教員展のパンフレットのPDFがすでに完成しているのですが、大学のHPに掲載されるのは来週になります。
先んじて、このブログで紹介いたします。今年のパンフレットの表紙題字は辻尚子先生の作品です。
四国大学文学部書道文化学科は、「書道に親しむ」から「書道を楽しむ」、さらに「書道を活かす」へと発展さ
せ、書道文化の専門的探求を目指すユニークな学科です。
書道文化学科の学生たちは、書道の「技術」「歴史」「理論」などを探求していく中で書道文化を理解し、また
書の作品制作を通して自己を表現することを学ぶと共に、新たなことを創造する発想力を身につけていきます。
本学科では、学生と教員が一丸となって元気に活動していることが特色です。学生が身につけた力は書道以外の
分野でも応用範囲が広く、卒業後には様々な職業の中でそれを活かして活躍しています。
私たち教員も、教育と研究の責務を果たすべく日々取り組んでいます。この展覧会は、学科の専任と非常勤の
教員が書法研究発表の場として年一回開催し、今年で 34 回目を迎えました。今回はコロナ禍のために規模を縮
小して学内展示のみにしていますが、大学HPでの発表とこのパンフレット送付によって、学外の多くの皆様に
も鑑賞していただくことができます。なにとぞ御高覧のうえ、御教示賜りますようお願い申し上げます。
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太田 甲骨文「昔」
TVで「バック・トゥー・ザ・フューチャー」の映画を三作続けて見て、時間が行ったり来たりする様子が面白くて、時間の概念を書に表してみようと考えた。甲骨文「昔」にある三つのジグザグ模様は、積み重ねる意味で「積」を表す。これを白川説では「干し肉」、加藤・山田説では「養蚕の際に使用する麦わら」の象形と考えている。私は山並みの風景の重なりをイメージして、三つのジグザク模様が距離感を表し、上の方が遠くに見え、日が遠ざかっていくことで昔の概念を表現しようとしたのではないかと勝手に考えた。この作品を見た人が、黒を見たり、白を見たりしているうちに、空間のゆがみを意識して、一瞬、時間を超えたような不思議な感覚になってくれれば嬉しい。
太田 「芸術論」(レオ・レオニの言葉) 会場には絵本「フレデリック」も置いてあります。
レオ・レオニは、オランダ生まれのイラストレーターで絵本作家。絵本『スイミー』の作者としても有名である。フレデリックは、普段は働かない野ねずみだが、「どうして君は 働かないの?」と聞かれた時に答えたセリフがこれである。その後に冬になって暗い穴の中では、フレデリックがそれまで集めた光を仲間に分け与えたり、多くの詩を読んで仲間に元気を与える。「芸術」の持つ役割を象徴的に示そうとした絵本で、とても魅力的である。それを書作品にしてみた。実際の絵本も併せてお読みいただきたい。
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太田 「真水無香」
本家松浦酒造場の第六代当主、松浦豊茂の行状記に使われている引首印に使われていた言葉を行書で作品化した。真水は無色無香であるが、だからこそ多くの役に立ち、生物にとって必要不可欠のものである。本物には飾りが不要である。
辻尚子先生 「杜甫詩」
寺憶曽遊處、橋憐再渡時。江山如有待、花柳更無私。
野潤煙光薄、沙暄日色遲。客愁全為减、捨此復何之。
寺には曽(かつ)て遊びし処(ところ)なるを憶(おも)い、橋には再び渡る時を憐(いつく)しむ。
江山(こうざん)は待つこと有るが如(ごと)く、花柳(かりゅう)は更(さら)に私(し)すること無し。
野は潤(うるお)い煙光(えんこう)は薄(うす)く、沙(すな)は暄(あたた)かく日の色(いろ)づくは遅(おそ)し。
客(きゃく)たる愁(うれ)いは全(すべ)て為(ため)に減(げん)じ、此(ここ)を捨(す)てて復(ま)た何(いず)こにか之(ゆ)かん。
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森上洋光先生 「盭龢懿德」(れいわいとく)
西周中後期の金文「史墻盤銘」より「善なる和、麗しい徳」をあらわす四文字を摘録した。文字の造形を活かしながら、線の変化と全体の調和を図り、ことばの内容をも表出しようと試みた。
黒田賢一客員教授 「与謝野晶子の歌」
山国の空にあるなり天の川 吹く秋風のつばさの如く
田ノ岡大雄先生 「蛍1」(紀友則の歌)
わだつみの沖なかに火のはなれいでゝ燃ゆと見ゆるは天つ星かも
田ノ岡大雄先生 「蛍1」 (伊勢の歌)
夕闇にあまの漁り火見えつるはまがきの島の蛍なりけり
田ノ岡大雄先生 「蛍2」(後村上天皇の歌)
夏草のしげみが下の埋(む)もれ水 ありと知らせて行く蛍かな
6月の半ばに蛍を観に行った。おびただしい数の蛍が2秒毎にやわらかな光を放っている。この題材は、「茂みの下に清らかな水の流れがあるよ、と蛍が知らせてくれているかのようだ」と詠んだ歌である。
渡邉周一先生 篆刻4点 「顕光(けんこう)」
「還翦(かんせん)」
「書為心画」
「応物無窮」
上田 普先生 「行」(ぎょう)
ようやく迎えた2020年の晴れやかな季節。
自然は変わらず平然と咲きほこる。これまでと何が違うのか。
しかし私達はその違いを理解し、考え、悩み、迷い、言い訳をし、
間違いながらも答えを探らなければいけない。
それはまさに行(ぎょう)。
「行」の文字はもともと十字路を表している。
どの道が正しいのか。
誰にとって。
それでも未来はやって来る。
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上田普 先生は、QRコードも提供されています。別サイトの解説をご覧下さい。
鹿倉壮史先生 「永壽」
線の重厚さを構成上の主眼におき、密度の高低と空間(余白)との関係を追求しつつ、イメージしていた響きや新鮮な空気を定着させることを表現として試みた。
黒木知之先生 「蔬食(そしょく)」(陸游の詩)
今年徹底貧 不復具一肉 日高對空案 腸鳴轉車軸
春薺忽已花 老筍欲成竹 平生飯蔬食 至此亦不足
孰知読書却少進 忍飢對客談堯舜 但令此道麁有傳 深山餓死吾何恨
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今年 徹底して貧なり、復(また)一肉をも具(そな)えず。
日高くして空(くう)案(あん)に対すれば、腸鳴りて車軸転ず。
春薺(しゅんさい) 忽(たちま)ちすでに花さき、老筍(ろうじゅん) 竹と成らんと欲す。
平生(へいぜい) 蔬食(そしょく)を飯(はん)するも、此(ここ)に至りて亦(また)足らず。
たれか知らん 読書 却(かえ)って少しく進み、飢えを忍んで客に対し堯舜(ぎょうしゅん)を談ず。
但(ただ)此の道をしてほぼ伝うる有らしむれば、深山に餓死するも吾(われ)何をか恨まん。
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コロナ禍の中で、ふとこの陸游の詩を思い出し、書いてみました。
状況は異なりますが、困難な中でも希望を捨てず学び続けた陸游の姿は、今の我々も見習うべきところがあるように思えます。まだまだ不安な日々が続きますが、少しずつでも前に進んでいけるよう頑張っていきましょう!
今回は、素朴な感じで表現したく思い、文字は竹筆を用いて書きました。
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小竹正高先生 「ありがとう」(東田直樹の言葉)
「ありがとうは僕の耳にこだまする」
東田直樹(1992年8月12日生まれ、現在26歳)日本の作家・詩人・絵本作家。千葉県君津市在住。3歳の時に自分がどこか人と違うと思うようになる。結果として重度の自閉症と診断を受ける。会話の出来ない重度の自閉症でありながら、パソコンおよび文字盤ポインティングにより、コミュ二ケーションが可能。
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今回の作品は、新型コロナウイルスで、自宅で自粛している時に書きました。すてきな言葉に出会えたことに感謝しています。
松村茂樹先生 「朱竹図幷記」
【日本語訳】子供の頃、実家の玄関に「朱竹図」が掛けてあった。それは私が雑誌で「朱竹図」色紙(日本独特の四角い紙型)を売出す広告を見つけ、父親に頼んで買ってもらったのだ。そもそも父親はこのようなものに何ら興味がなかったが、その広告の中に「家運隆盛」の四文字を見るや、すぐ購入に同意した。その「朱竹図」は印刷品ではあったが、額に入れて玄関の壁に掛けるとなかなかいいと思ったものだ。図上には「清風有平安」と題されていたと記憶しているが、
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その時、私はこの句の意味がわからず、多分「家運隆盛」の意味だろうと思っていた。後(数十年後)私は、朱竹は蘇東坡がある時画興が急に起こったものの、机には墨がなく朱砂しかなかったため、朱砂で画いたのが始まりであったと知った。さすればそもそも朱竹は文人の当意即妙で成されたもので、「家運隆盛」とは何の関係もなかったのだ。実際、家運は何ら隆盛しなかった。でも私はなぜか今日に至っても実家の玄関に掛けられていた「朱竹図」を思い出すのである。五十九歳の松村茂樹が記す。
蓑毛政雄先生 「處其厚」 其の厚きに処(お)る(道や徳の純朴さを守る)
川尾朋子特認教授 「Live」
英語を縦書きで書く二十一世紀連綿シリーズ。
「Live」生きることを改めて捉え直す2020年になりました。
皆様に元気に会える日を心待ちにしています。
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