デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



今日の昼間、少しだけだが夏の高校野球・準決勝「興南高校-報徳学園」を見ることができた。
こちらこちらのニュースが流れていたこともあり、気になってはいたのだが、「ハイサイおじさん」演奏されていたよな?(流れてなかったならご指摘ください(笑))。
インターネット上ではそれなりに議論されているので詳しく知りたい方はご自身で検索していただければと思う。私からは「ハイサイおじさん」がつくられるにあたっての元エピソードについて、こちらこちらの記事を紹介しておきたい。
この手の事象にはいろんな意味での怖さがあるように思う。まずは投書内容の詳細を読んでみたいところだし、投書した人の「ハイサイおじさん」に関する造詣がどのぐらいだったのか知りたい。そして、

「どんなに悪い事例とされていることでも、それがはじめられたそもそもの動機は、善意によったものであった」(カエサル)

のか? カエサルを出してこずとも…と思う人がいるかもしれないなぁ(笑)。もし、この言葉のようであったなら、義憤に駆られただけのいささか軽率な若年者が投書者であったことを祈るのみだが…。
あと、この報道記事が載せられるまでの詳細な経過を、記者は説明すべきではないか。

私自身の問題として立ち返れば、ある事象に賛同するにしろ異議を申すにしろ、何らかの学問的なことを取り扱う記事を書くにしろ、伝聞や書物の孫引きの問題は避けて通れない。このブログやロシア旅行のページから、時に私の記事を引用してくださっていることがあるので、私の記事内容で取り扱った説や統計データなどが、のちに否定されるようなことがあると、あいつの所為で恥をかいたのだと言われかねない。誰もが環境さえ整えば世界に発信できる時代なのだから、改めて襟を正したい。

まぁとにかく「ハイサイおじさん」が流れていたのが私の聴き違いでなければ、うれしい(笑)。

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