お盆休みが終りました。今年のあまりの暑さにバテ気味で、あまり外出もできず、阿波踊りもTVで見ることが多かったです。今年は天候が良かったので、観光客も大勢来られました。徳島を充分に楽しんでいただいたと思います。
8月19日(金)、午前中に学生の成績発表をして2年生の顔を見た後に、午後は高松に行ってきました。まずは、塩江町、旧安原小学校です。塩江郷土資料館が開館しました。藤澤東畡や、南岳の作品がたくさん展示されていました。

この後、庭にできた石碑の除幕式が行なわれました。関西大学の理事長・学長・同窓会長、藤澤家の子孫、石濱家の子孫など、錚々たるメンバーが参加されています。ご挨拶もたいへんお上手でした。炎天下でしたが、良い除幕式でした。塩江出身の藤澤東畡が大阪に行って作った泊園書院が大成功を収め大阪最大の塾になって、後に閉校の時にその蔵書を引き継いだのが関西大学です。つまりここが関西大学の学問のルーツということになるのです。創立130周年記念事業としてこの石碑の移転に取り組まれ、廃校になったばかりのこの小学校の庭が選ばれました。

その後、そこから数キロ南に行った場所に、藤澤家の先祖の墓がありました。山の中の古い墓地ですが、きれいに管理されていました。

この後に、関西大学の薮田先生・吾妻先生・中谷先生などと、香南町立歴史民俗郷土館に立寄り、新たに寄贈された書軸の見学をしました。中山城山の自画像と、自筆の文章「三教一帰論」の巻物です。ここの学芸員の杉山さん(右の女性)は、四国大学書道コースの卒業生で、旧姓は藤澤ですので藤澤東畡とも繋がる一族の方です。中山城山は藤澤東畡の最初の恩師です。香南地区には、中山城山の塾があって、儒学の古文辞学(荻生徂徠が広めた考え方の学問)を教えていましたが、城山は古文辞学のみならず、国学や仏教にも造詣が深く、晩年には、儒学・国学・仏教は、結局は一つに帰するのであり、その良い所をとって、実生活にこそ活かすべきだと主張したのです。その考え方が述べられています。なお、中央の男性は、藤澤東畡の教え子の片山冲堂のご子孫です。片山冲堂は、その門下に、明治維新後の役人や教育者を多数輩出します。東畡の学問を引き継いで、香川県を発展させた中心人物といえるかもしれません。今年は、片山冲堂の生誕200年ということなので、イベントが予定されていて、私も講演を依頼されています。

「学問のための学問で終わらすのでなく、それを実生活に活かす」という考え方は、本音で生きている大阪商人や実業家の考え方とピッタリだったので、東畡は大阪で成功を収めるのです。この塾からは、実業家や医師、薬学者、ジャーナリストなど、有名人が多数輩出して、現実世界を動かしていきます。これはもしかしたら、現代の日本にとって最も重要な課題なのかもしれません。
時代が変わってコンピューターが主流の社会になって、世界中の文化が融合していく現代です。「古いものはもうあまり学ぶ価値もない」と考えている人もいるかもしれません。しかし、実は私たちは今も歴史によってつくられた価値観を基準にして生きています。見た目の華やかさや複雑さに目が行ってそのことを忘れがちです。歴史を学ぶと、シンプルにその中心の軸のようなものが見えてきます。書道もそれをつかむための重要な道具だと考えています。