デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



先月のことだが映画館へ久しぶりに足を運んだ。鑑賞した作品は『妻への家路』である。

作品は単純なストーリーながら複雑な社会背景が絡んでいる。『妻への家路』で最初に描かれる時代は中国の文化大革命の時代で、わかりにくい例えかもしれないが、1930年代のソ連に漂っていた親であろうが隣人であろうが互いに密告しあう空気が当たり前で、1930年代のソ連で子供たちが見ていた「少女オーリャ」を髣髴とさせるような場面が、作品の前半に登場する。
主人公馮婉玉は、文革の敵とされ囚人となった陸焉識の妻であり、二人の間には娘の丹丹がいる。陸焉識が逮捕されたのは娘の丹丹が三歳の頃であったので、十数年ぶりに父と娘が顔を合わせたときのジェネレーションギャップは想像に固くない。しかしもっと事情を複雑にしているのは丹丹が文革を賛美するバレエ団で頭角を現し努力と才能で成り上がれる希望を抱いていたその最中に、脱走した父親が家にやってくるというジレンマを、父母と娘の三人が同時に抱え込んでしまうところだ。
このあたりの描き方が非常に秀逸で、私個人は公式サイトにある心労という傷痕を抱いた妻が文革終結まで長い間会えなかった夫のことを思い出せるのかという関心よりも、後から考えるとどうしようもなく難しい時代を過ごさざるを得なかった父母とその娘という構図の方がずっと印象に残った。つまり、文化大革命がもたらした悲劇の面を作品は全体的に強調しているように思うのである。そのせいもあってか、私個人は丹丹が文革で成り上がった場合のストーリーも映画の途中から想像するようになった。

出演のコン・リーや丹丹役を演じたチャン・ホエウェンの演技はすばらしく、作品内で時間の流れがストップしてしまった母と、過去の影を引きずりつつも時代の変化を受け止めて生きていく娘との対照的な姿に見事に合致していたように思う。また、作品内の象徴的な場所である駅の背景が時代とともに変化し、時の経つ無情さを視覚的に見せる演出もよかった。

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