デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



映画「幌馬車」(1950)を再鑑賞。

アメリカのユタ州はモルモン教徒の多い州だが、モルモン教徒たちの定住先までの旅の困難を描いたのが「幌馬車」である。
背景に映っている広大で延々と続く砂漠の中の岩壁や山は現在のユタ州でも見ることが出来る。時代が変わっても太古の昔から変わらない雄大な自然の姿があるように思った。
「幌馬車」にはいろいろと考えるポイントがあり、見る人によって解釈があろう。私は二度目の鑑賞にして朝まで滞在を受け容れてくれた「温かい町」が出発時間の7:30が近づくと容赦なく幌馬車を追い払う失笑ものの現実や、長旅での水の大切さや、怪我を負っていたグレッグ一味が信仰篤き人々の心につけ入り旅の途中からどんどん厄介者として存在感を増していく描き方のうまさに気づいた。
人々の往来がほとんどない砂漠の真ん中であるにもかかわらず、一味を追っているはずの保安官一行の目が節穴で、ベーコンだけ分けてもらって去るところも、現実味があるように思う。もし撃ちあいになれば犠牲者が大量に出るゆえ、保安官を落馬させて幌馬車から目を逸らさせる主人公の機転が光る場面だが、保安官たちは野営している場所は教えたとはいえ、本当に一味を捕まえたいならば、どう考えても犯罪者が身を隠すのに最適な幌馬車一行と旅を共にしたり、一行に気づかれないように後からつけていってもいいはずである。少なくともベーコンは分けてもらったのだから(笑)。
その点は、最初の町の場面の「7:30に町を出る約束だ。もう7:00だからさっさと町から出ろ」のごとく、自分たちのテリトリーから出て行けば例え幌馬車におたずね者が隠れていようが知ったことじゃない、という意識の現われ、おたずね者もやっかいだが幌馬車の一行もやっかい者である本音の表れ、目が節穴である本当の理由かもしれないと思った。

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