向かって歩いて行くと、こんな建物が目に入りました。
土俵?キャンプファイヤーできる野営場?
造酒司跡(みきのつかさあと)と推定された井戸です。
造酒司(みきのつかさ)は、宮内省の配下で、酒造りを担当していました。
ふたたび、駐車場に戻ってきました。
平城京跡を一周するのに4時間もかかりました。
スタンプラリーも完了です。
SRで平城宮跡資料館まで、ワープ
ご褒美はクリアファイルでした。
凄いですね!高校生の時にここに行ったのですが、大極殿の基礎部分だけで、後はただの広場でした!隠れるところが無くて、先生の目を盗んで悪さをすることに腐心したのを覚えています
SRも元気そうですね、長男がSV1000、次男がCB400と父の威厳がなくなってきたこの頃です
そうですよね。今でこそ、資料館など建物がいくつかありますが、大極殿復原以前は隠れるところはありませんでしたね。
SRの調子は良いですが、まもなく車検なので点検・整備をしっかりしておかないとと思っています。
我が家の長男も自動車学校に通っています。生意気にも大型自動二輪です。免許は取れそうですが、バイクを買う金はないようです。
ゆっくり寺社仏閣をまわって見たいと思っていますが、平城京がこんなに広いとは想像すらしていませんでした。事前に見てまわる順序とか考えておく必要がありますね。
この日は、
平城京跡→興福寺→国立奈良博物館→(時間があれば)東大寺
という計画を考えていましたが、なにがなにが、平城京跡を見て回るだけで、時間的にも体力的にはいっぱいいっぱいでした。朝、出発が遅れたこともありますが、平城京跡の広さを甘く見ていたようです。
SevenFiftyです。
SRで奈良まで行かれたのですね。
体調も回復しているのでしょうか。
わたしはかなりアカンです。
免疫力低下で感染症を併発してヘロヘロです。
一時は入院寸前でした。
耳の方は90%ぐらい回復して、体調は回復しました。ただ、また悪化する恐れがあるので無理をしないようには心がけています。
突発性難聴の治療で免疫力を低下させる薬を毎日点滴注射しましたから人ごととは思えません。ご無理をなされないようご自愛下さい。