ぱたぱた仙鳩ブログ

徳島から書道文化を発信します。

公園の生物たち

2020年09月29日 | 日記

9月29日(火)です。季節が涼しくなってきてから、健康のために、妻と朝の散歩をしています。6~7時ごろに近くの公園を40分間ほどかけて2~3周しますが、なかなか気持ちの良い時間です。

この公園には、樹木が多く、様々な生き物も顔を出します。

マテバシイは、ブナ科の照葉樹です。

日本在来の樹木で、九州南部の原産だそうです。実は炒ると食べられますが、2年に一度しか生らないそうです。

https://www.uekipedia.jp/%E5%B8%B8%E7%B7%91%E5%BA%83%E8%91%89%E6%A8%B9-%E3%83%9E%E8%A1%8C/%E3%83%9E%E3%83%86%E3%83%90%E3%82%B7%E3%82%A4/

クチナシの葉をむしゃむしゃ食べている大きな芋虫がいました。これはスズメガの仲間の幼虫です。お尻にとげのような突起があります。小学生の頃に昆虫や鳥が好きで、図鑑を良く眺めていたので、なんとなく名前が頭に浮かんできます。

この親らしき虫が、花の蜜を吸っていました。透明な羽を高速で動かして翔ぶ蛾です。羽が一瞬見えなくなりますので、芋虫が空を飛んでいるように見えます。調べてみたら、「オオスカシバ」という、蝉のような雰囲気の美しい蛾でした。幼虫の写真も出ていました。確かに先ほどの芋虫の親でした。下のサイトをご覧ください。

https://www.insects.jp/kon-gaoosukasiba.htm

近年、激しい気候変動で、昆虫の数も急速に減少しているそうです。このような昆虫も大切な地球の仲間です。必死に飛んでいる姿を見ると、とても愛らしいと思います。

この公園には、美しい猫が出没します。耳に切り込みのある「地域猫」です。つまり不妊治療を施され、地域の人々にかわいがられている猫です。

毛並みはつやつやとして、肉付も良い雌猫でした。

地球に生きているのは、人間ばかりではなく、多くの種類の生物がいるからこそ面白いと思います。

 

 

 

 


凌霄の実

2020年09月26日 | 日記

9月26日(土)です。標記の植物は「りょうしょう」と読みます。「ノウゼンカズラ」の中国名です。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%82%A6%E3%82%BC%E3%83%B3%E3%82%AB%E3%82%BA%E3%83%A9

四国大学の中庭の隅に植えられている多年生のつる植物です。

2年前までは森の木が鬱蒼と生長し、日が当たらなくなって枯れそうだったのですが、昨年・今年と森の木の枝が大幅に切られ、日当たりがよくなって、勢力を回復し、今年は多くの花を付けました。

この植物の原産地は中国南部の温暖な地域で、平安時代には日本に渡来していたようです。

中国での名が「凌霄」というのですが、「空を凌ぐ」という意味で、つる植物が背の高い木に巻き付いて高く上る様子を表した名前です。

四国大学図書館には「凌霄文庫」と呼ばれる古書籍の書庫があります。これは、徳島市国府町出身の歴史学者「後藤捷一」の蔵書です。彼の雅号が「凌霄」といったからです。

後藤捷一(ごとうしょういち)    染織史・郷土史研究家(1892〜1980年9月17日)
明治25年(1892)、徳島県生まれ。徳島工業学校染織科卒業。小学校、技芸女学校教員の後、大阪に出て染織・染料の雑誌を編集。大正12年、澤田四郎作と知りあった頃から郷土研究に関心をもち、阿波の地域史研究をすすめる。昭和9年に大阪民俗談話会(のちの近畿民俗学会)に参加。また戦前・戦後にわたって大阪史談会を主催し、『郷土史談』『大阪史談』を発行。昭和28(1953)年、三木文庫主事。三木家の修史と藍の研究を進める。
後藤氏の旧蔵書(阿波に関する地方史料および国文学関係資料など約17000点)は、没後、四国大学附属図書館(徳島市)に寄贈され、「凌霄文庫」として公開されている。

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中国南部の温暖地の原産のため、日本では西日本に多いということで、徳島市にはたくさんあります。日本では実は付きにくいと書かれていますし、今まであまり見たことがなかったのですが、今年は初めてこれを見ました。

やはり、今夏の暑さは、尋常ではなかったので、この植物にとっては、むしろ故郷の気候に近かったので調子が良かったのでしょう。これがさらに熟して茶色くなると、さやが割れて多くの種が飛び出すのだそうです。

北宋の米芾(1051~1107)が元祐3年(1088年、38歳)に書いた有名な行書の書道作品「蜀素帖」(しょくそじょう)の1行目にはこの「凌霄」が登場し、松の大木に巻き付いて高く上り赤い花を咲かせる様子が描かれています。

菅原道真が894年に遣唐使を停止して以来、平安末期の日本では中国とは正式な国交はなかったのですが、やがて北宋が建国されて中国が平和になると、博多商人が民間交流を進めて、中国の物資を運び瀬戸内海を通じて平安京にも届けました。この博多商人と手を組んで大きな利益を得たのが平家です。この膨大な利益を背景に、大きな権力を得たのが平清盛(1118~1181)です。彼らが瀬戸内海交通を重視し、海路の中間にある厳島を整備したり、首都を最終的に兵庫に移すのはそのためです。源平合戦でも、瀬戸内海をどんどん西に移動し、最後に九州に渡って再起を図ろうとするのですが、それに失敗して壇の浦で滅亡するのです。

この凌霄の種を日本に運んだのは、おそらく博多商人と平家だと思います。清盛は都の邸宅の庭にこの花を植えて愛でていたのではないかと思いますし、米芾の「蜀素帖」の詩は清盛誕生前の1088年には既にできています。米芾は書画家として有名ですが、漢詩人としては「米元章」の名で有名です。清盛の中年期には中国でも日本でもこの詩は知られていたはずです。

源平合戦の後に、敗れた平家の一部が四国山中に逃げてきて、都の文化を伝えたという伝説があちこちに残っていますが、あるいはその際に凌霄の種も持ってきたかもしれません。ここまで書いたのは、清盛の遺した文章の考証はしていませんので、あくまで私の想像ですが、花と人のつながりを歴史的に考えるのも面白いものです。

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後で、別なサイトも調べてみました。

http://www.forest-akita.jp/data/2017-jumoku/46-3nouzen/nouzen.html

私の想像は少し違っていたようです。このサイトでは、既に918年には日本に渡っていたということですので、遣唐使によって運ばれたものだとわかりました。

いずれにしても、清盛の頃には日本でも栽培されていたことは確かです。

この花は、徳島市内のあちこちで咲いていて、さらに房になっているところもあります。私の住居の近所の家の庭の花はこんな感じですが、実は付けていませんでした。少し種類も違うのかもしれません。

やはり、実をつけるのは珍しいことのようです。

西洋では「トランペット・フラワー」と呼んでいるそうです。花の形も色も、たいへん美しい植物です。

 

 

 

 

 

 

 


南あわじ市・洲本市での資料収集

2020年09月21日 | 日記

9月20日(日)、この日は、午後に淡路島に資料収集に行きました。10月に発表予定している、阿波・淡路の泊園書院の門人に関わる研究のためです。

最初に南あわじ市榎列掃守の榮福寺に行きました。

ここは何度か訪問している真言宗の寺院ですが、岡田鴨里の一族の墓があることで有名です。

さらに整備が進んで、雑木や藪も取り払われたので、隣の池がはっきり見えていました。驚きました。

寺院では岡崎正信住職が待っていてくださって、ここで約束して集まっていただいた倉内一夫さま、津田章光さまともいろいろ話をしながら、資料を見せて頂きました。写真を撮影する時だけマスクもとっていただきました。

今回ここには岡崎住職の祖父にあたる「岡崎密乗」師のことを調査に来たのです。密乗が泊園書院の卒業し、その後に早稲田大学に入学したことを知ったのです。

密乗師の書いた扁額が飾られていました。「無尽蔵」と読みます。喜寿の書です。雅号は松濤です。

現在、ここには「金光明最勝王経」に説かれている「八臂弁財天」が祀られています。たいへん美しい弁財天でした。八本の手には、宝珠や武器を持っています。弁才天の「才」の字が「財」に通じることから財宝神としての性格をもつようになり、「弁財天」と書かれることが多くなり、勝運守護の神様として武家から庶民にいたるまで広く信仰を集めていたそうです。

淡路島は神仏習合の信仰が盛んで、寺院で、期間限定で弁財天も祀るのだそうです。弁財天の前には鏡が飾られていますが、鏡が飾られるのは通常は神社です。

お寺は90分ほどで失礼させていただき、その後は30分ほど離れた洲本の淡路歴史史料館と市立図書館をはしごして、資料を探しました。淡路市立図書館は初めて訪問しましたが、もと鐘紡のレンガ造りのレトロな建物で、公園の一部になっていました。

目的とする資料はだいたい収集できたので、帰りました。4連休中だったせいか、観光客が大勢来ていて、道路は少し渋滞しました。

猛暑がようやく終わり、人々も快適に動ける気候になって、研究にも力が入ります。でもコロナ禍は解決してはいませんから、マスクを着けながらの調査でした。

 

 

 


小星の書展 学生揮毫コーナー

2020年09月19日 | 日記

9月19日(土)、美馬市立図書館で、学生6名が参加して標記のイベントを実施しました。

参加学生は、書道文化学科2年生の有志グループ「悠縁」のうちの6名。

逢坂優妃奈、小林茉祐奈、祖月輪音々、髙橋瑞歩、寺澤歩花、桃田葵 です。

図書館は、学生が書く場所を5か所用意して下さっていました。6名参加ですが、交代で対応し、補助員として動くメンバーも想定しての会場設営です。コロナ禍に対応して、アクリルの感染防御板も整備されていました。

今回は、色紙かうちわのどちらかに学生に、客様のお好きな言葉を書道作品化して、プレゼントするという企画です。

時間は11時~15時の4時間です。

お客様はひっきりなしにやってきました。

作品は書ばかりでなく、顔彩を用いた絵も一部に使用しています。学生は、たいへんやりがいを感じながら対応しました。

4時間で、約60名の方が来られて、総計約100点の作品を揮毫できました。

揮毫企画はこの一日だけですが、展示は9月いっぱい続きます。ぜひお出かけ下さい。