デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 




もう京都市の一部での立派な風習となったんでは?と言えるほどまでになったんだろうか。
朝早くから大文字山の火床まで登り、送り火の消し炭を拾う作業に行ってきた。日が昇ると暑いので朝六時過ぎには下山するつもりで行ってきた。


日がまだ見えないうちでも汗を大量にかいた



朝5時台なのに人が







本当はもう少し明るかったのだが、カメラの露出や採光の設定の調節のことを考えてなかったので、暗めに写っているように思う。


消火用ホース



マス・コミ関係者も訪れていた

ここ数年来抱いている、「消し炭拾い」はいつ頃からどのように始まったのか、という問いの答えは未だ見つけることができない。
私は未だ、クリーンアップ作戦みたいなことが転じて、いつしか消し炭に厄除けのお守りみたいな口コミがいつの間にやら広がったのでは?という仮説を抱いている。もし口コミでそうなったのなら、誰かが言い出したはずだ。
京都に長く住んでいる人に、できるだけ多くの人に尋ねてみたいところではあるが、何人かの年配の方がおっしゃるには、戦後でさえ消し炭を拾った記憶はなく、消し炭拾い自体はここ20年ぐらいで聞くようになったとか、周りが言うので自分も行ったとか、けっこうあいまい。それはそれでいいとは思っているが、いつかこの風習のもとになったような資料を見つけれたら、また書きたい。勝手な主張やでっちあげ記事には気をつけたいところではあるが。





















消し炭自体には何の効能もないことは承知の上だが、なにより自分の足で登って拾ったものであり、これをあげたら厄除けとしてよろこんでくれる人がいることがいい機会作りになっているのだと思う。
以前にも書いたとおり、盆に無理やり坊主が家に押しかけて来て、人工的な音でしかないお経を唱えられてお布施を出すより、自分で先祖のことに思いを馳せながら送り火に祈り、その翌日には自分の足で消し炭を拾うほうが私はいいように思っている。自力本願だし無理せず自分のペースで登れば身体にもいい。
それにしても山に登ると普段の運動不足を自覚させられる。この記事を書いている間も筋肉痛で悲鳴を上げたくなるほどだ。

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追記:2012年8月19日12:15
バンドでリーダーをしてくれているメンバーに消し炭拾いのことを訊いたら、30年近く前子供だった時分に既に学校の先生に引率されて拾いに行っていたという。その時には火床で「人が拝んだりし、霊がたくさんいた場所に残ったものを持ち帰ると、効果は逆だ」とか言った人がいたというから、風習は記事に書いた20年以上前よりも少なくともさらに前からあった可能性が高くなった。

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