6月8日(金)、今日は、10時に大学を出て兵庫県立姫路商業高校へ行き、学生の教育実習の授業見学をして帰ってきました。
写真は、4年生の女子学生が、高校2年生に国語を指導している場面です。教材名は「時間をめぐる衝突」で、内山節さんの文章です。
実は、内山節さんとは、既に28年前からの知人です。私が長野県上田市で中学校の教員をしている頃に、友人の保坂富男君が主催する「上田哲学研究会」に入って、週に一度勉強会をしていた頃に、年に2回ほどは上田市に来て、講演をしていただいたり、一緒に酒を飲んで議論しました。
その頃には既に数冊の本を出版しておられ、日本で唯一、「哲学者」を専業とする人物でした。大学の先生とかではなく、出版と講演のみで哲学を語る、日本で唯一の人間という意味です。
彼はある時期から、群馬県の上野村に年の半分は住むようになりました。彼の学問のテーマが農山村の生活の価値を見直すことだったからです。年の半分は東京神田で、自分の本や雑誌に投稿する文章を書きます。最初は村人は彼を東京から別荘暮らしに遊びにきた人間として見ますが、やがて彼が田舎の一軒屋を購入して、本格的に農作業や山林作業をしながら住むうちに、重要な村人の一人として受け入られるようになります。途中、日航の飛行機事故などもありましたが、彼の文章は活動の拠点を得てますますさえわたり、新聞のコラムなども担当してどんどん有名になりました。でも会うと、やはり気取りもなく威張ることもない、「清貧」という言葉が最も似合うおじさんです。
私はといえばその後、様々な場所に転居します。長野県泰阜村、長野市、福岡県宗像市、長野県北安曇郡池田町、そして徳島市。全く流れ者の人生です。その間にも、時折お会いして話を聞いたり、食事をしました。このところ10年ほどはお会いすることができていませんが、年賀状はいまだにやり取りが続いています。
今回、学生が授業で扱う教材が、内山さんの文章であることを知って不思議な気持ちがしました。教科書に知人の写真が出ているのは違和感があります。でも、今日、生徒たちが音読しているのを聞きながら、内山さんらしい文章内容はなつかしく胸に落ちる心地がしました。
学生は、教材名・筆者名・語句などを書で認め、裏に磁石シートを切って貼ってカード化し、工夫して授業していました。声も大きく出て、時折面白い話をして生徒を笑わせるなど、堂々と授業していました。私が学生時代に教育実習をした時よりもずっと立派に授業をしていたので、頼もしく思いました。
また、この学校の生徒はたいへん授業態度が良く、私が廊下を歩いていても、ほとんどの生徒が挨拶をしてくれるのには驚きました。教育が行き届いている、素晴らしい学校です。また、私が授業参観している間、教頭先生も一緒に参観して下さり、終了後には学生にアドバイスをして下さいました。本当に丁寧な対応をして頂き、たいへんありがたく、爽やかな気持ちで学校を後にしました。