デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



ラグビーW杯の日本代表の予選結果は巷のポータルサイトやニュースサイトで知ることができるのでここでは触れないが、最後のアメリカ代表との戦いもすばらしいパフォーマンスを発揮していたように思う。タフな日程をこなした面もあったが、本当にお疲れ様でしたという気持ちだ。
今回の日本代表の戦いぶりを印象に残しつつ、これからのベスト8以降のラグビーの強豪国の試合も楽しみにしたい。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




ワット・ポーのチケット

私が行った時のチケットは境内で冷えた水のサービスを受けられるものだった。水自体はコンビニや露店で買ってもそこまで高くはないが、入場券にもれなく付いてくるというのはやっぱりうれしい。


異様に高い仏塔が見えた


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




「ゼウスの大祭壇」

再放送されていたBSの「トルコ絶景バス紀行 感動!エーゲ海・地中海1500キロ」のなかで旅人がベルガモを訪れる場面があった。
ベルガモのトヤラヌス神殿が映された直後、ベルリンのペルガモン博物館所蔵の「ゼウスの大祭壇」が映った。その時、ハッ!と思った。今になって、ベルリンにある「ゼウスの大祭壇」がいかに貴重なもので、博物館とベルガモとの関係その他を含めた神殿がどういった歴史的背景を持っているのか、ようやく気づいた、というより気づかされたのである。
画像のペルガモン博物館所蔵「ゼウスの大祭壇」は閉館まであと一時間という急いだ鑑賞でかろうじて記録に残した分だが、当時はローマ帝国に関する知識は持ち合わせていなくて、有名だからとかガイドブックにあるからという理由だけで、概要も頭の片隅においていない状態で見入ったのだ。
番組のベルガモの映像と、私の当時の旅行の記憶を思い返すと、決して旅行当時には戻れないゆえどうしようもないことだと分かりつつも、ローマ帝国の広大さについて後付補完をしたいが、無理であることを突きつけられるというか、なんだか心をちくりとやられたような、ほろ苦い気分になったものだ。しかしベルリンのペルガモン博物館とトルコのベルガモについて分からないままでいるよりは、いま分かってよかったと思う。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




森本あんり著『反知性主義:アメリカが生んだ「熱病」の正体』(新潮選書)読了。

なんておもしろい本なんだろうというのが読了直後の率直な感想。数ヶ月前にニューヨークからアメリカを知るといったテーマの本を読みその中の、「脱ヨーロッパ運動の帰結」がアメリカという国ときくだけでは物足りない、「結局アメリカという国はどうしてああなんだ?」という疑問が払拭されてなかったこともあり、そのもやもやした部分を『反知性主義』はかなり的確に説明してくれているように思った。
反知性主義の概要を知ると、著書の中にある映画「ペーパー・ムーン」のみならず、個人的に好きな映画監督フランク・キャプラの作品も随分と見方が変わるように思う。本を読んで、フランク・キャプラの作品の素朴で自分の判断を大事にする主人公が、勧善懲悪を実現させるにしては知性を発揮しないキャラ設定になっている理由が分かった気がした。『オペラハット』や『スミス都へ行く』、『素晴らしき哉、人生!』といった作品の主人公たちはいかにもアメリカのキリスト教が生み出した反知性主義に満ちているように感じるのである。
恐慌を引きずる1930年代の暗い雰囲気のアメリカに、フランク・キャプラの作品が与えた影響は第五次信仰復興とまではいかぬまでも多くのアメリカ人の心を救ったような気がしてならない。きっと当時の人々には作品を通して監督自身のたたき上げの人生を垣間見ていたことだろうし、なかには巡回伝道の牧師たちに届けられた「感謝の手紙」に類したような内容の手紙を監督に送った人もいたことだろう。そういった光景がなんだか容易に感じ取れそうな、リアリティを感じさせるところも森本氏の『反知性主義』のすぐれたところではないか、と思う。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




ワット・ポーにもお祈りを捧げられるいくつかのお堂がある。



拝んでいる人々が手にしているのは蓮のつぼみだろうか



山奥にある寺院や教会でもクレジット・カードが使える世の中ゆえ驚く
べきことではないのだろうが、ATMがあるのには少し笑いそうになった。
しかし、これも多くの人が集まる場所であるがゆえのニーズがあるのだ。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




映画「幌馬車」(1950)を再鑑賞。

アメリカのユタ州はモルモン教徒の多い州だが、モルモン教徒たちの定住先までの旅の困難を描いたのが「幌馬車」である。
背景に映っている広大で延々と続く砂漠の中の岩壁や山は現在のユタ州でも見ることが出来る。時代が変わっても太古の昔から変わらない雄大な自然の姿があるように思った。
「幌馬車」にはいろいろと考えるポイントがあり、見る人によって解釈があろう。私は二度目の鑑賞にして朝まで滞在を受け容れてくれた「温かい町」が出発時間の7:30が近づくと容赦なく幌馬車を追い払う失笑ものの現実や、長旅での水の大切さや、怪我を負っていたグレッグ一味が信仰篤き人々の心につけ入り旅の途中からどんどん厄介者として存在感を増していく描き方のうまさに気づいた。
人々の往来がほとんどない砂漠の真ん中であるにもかかわらず、一味を追っているはずの保安官一行の目が節穴で、ベーコンだけ分けてもらって去るところも、現実味があるように思う。もし撃ちあいになれば犠牲者が大量に出るゆえ、保安官を落馬させて幌馬車から目を逸らさせる主人公の機転が光る場面だが、保安官たちは野営している場所は教えたとはいえ、本当に一味を捕まえたいならば、どう考えても犯罪者が身を隠すのに最適な幌馬車一行と旅を共にしたり、一行に気づかれないように後からつけていってもいいはずである。少なくともベーコンは分けてもらったのだから(笑)。
その点は、最初の町の場面の「7:30に町を出る約束だ。もう7:00だからさっさと町から出ろ」のごとく、自分たちのテリトリーから出て行けば例え幌馬車におたずね者が隠れていようが知ったことじゃない、という意識の現われ、おたずね者もやっかいだが幌馬車の一行もやっかい者である本音の表れ、目が節穴である本当の理由かもしれないと思った。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




遠くからでは分かりづらいが



昨日の京都タワーのライトアップはピンク色だった

クリスマスの時に緑色のライトアップになっているを見たことはあった。帰ってから調べてみると、ピンク色はピンクリボン(乳がんの啓発活動のシンボル)からきているそうだ。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




カイザーヴィルヘルム記念教会(ベルリン)

BSで放送されていた「地球タクシー「ベルリンを走る」」という番組を見て、じわっとくるものがあった。
番組の中で取材を受けたドライバーたちは誰であっても印象に残る言を残したが、私はトルコ系のドライバーとスーダンを故郷にもつドライバーの話が現代的な問題をするどく抉っていて印象に残った。
11年前、ベルリンを訪れたとき、番組にあったようなことを短い時間ではあったが感じたものだ。そのなかの、目に焼きついているものの一つとして、おしゃれな街の雰囲気のなかでも目をむけざるを得なかったカイザーヴィルヘルム記念教会がある。爆撃の跡が生々しい教会だが、教会の中から空が仰げてしまう衝撃や、降伏前のベルリンの戦闘で町が瓦礫と化してしまった当時の様子の展示といい、大戦の記憶に真っ向から向き合おうとする真摯な姿勢を目の当たりにしたように思う。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




ワット・ポーの入口ではヤックではなくて
仙人のような像が入口の両サイドに立っていた



訪れるのは外国人が多いのかなと思いきや
やっぱり自国の参拝者も結構訪れているのである



銅鑼を衝いたら木の箱に1バーツ入れて
くださいと英語で書かれていた。衝いて
みると重くて深みのある音が周囲に響いた。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




南宮山

桃配山から見える南宮山は見上げる位置にあった。たしかに南宮山に陣をつくっていた毛利勢が家康に襲い掛かっていたならばひとたまりもなかったことだろう。








でかでかと古戦場と地名を表示してあった






今回の関ヶ原散策は時間が短かかった。
また立ち寄れたらぜひとも歩いてみたい。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


   次ページ »