シルバーウイングで島根へ行ってきました。
松江城・月山富田城および出雲国一之宮である出雲大社・熊野大社訪問が目的です。
朝3時に自宅を出発し、9時30分に出雲に到着しました。
島根県では現在、古事記編纂1300年を記念して「神話博しまね」を開催しています。
出雲大社はこのメイン会場となっております。
そのため、周囲にはいくつかの臨時駐車場が用意されています。
そのひとつ、道の駅 大社ご縁広場に駐輪しました。
ここから神門通りを歩いて向かいます。
コンクリート製の一の鳥居
木造の二の鳥居
参道の松並木の中にある鉄製の三の鳥居
祭神は大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)
なぜか密教の大黒天(さらにその元はヒンドゥー経の神)と集合して大黒様とよばれることもあります。
因幡の白兎の場面が像となっています。
銅製の四の鳥居
四つの鳥居をくぐると、「四逢わせ」すなわち「幸せ」となるそうです。
仮殿
出雲大社では60年に一度遷宮をおこないます。
今は平成25年の遷宮に向けて工事中であり、ご神体も仮殿に移されています。
垣間見えた本殿
大国主大神は素戔男尊(スサノオ)の子(6代後の子孫とも)であり地上を収めていましたが、最初から大きな力を持っていたわけではありませんでした。
神としての使命を自覚し、その期待に応えるべき研鎖修養と瞬時も忘れることのない努力をされていました。
ある時、海の彼方から光が飛んで来るのに遭遇し、その光が御身に宿る幸魂・奇魂であることに気づき、その御霊に生かされているという自覚を得ました。
一方、天津神(天の神々)は自分たちの子孫が収めるべきだと考え、使者として建御雷神を派遣します。
紆余曲折の末、大国主神は天津神に国を譲ることに同意します。
その代わり、自分が住む大きな宮殿を造営してもらい、そこに引きこもることとしました。これが出雲大社なのです。
現在でも出雲大社の本殿は格別に大きいのですが、古来はこんなだったとされています。
柱はこんなに太かったようです。
神楽殿
日本一の大しめ縄
なお、結う向きが他の神社のものと逆になっています。
一般の神社では、神域に邪悪が入らないための結界であるのに対し、出雲大社では大国主大神を封じ込めるための結界だとされています。
宝物殿
神社東側の神家通りは人通りも少なく、静かで趣があります。
北島国造館
出雲大社の宮司である国造家は南北朝時代に千家家と北島家に二分しました。
明治15年北島家は出雲教として独立しました。
出雲大社では二礼四拍手一礼が作法です。
古代出雲歴史博物館
たいへん暑い日でしたから、見学を兼ねて涼みました。
神話博しまねのメイン会場
神話映像館が売りのようですが、30分毎の入れ替え制
この暑い中、外で待つのはちょっとね・・・パス
二の門前の売店は工事中
来年の遷宮に間に合わせているのかな、神話博しまねには間に合いませんでしたね。
二の鳥居横の蕎麦屋で昼食
出雲蕎麦は皮ごと実を碾くので黒く薫り高いです。
割子でつゆををかけて食べる形式が多く好まれています。
ただ、つゆが濃いため1杯目の椀に残ったつゆを2杯目に、さらに2敗目に残ったつゆを3杯目にへとリレーしていくのが流儀だそうです。
以前いった店は感動するほどおいしかったので、この日も楽しみでした。
今回は違う店へ行ってみたのですが・・・
私にはつゆが濃すぎました。
ちなみに我が愛用の長野産七味はこの店でも使われていました。
帰路、一畑電車出雲大社前駅を覗いてみました。
かっこいいですね。
神話はフィクションですが、多くの歴史的事例がもととなり伝承されているようです。
国譲りはいったい何を意味しているのでしょうか。
天孫の子孫が大和朝廷につながるならば、それに我が国を譲った別勢力がこの地にあったのです。
どのような人たちだったのでしょうか。
かつてこの国の中心地だったのですが、今はけっして繁栄しているとは言えません。
でも、だからこそ神話が語り継がれて残されているのでしょうか。
思いは尽きませんね。
さて次は、松江城を目指して移動です。